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『FF4』はファミコンサイズで『FF7』をやっている
はじめに
このあいだ、『ファイナルファンタジーⅣ(以下『FF4』)』をクリアしました。おもしろかったです。
………で、もうこの記事を締めてもいいんだけど、あまりにもったいないのでもうちょっと書きます。
いや、なんでこんなに中身のない文章を放り投げたかというと、「このゲームがなにもかも洗練されすぎてて上から目線で批評するのも腰が引ける」状態になっているからだ。
この『FF4』とかいうゲームは100点中100点をしっかり狙っているゲームだった。
ストーリー、システム、キャラクター…どれも過不足なくシンプルなものばかりで構成されていて、それでいて飽きがこない。
特に音楽なんかは最高だ。作業用にと『FF4』のBGMをYouTubeで聴いていると、そのコメント欄には必ず「SFC音源が至高」と投稿している輩がいる。
プレイ前までは半信半疑だったし、なんなら「また原作厨かよ…」と失礼な態度をとっていたものだが、いざ原作の音源でプレイしてみるとその衝撃は凄まじかった。もうとにかく美しい。
戦闘曲で響き渡るベースが、名曲「愛のテーマ」でローザやセシルの心境と重ね合わせるように心地よく鳴り響く音が、どれも僕のプレイ意欲をかき立てた。BGMがね、全部良すぎるんだわ。
そんなわけで、とにかく良いところがいくつも目立ってしまってどれを話そうかと迷っていたのだが、やっぱり今日はストーリーの話をしてみる。「光と闇の物語」と銘打たれた今作のストーリー、のちのシリーズの源流とも言えそうなところがあったのでこれから思いつきで吐き出してみよう。
(ここからは完全にFF4を一周しただけの素人である僕個人の意見だから、あまり受け付けない人もいるかもしれない。また、軽いネタバレがあるから注意してほしい)
『FF4』はファミコンのゲームに近い
タイトルでファミコンサイズだと書いたのは誤字ではない。それはつまりどういうことかというと、このゲーム、かなり質素なストーリーだ。
クリスタルを利用して世界の滅亡を企む黒幕と、黒幕の持つ悪しき心に対抗することのできるパラディンとなった主人公セシル。悪役に仲間や家族を殺されたセシル達一行が集結し、目的を共有して黒幕打倒を目指すというストーリー。
立ちはだかる中ボスも(後述する)一部を除いていきなり現れて命を狙ってくるいわゆる「ぽっと出」のモンスターが多い。良くも悪くもシンプルな展開と言えるだろう。
こういった「正義の主人公が悪の黒幕を打倒する」というわかりやすい物語はファミコンのRPGに多い。
ドラクエでもFFでも、ファミコン時代は勧善懲悪のストーリーが基本で敵のキャラ付けは簡単なものに過ぎない。「悲しい過去が〜」みたいなものは容量的にもあまり表現できなかったのだ。
『FF4』はそのようなファミコンの血筋を色濃く受け継いでいる。本作の発売した1991年はまだSFC黎明期。まだまだファミコンの新作も出続けているこの時期には、後のSFC作品ほどの容量も割けず、ファミコンサイズのストーリーに留まったのであろう。
だが、そんな味付けだったからこそファミコンより進化した部分がより濃く引き立つ。
作中のボスの1人に「ルビカンテ」というキャラクターがいる。彼は作中で数少ない「パーティキャラとの因縁」が演出されたキャラである。中盤、セシルの仲間となるエッジの故郷を滅ぼし、両親を殺してしまった彼は、自分を憎むエッジとも正々堂々と戦うことを望み、戦闘前には必ずパーティを回復してくれる。
ルビカンテは敵でありながら、その性格が一目でわかり応援したくなるようなキャラクターになっている。彼は、今までのファミコンRPGではありえなかったキャラクターなのだ。
『FF4』と『FF7』
ここまで『FF4』のストーリー展開の視点から、ファミコンRPGの共通点と異なる点を考えた。次は、逆に『FF4』のストーリーの先進性を見つけようと思う。
『ファイナルファンタジーVII(FF7)』というゲームがある。多分、この記事を見るような人なら知らないという人の方が少ないと思うが、このゲームはPlayStationで発売された初のFFだ。もちろんPlayStationなだけあってその容量は半端じゃない。
さらには舞台も今までの中世ヨーロッパ風の世界観から離れた。機械文明が発達し、現代的な薄汚れた巨大都市からゲームが始まる本作は『FF4』と似ても似つかない。
だが、僕はこの2作はとっても近い共通点があることを知っている。それは、「感情移入できる敵キャラがいること」だ。
…そんなん大げさに言うほどでもないだろ、と僕も思ったよ。だからちょっと補足すると、これは共通点というより「FF7の物語が、FF4を原点として作られている」というのが正しい。
前述した「ルビカンテ」も『FF4』の感情移入できる敵キャラの1つだし、序盤からセシルと黒幕との対立を演出し最終的に兄という最も近しい間柄であることが発覚する「ゴルベーザ」という敵も、これ以降のあらゆるボスの原点となる記念すべきキャラクターだ。
ちょっと言い方を変えると、『FF7』のラスボス・セフィロスとゴルベーザは結構似ている。
序盤から主人公との因縁が描かれ、終盤に近づくにつれてその関係がだんだんと明らかになっていく。彼らはどうして悪に堕ちたのか、どうして戦わねばならないのか…。
ゲームのキャラクターは、ゲームの人気と合わせて徐々に愛されていくものも多い。そうした人気キャラに敵キャラも含まれていくことになったのは、こうした背景がよりわかるようになったからだろう。
おわりに
というわけで『FF7』というゲームはこの『FF4』を原点としていること(という僕の持論)がなんとなくわかっただろうか。
ちなみに、さらに言えば他のFFにもこれに該当するものがある。FF9のクジャとか。
でも、それらの作品と比べて『FF4』が特に凄いのは、本作が1991年のあのスケールで描かれたことなのだ。
つまり、FF1〜3には絶対になかったこの特徴が、『FF4』の味付けに一役買っているのだ。それを理解してもらえたなら、僕は安心して布団に潜ることができるだろう。それでは、さようなら。