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みんな感動に飲まれてしまえ。

M-1のPV、よかったですね。
まさかM-1が日食なつこの曲を使うとは。
毎年楽しみにしていますが、とにかく切り口が上手い。
M-1運営のいいところは、宇宙に昇る風船のように膨張していく大会の価値を見落とさないように自分自身を凝視しているところだと思います。

M-1には夢がある。絶望もある。
裏表で対立している二つを並ばせて対比させている……ようにも見えますが、自分にはこの二つを平等に横並びにしているように感じます。
1組の頂点が決定する代わりに8000組の敗者が生まれる。
大会を開くうえで当たり前のことで、演者はただそこに立っている。
断崖絶壁、切り立った崖のその切っ先。
命がけ、落命寸前、汗をかく。
8000組の頂点が決まる瞬間には、すさまじいドラマが一つピリオドを打つ。
視聴者である我々がそれを望めばね。

ちょっとエモすぎなんじゃないですか。
なんか感動させるための番組みたいですね。
そういうのがウザいって前年王者が言ってませんでした?

お笑いはどんどんエモくなってきてます。
M-1という番組が生み出す価値が膨らむにつれ、その頂点を取るということがどんどん感動的になってきています。
最近では準々決勝に勝ち進んだコンビにもお笑いファンの目が集まるようになり、そこから仕事に繋がることも多くなってきました。
準々決勝なのに、ですよ。
スポーツの大会だってこんなことありえません。

感動的になるにつれ、みんな思うことは増えていきます。
「王座はあの芸人の方が相応しかった」
M-1王者にあるべき像を作り出し、そこに無理やり持っていこうとする。
それは「M-1王者になれば人生が変わるから」に他なりません。
あんなやつらの人生が変わってほしくない。
漫才論争なんて平和な議論が起こるのはそうした理由も含まれているはず。
誰が勝って誰が負けたか。
感動を生むほど漫才の大会が膨らめば、そこから先は笑いのスタンスに対する代理戦争の始まりです。

勝手に負けたことにするなよ。
いや、たしかにM-1の結果は出ます。12月24日に。
けど、その笑いを支えるのはそれぞれの客に他なりません。
芸人という職業で食い続けられるかは劇場に人が入るかにかかっている。
たいていの芸人は食えない。
テレビに映っているのはほんのわずかな人間です。
だからテレビの外でファンが支えるんでしょうが。
勝手にエモだけ吸い取って美味しくなろうなんて思ってないですよね。
エモくなるためにM-1見てるんですか?
笑うためでしょ?

同じような怒り混じりの疑問をM-1運営に向けることはあります。
でも『ログマロープ』を使ったPVを見たら少し許せそうになりました。
たぶんM-1は、この膨らんだ大会規模を使って芸人に少しでも幸せになってほしいんじゃないかって。
そうじゃなかったら、最後の崖の写真に準決勝の芸人まで並べないですよ。
敗者に向かって「まだ戦いの舞台にいる」なんて言わないですよ。
まだ負けてないことを大会側が示すなんて矛盾してますけど、それでもできるだけ多くの芸人を「勝たせてやりたい」んじゃないかと。

テレビ番組としてのM-1と、お笑い好きとしてのM-1。
M-1は多くの芸人に祝福されてほしい、と性善説的に考えます。
だったらM-1の後は、こっちの仕事だと思うんですよね。

そういえば『ログマロープ』ってどういう意味だと思います?
仮置きしてた「マグロ丼」ってタイトルを、なんとなく改変した造語らしいです。
面白いじゃん。

今週の質問:「好きな歌の一節or本の一節」でお願いします!

本の書き出しってみんなカッコつけるんですよ。
これは哲学や文学の専門書でもそうです。
全然読めなくて机の上に置いてあるエーリッヒ・フロム『愛するということ』の冒頭から失礼します。

 愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するに違いない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない、ということである。

好きなんですよ。
言っちゃってて。
ここからどんどん、現代の人間が抱いている愛は解剖されていきます。
「君は……モノと時間をかければ人から愛をもらえると思ってるね?」みたいなことまで言ってきます。

世間のいう都合のいいロマンスがウザくなったあなたにオススメです!

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