絵里ちゃんと和馬
「秘密を持った少年たち」ついて。
私が応援しているボーイズグループ、『龍宮城』のメンバーが出演しているドラマだ。夜行という人間の姿をした化け物になった少年たちをメンバーが演じている。
ドラマでは夜行と夜行狩り(人間サイド)の争いや、夜行同士の対立などが描かれている。(現在10話まで放送済)
ドラマの中で、絵里という夜行狩りの女の子が和馬という夜行と心を通わせるシーンがあるのだが、このシーンがとても好きなのだ!
まあ、2人の演技がとても良い!!
ただ、ドラマでは和馬と絵里が話すシーンが7話と8話しかなく、それまで絵里が夜行を恨んでいる描写しかなかったため、2人が心を通わせるのは少し飛躍しすぎのような印象を受けるかもしれない。
だが、ここになんというか文化人類学みを感じるのだ。もっというと文化人類学における先住民に対しての認識変化に通じるものを感じる。我ながらかなり偏ったドラマの見方ではある。しかし、この価値観を持ってみればドラマの描写も自然に見られる気がする。この気づきを留めておきたいと思いnoteを書くことにした。
0.あらすじ、登場人物(一部割愛)
ドラマを見ていない人向けに簡単にあらすじと登場人物を載せておく。登場人物については筆者のキャパシティーの都合上、このnoteに出てくる人に限定するのをご容赦いただきたい。以下あらすじ↓
<登場人物 人間>
・絵里(鈴木ゆうか):白木絵里。夜行に友達を殺され、夜行狩りに加わる。
・黒瀬(大東立樹):黒瀬拓実。夜行狩りのリーダー。親を夜行(伸一郎)に殺されたが故に夜行を全滅させようと動いている。
・あずさ:絵里の友達。4話でスーの正体を見てしまい殺される。
<登場人物 夜行>
・玲矢(佐藤海音):光石玲矢。ドラマの主人公。望まずして夜行となり、404 not found(以下404)のメンバーに出会う。
・和馬(伊藤圭吾):矢澤和馬。404のメンバー。絵里と心を通わせる。
・伸一郎(西田至):貴崎伸一郎。404のリーダー的存在。玲矢を404に誘う。黒瀬の親を殺した張本人。
・スー(米尾賢人):久保勧。404メンバーだが実は人間で夜行狩りのスパイだった。5話で裏切りがバレて玲矢に夜行にされる。
今回はタイトル通り、絵里と和馬に焦点を当てる。絵里は2話で友達を玲矢に殺され夜行狩りの一員となる。さらに、4話ではもう一人の親友あずさをも失う(実際にあずさを殺したのはスーであったが黒瀬に夜行の仕業と騙され絵里はそれを信じ込んでいた)。故に、夜行を憎んでいたが、和馬と関わっていくうちに心を通わせる。
ドラマでは、絵里も和馬も学生時代苛められていたという共通点があったこと(和馬はそれが原因で校舎から飛び降り、生死を彷徨って居た所、伸一郎に夜行にされた)や、絵里が404の曲を好きになったことから心を通わせていくシーンが描かれている。
そこに文化人類学を勝手に結びつけてみる。
ここからは完全な私の独断と偏見になる。「色んな考えがあるよね~」位の感覚で見てくれたらと思う。
(そもそも偉そうに文化人類学などと言っているが、筆者は大学3年の前期に文化人類学っぽい授業をかすっただけである。よって、曖昧なところも多々あるがご容赦いただきたい。)
1. 黙れ、化け物!
