あきらめは手放すこと
アメリカ行きは急に決まった。
妹が仕事関係から、「英語ができてすぐに動ける人探してます」に私を推薦してくれたのです。即面接に向かい、即採用。1ヶ月後にはアメリカ行きの飛行機の中にいた。この時は妹が背中を押してくれたのね。ありがとう。
アメリカ本土は初めてで、気分はアメリカンドリームの国!Yes!
で、オハイオ州のクリーブランドと言う聞いたこともない街へ。日本企業のアメリカ支社だったから、全て生活の場は用意されていた。大きなキッチンに日本では見ないかなり高さのあるベッド。縦型式でコードがやたらと長い電話機は、部屋中引きずって回れるほど(昔の映画でしかもう見ないね)。リモコンでドアの開閉ができるガレージ付きで、車を与えられ、ハイどうぞって始まったアメリカ生活。
クリーブランドは緑がやたら多い美しい田舎街。映画で見るような典型的なアメリカの郊外で、どこに行くにも車はマスト。公道もハイウェイも道幅が広いので運転は問題なし。ただ、人と出会わない…だって人が歩いていないから。
映画で見る、庭で芝刈りをしている人が "Oh hello!" って弾ける笑顔で手を振ってくれるアメリカンファミリーの姿は少なくとも近所にはいなかったのです。みんな車に閉じこもり、家と目的地の間を往復するだけ。
昼休みはほとんど会社の人と一緒で、食べる場所のオプションといえばオフィスの敷地内にある中級のホテルか、マック。今考えても一体何を毎日食べていたかも覚えてもいないわ。
敷地内のジムに行ってもたいてい私一人。
月一で支社のあるLAに行ってはいたけど、LAこそ車社会。宿泊先はありがたくもオフィスの入ったビルの隣のホリデーイン。もちろん与えられる車もなく…毎日何していたんだろう…
それでも1年くらいが過ぎて、せっかくだからビジネススクールにでも行こうかと考え出していた時に、会社のアメリカからの撤退が決まった。
あれほど友達もできず、住んでいる場所が都にならなかった時期は後にも先にもない。
覚えていることと言ったら、大量の資料のファイリング、オフィスやホテルの窓から見るアメリカ、何かにつけて旅行したヨーロッパ。
Everything happens for a reason. 全てのことに意味がある。
あのアメリカ滞在が教えてくれたことは、あの時、あの場所は私のいるところではなかったってことかな。この先どこかでこの経験を活かせる時が来るだろうと、潔く日本に帰国したのでありました。