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【1分小説】記憶って、酸化される
高1の時に好きな人ができた。できた、というよりできた「らしい」に近い。僕は全くその人に恋愛感情を持っていないと割り切っているが、どうも第三者から見たら、気づいたらその人のことを見ている、ということだ。ちなみに名前も知らない。僕はその人のことを「その人」と呼ぶことにした。
今見ているアニメの主人公の名前に当てはめるのは気が引けるし、適当に名前を付けるのも気が引ける。だから「その人」と呼んでいる。友達には名前ぐらい聞けよ、って言われるけど、なんで好きでもない人のことを聞かなきゃいけないんだろう、と思う。そんなこんなで「その人」は全くの他人なのにどこか関わりがありそうでない、不思議な人だったのである。
僕には好きな人がいる。いる、というより「いた」に近い。一つ上の先輩だったが、もう卒業してしまった。出会ったときにはもう好きになっていた。
必死に追っていたけれど、どこか決心がつかず、告白すらできないまま終わってしまった「あの人」は、大学に入って、彼氏を作ってキャンパスライフを謳歌しているようだ。未だに諦めきれない「あの人」のことを、僕は半ば第三者のように思いを馳せている。
だが、僕は高三で「あの人」は大学生、という現実を突き連れられ、「あの人」はもはやアイドルになってしまった。好きになってから二年もたっているし、必死にインスタを追ったり、DMを返すタイミングを意味もなく図る、そんなときがあったと思う。一度DMが返ってくるだけであたふたしていたあの頃を思い出すと、どこか甘酸っぱい気持ちになってくる。その度に「あの人」のインスタのストーリーズを見て、彼氏と映っている記念日お祝いを見て、高校生のうちに告白しておけばなあとたらればを妄想し始めるのである。
あの頃を知る部活の先輩は、いまだに「どうなん?」って聞いてくる。それは僕がまだ好きでいることを知っているからのことだし、それを言われる度に自分が顔を赤らめていることを自覚しているのだけれど、やはりどこかで、当時も今も手の届かないところにいる哀愁が、自分の中では消えていかない。
ーーー
「その人」と出会って、いや、見かけて1年が経った頃、初めて話す機会があった。別にちゃんと話したわけではなく、ただ、その人が廊下で転んでしまったところを「大丈夫ですか?」と声をかけて、「その人」は頷いて終わり。ラブコメだったらそこから恋が始まるのだろうが、3ヶ月経った今でも特に何も起こらないし、それ以来何も話していない。しかし、時折そのことを思い出し、あれが「その人」か、ということが頭をよぎることがある。それは、「あの人」に出会った時のときめきとは一つ違う、奥ゆかしい記憶である。
ブルーな気持ちになった日には、嗜む程度に筆を折る、というよりもキーボードをカタカタと打ち込んでいるわけだが、たとえ受験生であってもこの時間というものに焦りを感じてはいけない気がしている。こういう日というのは何か新しいことの始まりであり、何かカオスな状態から「カオスの縁」に飛んだりする。叙述の型にはまらずに、物事を淡々と書き連ねていることを人々は「駄文」だというらしい。そんなことないと思うけどなあ。こういうものに価値が生まれたりもする、と僕は思っているから、たとえ受験生の貴重な一日がこういう文章一つで終わることに意義があると信じてる。(明日頑張ることができればそれでよいのだ。)
さて、記憶は酸化される、と説いた。要は「当時は大事なだった記憶も今になっては過去の一点の出来事に過ぎない」ということだ。ただそれだけ。
少し飛ばしすぎた気もするから、読み手の人には思ったようにこの文章を読んでいってほしいと思う。そして言わんとしていることを感じ取ってほしい。
ここには青春の一例を書いた。まさに「甘酸っぱい記憶」が「酸化」という言葉に近いから。最後の文は、「甘党といえど、甘ったるい洋菓子というより、あっさりとした和菓子の方が好きだ」という身近な人を思い浮かべれば解釈が早いと思う。別にそれを言いたいわけではないのだけれど、金属が放っておくと酸化されてさびていくみたいに、要は時間が経つと記憶なんていうものはどんどん上にそれ以外の情報が足されていって、かつての鮮明な姿はなくなってしまうのである。
それでも人々は、過去の記憶を美化したり、笑い物にしたりして、別の輝きを取り戻そうと奮闘する。それはいかなる出来事もターニングポイントであって、あらゆる記憶も人々にとって大切なものであると自覚しているから。
ふと思い出したことを書き連ねるスタイルとは難しいものである。が、これが随筆もどきになってくれていたら、僕は半人前の物書きの1人にはなれるのかもしれない。