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経験を積んだら、分かることがある
「経験が大事」
よく言われていることだし、自分が生きてきた中でも感じている。保育を学んでいた立場からも、自分の基礎として、何を経験してきたかは大切だとしみじみ思う。
自分で言うのもおこがましいけれど、私は人と違うという自覚があるから、人とは違う経験をしていると思うし、それが今の私につながっている。
経験をしたからわかっていることがあるのだ。逆に言えば、経験をしていないことはわからないというのが本音。
例えば、私はお菓子作りが好きなのだけど、作ったことのないものに対して「難しそうだな〜」と思うこともある。でも、実際に作ってみたら意外に簡単だったり。
刺繍は手先が器用じゃないとできないんだろうなと思っていたけれど、やってみたら、初心者でもやりやすいものも多かったり。
それから、ただ経験をするのではなくて、何度も経験したらわかることもある。つまり、経験を”積まないと”わからないこともある。
また私の例で恐縮だけど、刺繍は色々やってみて、「こうしたら、手先が器用じゃなくてもできるのかも」と思えることが増えた。
長年一緒にいる友人だから、いろんな一面を見られるようになる。
どれも、経験したから・経験を積んだからわかったこと。経験を積んでいない立場からするとわからないことや「え、そんなことないでしょ」と思われてしまうこと。
違う経験をしていれば、違うことを感じるのは当たり前で。同じ経験をしても、今までの経験が違うのだから違うことを感じるのは当たり前。
色々な経験の積み重ねが、自分の今を作り出している。特に最近はこう感じることが多い。
私は今までの経験があるから私なのであって、今更変えることはできないんだよな…なんて思うこともある。
でも、その「変えることはできない」のは経験してきた「事実」だけ。その経験を「どの角度から見るか」は変えられる。
言葉にしてしまうとなんだか綺麗事のようだけど、本当はもっと繊細で、わかりにくい。今の私はそう思うことで、自分の在り方を探している。
自分がどういう人間なのか、私はどう在るべきなのか、なぜ私は死なないのか。
生きている意味がわからない私にとって、これらを含む「私の生死の意味」はわからない。
それがわかった時、私はきっと、本当の意味での「自分を“受け入れる”」ということができるのではないかなと思う。
私が、私で在るために、何ができるのか考える。
それが、今死なないためにできること。