生理的な好みを感じられたら
私は、「好きなもの」が多い。加えて、「嫌いなもの」は少ない。それから、「好きではないもの」も多い。
私の中の好きなものは、心地よくいられるもの。そして穏やかな気持ちでいられるもの。とても抽象的なのだけど、心身ともに、「これが必要なんだ」ってわかる。
私は生活が好きなもので溢れていないとストレスが溜まるタイプなので、「好き嫌いのセンサー」が鋭いほうだと思う。
もちろん好みは変わるものだから、「今は何か違うな」と思えばそれを探して入れ替えていくこともできる。ずっと好きなものはずっと好き。
私の嫌いなものは、生理的に受け付けられないもの。こちらも抽象的だけど、心が何か思う前に、体が反応して、体調が悪くなる。
それの何が嫌い、とかそういうのではなく、もう受け付けられないのだ。
シンプルで、わかりやすくていいけれど、ただの逃げだと思われることもある。
私が1番嫌いなのは、「自分が話すこと」
こうして、文章を綴ったり、人の話を聞いたりすることは好きだけれど、自分自身が声を発するのが嫌い。
昔からそうだし、今でもそう。だから、自分が話す機会がある時は、前後で体調を崩してしまう。
大人になって何が1番困るかって、仕事。どんな職業でも自分が話す機会なんて溢れるほどある。だから、私はどう働いていくかをずっと考えている。
実際、保育士だった頃も、ライターの今も、話す機会が数えきれないほどあるから、ほぼ毎日のように身体に何かしらの不調をきたして、心も疲れてしまう。保育士は毎日話すし(ライターになってからは回数は減ったけど)、日々仕事に行くのが憂鬱で。
私は自分のことは結構よくわかっているつもりなのだけど、よくわかっているのもつらいもので。嫌いなことなんて知らなければ、こんなに苦しまずに生きられたのにな、とか思ってしまう。
生理的な好みは、自分の本当の気持ちがわかることに繋がるから、ありがたいと言えばありがたい。
だから、生理的な好みを感じられたら、次は「その上で、自分がどう生きていけるか」を考える。
それが、自分自身を認めて、心地よく生きていくことだと思うから。