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【1分小説】あの日に語りかけてきた時計のおはなし

「いい時計だね」と友達に言われる僕の時計は、もらったカタログに載っていて、一番高見えしそうだった時計だ。JAPANESE MOVEMENTと書いておきながら、本当はゼンマイ式のこの時計は、4ヶ月後に受験を控える僕にとっては少々飾りすぎではあるが、なんせ時計がこれしかない。新しく1000円のCASIOの時計を買うよりも、3000円の僕には不釣り合いな時計の方が、半年後の大学生生活を見越しているようで、勉強中の些細な心の支えになっているのである。受験生にとって、中高6年間男子校で、部活浸けだった僕にとって、この時計が最大限のお洒落なのである。全身黒の学ランに映えて、きらりと光るこの時計は、肌身離さずつけていたい、と思えるちっぽけな宝物なのだ。

いつも通り家を出た。IKEAで買った姿見鏡で襟の校章を整え、いってきます、と声を張る。別に誰かが返してくれるわけではないけれど、どこかで返ってくることを期待して、もう半年が経とうとしている。
今日はどこか引っかかって、しばらく姿見鏡の前で自分の学ラン姿を見つめていた。半年前に比べたら、やつれた顔は元通りになっているし、なんらいつも通りの僕だ。ただ、いつもに増して、時計のシックさが目立つ。いただけない違和感を覚えたけれど、それが何かはわからない。ただ、変なのだ。気のせいだとは思うが、今日だけ玄関が広く感じる。何気ないちっぽけさに、急に心が窮屈になってしまった。頑張らなきゃ、と思い時計を見たら、いつも乗る電車の出発時刻だった。あの日と同じだった。

気にもせずに出て行ったその日は、1日快晴だという予報が出ていたから、折りたたみ傘も持たずに家を出て行った。程なくして雨がぱらつき、次第にゲリラになっていく様は一瞬であった。湿気でセット崩れるわ…、あ、俺坊主だったわ!と1人で心の中でガハガハ笑っていたわけだったが、いつも帰りに寄り道しているパン屋が今日は閉店だったり、片足だけ水たまりに突っ込んだりしたあたりから、非日常の違和感を覚え始める。今日の学食、当たりじゃないのかもとか楽観的だった僕の顔が、今までにないくらいの青さになったのは、パン屋を通り過ぎてスーパーで惣菜を買って帰った時のことだった。いつも2人で楽しみに食べているじゃがいもコロッケも、今日だけは冷めきったコロッケを食べることになってしまった。

あの日のことを思い出す。ふとあの時のパン屋が気になって寄り道する。どうせ遅刻だしなあと思う。最近できたイオンモールに入ったことはわかっていたが、それでもシャッターと閉店の紙が風で靡いている跡地を臨む。今日の寄り道はイオンモールにするか、と高い出費になりそうなことには少々気後れするが、今日ぐらいはそうでもないと、眠れない気が、してくる。

パン屋のおばさんには大きくなったね、と言われた。勿論あの日のことは知っている。仲睦まじい老夫婦の旅行の帰りに救急車を呼ぶことになるなんて思わなかっただろうに。半年振りに来ても、立つ場所は違えどここはアットホームだと思えた。久しぶりだった。落ち着ける場所だった。バターのほんわかとした甘味が、僕を窮屈さから解放してくれる。クロワッサンを食べて涙するなんてことはまずない。だが今日だけは、そういう一日なのだろうし、そういう日であってほしい。

帰宅したのは19時過ぎで、ご飯を食べる気にはならなかった。学ランを脱ぎ捨て、何も考えずに風呂に飛び込んだ。蒸気でこもる風呂場の小窓からは、朧月が見える。そういえば今日はブルームーンか、と思い直す。新たな始まりを祝うかの如く輝くその満月には、明日以降の日々を高望みしたくなる。気づけば、時計をしたままだった。慌ててタオルで拭き取るけれど、もう遅かった。
でも、これが正解なのかもしれない。19時23分で止まっている針は、もう動かないだろう。でも明日はやってくるし、新しい時計を買えばいいじゃないか。1000円のCASIOの時計でも買えばいいじゃないか。仏壇にカタログの時計を立てかけ、それで終いとした。

姉貴の結婚式から1年が経とうとしている。同時に、出て行ってからも1年。半年振りに会いにいくか。明日は土曜日だ。そんなことを思いながらペヤングにお湯を注いだ。止まったはずの時計の針がもう一度動きだすことがあれば、その日は僕が完全に悲しみを乗り越えた時。窮屈さがちっぽけな希望に変わった1日。それはそれは、生きにくい1日だった。



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