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人生の選択ー未知の世界ースーパーモデル
当時、眩いほど絶対的な存在感を持ったナオミキャンベル、クリスティターリントン、ケイトモスなどは「スーパーモデル」と呼ばれ、ファーストクラスで来日し、5つ星ホテルに滞在、ファッションショーでのワンステージでたった1着を着るだけでも数百万円と言うギャランティーが支払われていた。
最初に語学留学を決めた時、ある人が英語を勉強してどうするつもりなの?と聞いてきた。闇雲に行動しても目的がなければ実にならな
人生の決断ー最大の断捨離ーバリ島へ
2010年12月、帰る家は無くなった片道切符で、主人と2人スーツケースを2つずつ、バリ島行きの飛行機に乗った。
20年間勤めたモデルマネージメント業は短期で常に新しいモデルたちとの出会いがあり、昔から夢だったファッションショーも裏側まで見ることができ、英語は日常語となり、これまでの経験をすべて詰め込むことができる仕事だった。辞めようと思うたびに、何かに引かれるように天職なのかと思いとどまることと
セドナで見つけた人生設定
行きつけの歯医者さんでセドナについての本と出会った。
その何週間か前にヨガの先生をしている友達が一人でセドナに行き、息を呑むような景色の写真をFacebookにあげていたのを思い出した。
そして誰かが、セドナって行こうと思ってもなかなか行けないところだよね。何かが足止めしたりして、だから、行ける時に行ってしまうのが一番ってことも思い出した。
大の苦手な歯の治療中も、頭の中でセドナの空が広がっ
あきらめは手放すこと
アメリカ行きは急に決まった。
妹が仕事関係から、「英語ができてすぐに動ける人探してます」に私を推薦してくれたのです。即面接に向かい、即採用。1ヶ月後にはアメリカ行きの飛行機の中にいた。この時は妹が背中を押してくれたのね。ありがとう。
アメリカ本土は初めてで、気分はアメリカンドリームの国!Yes!
で、オハイオ州のクリーブランドと言う聞いたこともない街へ。日本企業のアメリカ支社だったから、全て
人生の選択はいつも背中を押されてpart1.
東京のモデルクラブで外国人のモデル達をオーデションに連れ周り売り込むと言う「マネージャー」の仕事を3年間。その後、デスクとしてモデル達のマネージメントをする「ブッカー」を3年。
モデル達を引き連れてめちゃくちゃ遊んだ。乃木坂の交差点の角で目覚めたこともあったし、モデルの部屋で朝まで過ごしたこともあった。いやあ、楽しかった。笑
その時代は東京に外人モデルが200人以上はいたはず。その子達が1つの