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本人の意思

本人の意思を聞く。

これは、当然のことなのではないだろうか。


子どもでも、大人でも、
他人でも、家族でも。

相手に関わらず、本人に意思は聞く。

それが人として相手を見るということなのではないかと、
私は思っていたのだけど。




私の身近な人で、それをしない人がなかなかいないから、
感覚が麻痺していたのか。

最も身近な人である家族が、それをしないなんて、
思ってもいなかった。

というか、私自身が諦められていたせいで、
意思確認を家族にされなくなったから、
ちょっとずれていたんだ。

私が社会人になったことと、
自分で勝手にいろいろやっていることで、
家族は私に意思を聞くような機会がほとんどないのだ。

それに、私の友人たちは必ず意思を聞いてくれるから、
それが当たり前になりつつあったのだ。




話を聞いていたり、
以前の職場で様子を見たりしていると、
私の周りでは、
年齢が低いほど、意思を聞かれていない。

うまく言葉にできない、
遠慮して言えない、
そもそも選択肢が何かわかっていない、
と理由づけは様々だけれど、
そもそもその理由も真実かどうかも怪しい。

保育という世界ではもちろんのこと、
「こういう人」という見立ては大切だけれど、
見立てによる決めつけはあり得ない。

と思っていた。

それが、
当たり前のこととして定着していないことを、
忘れていた。


それが原因で、久々に家族と軽い口論になった。

私のことではなく、親戚一家の話なのだけど。


私は、本人に任せる主義だから、
本人がやりたいと言えば環境は整えるし、
逆に、本人が言わなければ私はやらない。

自分から言えないのであれば、
私から聞くとかはするし、
やりたいことを引き出すようにはするけれど、
最終的にやると言わなければ、やらない。

それは、本人の選択だから、
最終判断は本人に任せる。




親戚の子と、出かける約束をしていた。
だけど、普段外に出ない子だから、
熱中症については心配していたので、
行く時期をずらすことと、
もともと予定していた日に代わりに何をしたいかは
相談しようと思っていた。

そうしたら、熱中症という理由は一緒だったけど、
その子の親が、
「出かけなくていいよ」
「何か作るのは嫌いじゃないから、お菓子作りとか。」
と、私の家族に話したと私の家族から連絡があった。


私の家族が、その子の親に会う機会があると言っていたから、
その時に代わりにその子が何したいか、
私は本人にも聞くけど、
一応聞いておいてと、家族に頼んでおいた。

私はその子とは親戚だけれど、他人。
本人にはもちろん私から聞くつもりだったけど、
親への方が言いやすいこともあるかと思って、
親からも聞いてもらおうと思っていた。


だから、私の家族からLINEが来た時に、
それはその子が言ったのか、と
私の家族に聞いてみた。

すると、家族は、
「多分違う、親がそう言っていただけ。」
と。

本人の意思を聞き出すために頼んだのに、
親の意見しか返ってこなかった。


だから、私は電話して、
「本人に聞いてみてって頼んでと伝えたよね」
と言ったら、
「どうせ聞いてもわからないと親が言っていた」
と。

その上、私が
「本人に確認するからいいよ」
と言うと、
「そんなこだわる必要ない」

あり得ない。

普段からその子への態度は雑だけれど、
その子と相性が悪いからと言って、
人として蔑ろにしていいこととはまた別問題。

つい、いらいらして、
「そういう扱いをしてるから、あの子がああ育つんだよ」
と言ってしまった。




言ってしまったことはよくないけれど、
その通りなのではないかと思う。

周りの大人の対応で、
子どもの育ちは大きく変わる。

それを、わかっていたから、
いらいらしてしまった。

誰かに関わらず、
この子についての話をすると、
いつも何かしらで揉めている。


もう少し、平和に話すことができないものか。


それは、この子が意思を出さなくなるはずだ。

経験もさせないで、意思も聞かない。

で、結局「わからないから」と結論づける。


負のループになるだけだ。






「こども」と言うだけで、
親に従うしかないのか。






私が、できることはする。

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