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魂じゃない。

言葉は人間にとってとても便利なツールです。
自分が抱えている思考や観念を存在する言葉に流し込めさえすれば、あとは論理にしたがって処理することができます。
保坂和志『季節の記憶』では、人間は言語にしたがって感情を発生させているのか、それとも感情が先にあって言語を当てはめているのかという議論がありました。
どちらが正しいのか、結論は出ていませんでした。

「魂」という言葉がありますね。
とても便利な言葉だな、と端から見ていて思います。
人は努力する生き物ですが、その努力を一言で説明するのは難しい。
とにかく努力していること、思い入れがあることを伝えたいのだけど、現在に至るまでの苦労の部分は露出させたくない。

待ってました。
大声で叫びながら「魂」が飛び込んでくる。
「魂」はすっぽりと入り込み、空白をすっぽりと埋めてくれる。
本当に便利だ。
ありがとう「魂」! これからもよろしく「魂」!
困ったときに雰囲気よく、中身があるっぽく飾りつけてくれて!

そこじゃない。
この「魂」という言葉を捉え直してみてください。
スピリチュアルじゃないですか?
「霊魂」とか、たぶん本職はそちらの方ですよ? 「魂」くんは。
綺麗なだけの言葉じゃないと思うんです。

「魂」の類義語は「執着」や「執念」だと、個人的には考えています。
ドロドロに詰まった残留思念の塊。
内側にあるハラワタを取り出して、綺麗で済ませられるわけがない。
清濁入り混じった、だけど取り出したら崩れてしまう泥みたいなもの。
物事の本質はそうであってほしいと、みんな望んでいるでしょう?

なぜこういう話をしたかというと、今週執筆した記事で「魂」という言葉を使ってしまったからなんですね。
こういう便利ワードは乱発すると安くなってしまうので、できるかぎり使わないようにしているのですが……取材相手の方々から並々ならぬ「執念」を感じたので、ここが「魂」の使いどきだと判断しました。
ちなみに、共通して「魂が宿る」みたいな使い方をしています。
クリエイターの凝縮された意志が、工程からコンセプトから何から何まで、プロダクトにぎっしりと詰まっているのを感じたのです。

強すぎる思いというのは時として現実にも影響を及ぼすものです。
六条御息所は光源氏への執念が故に、葵の上を苦しめましたから。
本人は生きているにもかかわらず、ですよ。

「魂」っていうのは、そういう強い意志を感じたときに使われるべきなんじゃないか、と思うわけです。

今週の質問:お気に入りのワンシーン

かなり悩みましたが、執念繋がりで挙げさせていただきます。

ホラー映画『悪魔のいけにえ』から。
田舎町に迷い込んだ若者が殺人鬼レザーフェイスにばったばったと殺されていく映画ですが、特に好きなのはスラッシャーシーンではありません。

『悪魔のいけにえ』には狂った一家が登場します。
長男が肉屋として調理、次男がヒッチハイカーとして誘導、三男が処理担当として殺人を、という役割分担なのですが、兄弟たちには父がおりまして。
このお父さん、ほぼミイラ化しており自力では動けません。
かつては屠殺のプロフェッショナルで、ハンマーで牛を何十頭も殺していたそうなのですが、今はもう手すら満足に動かせないわけです。
そこで兄弟、もう一度父に屠殺をさせてあげようとハンマーを渡します。

囚われた主人公の頭をそれで砕かせようと、躍起になるわけです。
映画を見ていて一番顔が引き攣りました。

お父さんは動けないのでハンマーも持てない。兄弟たちが主人公を押さえつけ、手を補助して何とか叩かせようとする。
でも上手くいかないので、何度も繰り返すはめになる。
どうにかして成功させようとする。

食人とかチェーンソーとか残酷な描写は大量にありますが、最も異常な描写はどこかっていったらここだと思います。
執念ですよ、異常なまでの。
でも家族愛なんですよ。それが混じっちゃいけない形で混ざってる。

先週に引き続き、自分だけひんやり話をお届けしました。

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