5話前半、あずさは夜行に殺されたと信じこむ絵里が玲矢を襲撃するシーンがある。
「あずさを殺したのは自分ではない」と弁解する玲矢に対して、絵里は「黙れ、化け物!」と弁解には耳も傾けず、憎しみを露にハンマーでなぐりかかる。
ここでの絵里は、夜行を化け物、話など通じない存在として認識している。夜行を殺さなければならないの一心である。友達を2人も夜行に殺された(と思っている)のだから当然だろう。玲矢の弁解を信じる、信じない以前に言葉として聞いてなさそうな所からもそれを読み取れる。
この絵里の夜行への接し方は1900年代初期の先住民に対しての西洋人の見方に通じるものがある。1930年代に作られた先住民関係の映画をみると、先住民を動物同等に扱っている。馬車の走路に入りそうになったら、言葉で「退け!」というのではなく発砲する。大きな音でビビらせ蹴散らすのだ。
相手を話の通じない存在だと認識し、武力で追い払うしかないという価値観は5話までの絵里の夜行への関わり方も同じである。
2.化け物から敵へ(6〜7話)
6~7話では、絵里のなかで夜行はただの化け物から、敵対する存在へと変化している様に見える。
6話で、裏切りがばれて夜行となったスーが、自分はどうなってもいいから仲間を助けてくれと、黒瀬に懇願する。そんなスーの姿を何とも言えない表情で絵里は見る。その後、絵里がスーを縛っていると、スーから謝りたいことがあると告げられる。それに対して絵里は「喋らないで」と返す。
この台詞、表面的には人殺しに喋る権利はないというニュアンスだろう。しかし、一つ気になる点がある。台詞の言い方が心なしか穏やか、というよりも自分のなかで何かを整理するように聞こえる点だ。
ここも夜行への認識の変化があったと考えるてみると納得がいく。話など通じない化け物と思っていた夜行が、目の前に自分達と同じように悲しみ誰かのために言葉で訴えている。憎むべき存在であることには変わりないが、ただの化け物という認識が崩されていく。それを認めたくないがゆえに出た「喋らないで」だと考えると面白い。
その後、絵里はスーにあずさを殺したのは自分であることを明かされ、5話での玲矢の弁解を思い出す。当時は化け物の声としてしか認識していなかった玲矢の台詞が、スーの自白によって、初めて意味をなす言葉として認識されたと考えることもできる。
さらに7話では夜行は憎むべき存在という認識も揺らいでいく。7話で絵里は、橋で黄昏ている和馬に背後からナイフを向け、「スーの居場所を言いなさい」と脅す。そして、和馬からスーは罪の意識に耐えられず自害したことを告げられ混乱する。
和馬への言い方が6話同様穏やかな所、ターゲットが「夜行」ではなくスーに限定されている所からも夜行への考え方が変わっていることが窺える。さらに人間である黒瀬にも騙されていたことを再度理解し、夜行=敵という認識すら崩れ始めているようにも見える。最後に絵里は和馬に「404の曲を聞かないか?」と勧められるが、「冗談でしょ」と残してその場を去る。自分が夜行のものを受け入れる=夜行を敵ではないと見なすことになる。6話終了時点では残っていた夜行は憎むべき敵であるという認識すらも危うくなり、夜行狩りという自分のアイディンティーが崩れていく葛藤があったのかなと考える。
ここは文化人類学でいうと1950~60年代の先住民の認識と通じる。この頃の映画では、30年代とは違い、西洋人は先住民と言葉を交わして追い払う。しかし、明らかに先住民を自分達よりも劣ったものとして見ており、対話というよりも一方的に意見を主張する。敵として見ることと、劣った存在として見ることを全く同じに捉えることはできないが、相手を話はできる存在として認識した点、しかしまだ憎むべき、蹴散らすべき存在という認識には変わりがない点が共通している。
3.心を通わせられる存在(8話)
8話で絵里と和馬は心を通わせる。
7話同様、橋で黄昏ている和馬に、背後から自分のスマホを見せ404の曲を聞いてみたことを伝える。絵里は、いい曲だったと伝え、夜行のくせに青春してて羨ましいと笑う。「夜行のくせに」と冗談混じりに言っている所から、ドラマでは描かれていない時間経過の中で、7話であっただろう葛藤を乗り越え夜行全員が敵なわけではない(少なくとも和馬は敵ではない)ということを受け入れたように見える。ここで、冒頭で書いた2人のいじめられていた経験が明かされる。絵里が和馬のことを人間と同じように受け入れることができたと考えれば、共通点を通じて心を通わせるという描写は理解しやすい。
この描写は1990年代の先住民の認識と通じる。1990年代のある映画では、迷い込んだ冒険者が先住民に助けられ、共同生活を送るという描写がある。ここでは、先住民と西洋人の優劣などなく、同じ人間として助け合っている。
8話の絵里と和馬にも人間と夜行という垣根はない。同じ人生を経験してきたものとして、お互いの気持ちを理解し、お互いを気遣っている。
その後、和馬は慎一郎の秘密について口を滑らせたことにより、黒瀬に捕獲される。そして絵里の懇願も虚しく殺されてしまう。仲良くなってから殺されるのが早すぎるというのが正直な感想だが、和馬に絵里という自分の死を悲しんでくれる存在ができたのがせめてもの救いである。
4.最後に
今回は、ドラマ秘密を持った少年たちについて、絵里と和馬の関係に焦点を当ててnoteを書いた。正直こんな文字数になるとは思っていなかった。読んでくれた方には本当に感謝しかない。読むのに疲れる方もいたと思うが、多分書いている私が一番疲れているのでご容赦いただきたい。
何より、こういう考察noteを書くきっかけになったのも、和馬役の伊藤圭吾くんと絵里役の鈴木ゆうかさんの演技が素晴らしかったからだ。今後の俳優としての2人活躍も楽しみだし、特に圭吾くんには龍宮城のリーダーとして色んな道で活躍してほしい。(あと2人とも顔が良すぎる😀)