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礼節とイルカ。

礼節とは進化。
礼節とは擬態。
礼節とは寛容。
礼節とは問答。
礼節とは儀式。
礼節とは空間。

創造と礼節が合わさって、霊性が宿る。

「霊性」そのものに関しては、先日ユーロ君が説明してくれました。
とても楽しい考察だったし、すごぶる共感もしました。
ありがとうございます。

しかし恩田にとっては「霊性」そのものではなく
「霊性が宿るものをつくる」ことに重心が置かれています。
そのため、創造やら礼節やら霊性をどうコントロールしていけばよいか?
ということを、ちょこちょこ時間を使って考えてきました。

今日は「礼節」についてです。

礼節とは、マナーやモラルのことだと体感的にわかります。
相手の立場を想像し、相手を敬ったり、しかるべき態度でもって接することです。この礼節が、なぜ霊性宿るものづくりに必要となるのか。

それは、礼節というものが、
相手のためのものではないからだと考えが至りました。

もちろん礼節とは"相手あっての"行為なのですが、
相手のことを第一に考えた態度や行動のことではないのだと思います。

つまりは、すべては自分のためだということです。

ものすごく極論に言えば、
生物の進化に礼節が欠かせないのだと思います。

礼節は何も人間だけが取り入れている行動ではありません。
動物や虫であっても礼節をもって行動しているはずです。

漢字にしてしまっているから、
本来の意味とは異なる様式的なイメージを持ちがちですが、
「冷静になって考えること」が礼節の本質なのだと思います。

それを身近な行動に置き換えると、
正座をすること、お辞儀をすること、敬語を使うことなどの
行動マニュアルへと落とし込まれます。

動物や虫の場合の礼節が、どんな行動に表れているかはわかりませんが、
率先して死ぬような行動をとる動物や虫はいないでしょう。
きっと、何か「冷静になって考える」ことで生きながらえようとしているはず。

その思考を、人間世界での行動に置き換えると
「礼節」というものになるのだと思います。

まさに今、眼前に自分を殺そう(もしくは殺せる力を持つ相手)とする相手がいるとします。
その相手と対峙したときにどうすべきか。
感情の逆鱗に触れることなく、ただ心の凪を保つべく。
然るべき行動や態度をとるはずです。
これが礼節の行動様式が生まれた原理だと思われます。

どんな生き物であれ、冷静になって考えること。

そうやって自己研鑽や進化を促していくために、
相手を観察したり洞察したりする行動を伴わせる。
それが環境適応につながり、進化してゆける。

この「礼節」を「創造」にも付与していきます。

創造をするのはクリエイターですから、
クリエイターは、人や素材、道具、環境、時間、そして受け手に
礼節をもって接していかなければなりません。
それが「冷静になって考える」という行為そのものなのです。

マナーが悪い、言葉に棘がある、相手を第一に考えていない…
というのは「礼節がない」のではありません。
礼節には規則やルールなどはなく、
自分由来の「冷静に考える」があればいいんです。

この「冷静に考える創造」の先に、
時代を超えるような創造物であったり、
勝手に媒介していく創造物があるのだと思います。

ですから「礼節」と「創造」が合わされば、
すべて「霊性が宿るもの」になるとも限りません。

あくまで、「礼節」と「創造」は基本の基であり、
扱い方は、作り手にゆだねられているのだと思います。

逆に、「礼節」の欠ける「創造」は一方的なものづくりとなります。
しかし、もともとそれは相手あっての創造行為ではないので、
アートと呼ばれることになります。おそらく、その多くに霊性は宿りません。
相手がいないのですから、ただそこに在るだけです。

多くの人の目に留まり、何かを感化させるような代物が出てきます。
それには霊性が宿っていると言えると思いますが、
そのアート作品を作った人には霊性を宿す気なんてありません。
きっと「創造100%」でしかないのだと思います。
そういった意味では、作り手が生みだした霊は宿っていないということです。それを見た人が勝手に解釈し、勝手に想いを付着させ、
その想いが多重になり霊へと昇華されたのかもしれません。

アートとデザインの違いについても、
この考えに従うと説明がつきます。

誰かのために、世の中のために~と「相手」が出てきた瞬間に、
それはアートではなくデザインになるのです。

霊性が宿るということは、
伝承されたり、受け継がれたり、真似されたり、媒介したり、時代を超越するようなものづくりです。
そこには必ず相手が必要になってきますから、礼節は欠かせません。

僕は、霊性が宿るものをつくりたいです。
時代を超えて語り継がれるようなものをつくりたいと思っています。

ですので、これからも「礼節」をもって、社会や自分のクリエイティブと接していきたいと思います。
自分の創造性を磨くという作業は、自分の礼節を磨くという方法でも補うことができるのです。

さて、僕はどんな礼節をもって行動を選択できるでしょうか。
自分の創造を補う、恩田的礼節についても考えていきたいと思っています。

今週の質問:『「逆だったらいいのに」と思うもの』

また難解な質問ですね…。

車線ですかね。

日本は左車線なのですが、欧米は右車線。
故に、輸入車は左ハンドルがメインとなります。
特に左ハンドルの車が苦手というわけじゃないのですが、
どうしも右ハンドルに慣れてしまっていて、
輸入車(を買う機会なんてめったにないのですが)を買う際に、
左ハンドルかぁ、右だったらなぁ、と必要のない妥協が生まれます。
この際、すべての国が右車線で統一してくれたらいいのにね。

逆だったらいいのになぁー、ってなんだか回答がつまらんなぁーーーーーおいっ!!!


ということで、もうちょい粘ります。



成長と老化?

成長は、20年くらいで止まりますが、
老化は、60年くらい続きますよね。


逆だったらいいのになぁー、って哀愁ただよってんなぁーーーーーーーリアルすぎんだよ、おいっ!!!!


ということで、もうちょい粘ります。



俺とイルカ?

俺はまぁ、なんだ?、確実に優雅ではないよね。
でもイルカは、ぜんぶ優雅だね。なにやっても優雅。



逆だったらいいのになぁーって、たぶんこれが正解!!!!!


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