身体性、精神性に次ぐとされる霊性とは何か。
先週、オフィス移転プロジェクトがブチ上がってるぜって話をさせていただきましたが、その理由のひとつに「藤代 健介」さんとの出会いが大きい。まだこの人について語れるほど親しいわけじゃないのですが、なにやら得体の知れない魅力を感じています。
僕の歩んできた道のりとはだいぶ異なる道を歩んできた方なので、この方の経歴を見ても、そのすごさがよくわかりません。なので、わりかしとフラットに本来の魅力に気づけているような気もしています。
何を隠そう、この方こそが僕の人生においてはじめて「霊性」という言葉を投げかけてきた人なのです。初めて耳にしたときは、今の皆さんの感想とまったく同じものだったと思います。「宗教の話?」「オカルト的なやつ?」といった感じ。
実はつい先日まで、恩田もまったく同じ感覚のまま過ごしておりました。が、しかし、事は急展開を迎えます。かの三島由紀夫と横尾忠則が「霊性」という言葉を使っていたんです。三島由紀夫に対する私の理解はとてつもなく薄っぺらいもので、日本人とは何者かを英語で外国人ジャーナリストに説明する動画を見たり、東大全共闘vs三島由紀夫の討論映画を観たりした程度のものなのですが、僕にとっては「深淵を知る人」の代表格だったんですよね。一方、横尾忠則の作風も大好きだったわけで。その二人が、これこそが人間の本質だと言わんばかりに「霊性」を説いているわけです。
あいにくその記事には「霊性」の正体までは書かれていなかったのですが、これはちょっと、ただならぬものを知ってしまったなぁ、という実感がだけが残りました。
Xの方でも書きましたが、三島由紀夫曰く「縦糸が創造だとしたら、横糸は礼節。そうやって霊性が宿るものができる」と。ただし、芸術には礼節は不要だとも言っていました。つまり、対象が明確なものをつくる場合には礼節は欠かせない。そして、芸術とは一方的かつ自己中心的でよいのだが、必ずしもそれが良いものになるとは限らない、と。芸術には対象がいないわけですので、何をしようが勝手というわけです。無論、礼節など不要です。
しかし、彼の言葉を探るに、それでは「霊性」は宿らない。もちろん、霊性が宿ったものこそが素晴らしいのだ、とも明言していないのですが、彼のような「行動を起こす、起こさせる」を大義とする人にとっては、対象があってこその物事は昇華されるのだと思っていたのかもしれません。
なのでこっからは、なんの論理もへったくれもなく、ただただ僕の個人的な趣向の話なのですが。
霊性、いいなぁ。
やっぱり野性まるだし、オレオレオレ!のモノづくりより、礼節と合わせたモノづくりがしたいよなぁ、と思います。社会、時代、人、不安、ストレスなど。僕はまだまだ現役ですし、どっちかと言えば実績も積み上げてきた方ですので、そういったうざい何かと真正面から向かい合わなきゃいけない立ち位置なんだと思います。下の世代にホイっと渡すわけにはいかないと言い
ますか。
責任なんていう、たいそうなものではありませんが。20代が不協音を吐き出す役目だとしたら、それを共鳴させるのが30代、そしてメロディに載せるのが40代の仕事なのかもしれません。
メロディに載せる役目と霊性がどう関わってくるのか。まだまだ熟考していく必要がありそうです。
ちなみに「礼節」というものも、単なるマナーとかモラルとかデリカシーとかいうものとは異なるだろうなと思います。上記の3つはいずれも仮面でしかないと思いますので。
今週の質問「もしドラえもんの秘密道具を無制限に使えるとしたら、どの道具をどう使って何をしたいですか?」
あんまり道具について知らないなぁと思って、調べてみたんですが、めちゃくちゃ多いんですね。って当たり前か。1話につき1つ出てくるんだもんね。
えっと、竹コプターとかどこでもドアがリアルに欲しいですが。ちょっと変化球として、映画『のび太と無幻三剣士』に出てきた、夢と現実が逆になるアイテムですかね。
これ、よくよく考えると怖いアイテムですね。現実の方が夢に思えちゃうわけですから、やはく起きなきゃ~って夢の中に入っていっちゃう。こわっ。
で、このアイテムを使って、夢の中で色々と行動選択してみたいんです。夢をコントロールできる人がいるらしいですが、僕はまったくできないのでこのアイテムを使って、夢ライフを盛り上げたいなって思います。