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卒論と霊性(1)

卒論が大詰めの時期となって参りました。
インターンも半分お休みをいただいています、ありがとうございます🙇‍♂️

先日オフィスで撮影をしていると、恩田さんにタバコを誘われました。

なかなかゆっくりとお話できる機会が無かったので、とても嬉しくて霊性についてのお話をしました。

そこから頭の中でまた繋がるものがあったので、書き連ねてみようと思います。
また論理っぽくなりますが、自分の感情は今週の質問に委ねます。

お話の中ではっきりしたこと

これまでのオンラインMTGの中でも恩田さんの口から「霊性」というお言葉が何度か登場してきました。その度にその定義に私は困っていましたが(笑)、恩田さんに質問をしてみて明確になったことを書いてみます。

私の人生の中で、単語としての「霊性」に出会った瞬間は2度ありました。

ひとつは「震災の霊性学」。
環境社会学者の金菱清さんの著書です。
前の大学でよく教えてくれた先生が紹介してくれた本で、とても興味深いです。
ただ、本当に「幽霊」が出てきます。

もうひとつは、ファシリテーターの知識を入れていた時に読んでいた本たち。
アダム・カヘン「変容するファシリテーション」や、アーノルド・ミンデル「対立の炎にとどまる」などが挙げられるのですが、こちらでも「スピリット」という訳で頻出します。
要は「みんなのスピリットが循環するのを阻害している様々な力関係を解消してあげるのが、真のファシリテーターの役目」ということです。

お話していく中で、どうやら恩田さんの仰る霊性は少なくとも前者のような「幽霊」ではなさそう。ただ、どこか周り回って関係がある可能性は捨てきれないな、とも思いました。

「いのちの本質とは霊性である」とWHOが言うならば、その対極にある「死」と向き合うことが自身の霊性を浮かび上がらせる、みたいなこともありうるのかもしれないなと。特に震災のような場面では。

読んでいたのが4年以上前なので、再度読んでみたら違う発見があるかも。
卒論が終わったらまた読んでみようと思います。

ただ、この間のタバコを吸いながらの立ち話においては、ファシリテーターが促進させるスピリットという後者の方が、イメージに近いようでした。

縦糸が「父性」横糸が「母性」だとしたら

縦糸が創造だとすると、横糸が礼節だ。
この2本の糸が交じわったところに霊性が宿る。

三島由紀夫

創造と礼節の定義もしなきゃですね〜、などと話していた記憶がありますが、
半分おふざけ、半分まじめなインスピレーションを受けました。

縦糸と横糸と聞いて思い出すのは、中島みゆきの「糸」です。

縦の糸はあなた 横の糸は私

中島みゆき「糸」

「あなた」と「私」が出会うことで、何かが生まれる。
この歌は恋愛に限らず、様々な人間の出会いに解釈が開かれていると思われます。
ただ、ここではあえて「男と女」に限って解釈してみます。

僕の卒論とも少し被るお話ですが・・・
社会的な男性性としての「父性」と、女性性としての「母性」という性質が、
「創造」と「礼節」にそのまま置換できるのではないか?

さすれば、三島由紀夫が「金閣寺」においてや、愛国者として言いたかったこと、ファシリテーションやケア論、そしてそれらと「霊性」の関係性が、うまく説明できる気がしています。

長くなるので、続きはまた来週、書いていきます。

今週の質問「子どもの頃から変わらないところ」

ゲームにハマってしまうことでしょうか。
自制ができないので、先日はゲーム用のiPad Proを写真部に寄贈しました(笑)
これでみんなレタッチできるようになりました。

でもきっと、人と楽しく会話するための道具として、単純に優れているからハマってしまうんだと思います。特に、話し方に自信が持てない人たちにとっては。もちろん自分も含まれます。

いつかゲーム無しでも、心から楽しいと思える会話ができたらいいなあ。
そう何百回も夢見ています。

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