「虎に翼」ラスト2週
本当に久しぶりに朝ドラを通しで見ている。
まず、このドラマは「出来事」中心であって、脚本自体は人物の感情描写にはほとんど労力を割いておらず、役者のうまさでいい絵が成り立っているだけだという理解をしなければならない、という理解に至った。これは「鬼滅の刃」が流行ったときに言われていたことと似ていて、あの人数であの物語の規模を23巻ぽっちで終わらせられたのは「見せ場だけ絵が描いてある」「あとはナレーション」みたいな作劇だったからのようだ。これにとても似ていると思う。
この物語を「これは私の物語だ」と思って働く女性たちが見たのは、寅子に感情移入したからではなく、寅子に降りかかる女性としての不利、社会の理不尽に感情移入できるからだったのではないだろうか。
私も、寅子の行動原理はあんまり理解できない。多分、脚本家さんは最も寅子に感情移入して書いているのだろう、とみんなが思うから、「渡したくない花束は渡さない」みたいなものにSNSで大いなる反発があがったりしている。あの対応に私も感情移入はしなかったが、「渡したくない花束」を渡さなければならない場面にはたくさん遭遇してきたので、そこで感情移入できる。それを突っぱねられるマイノリティになれ!というメッセージには、ちょっともやっとしつつも、渡したくない花束はあったな、と思う。その繰り返しだ。
社会の構造を描くこと、嫌だった出来事をできるだけたくさん描写し、なんとか乗り切っていった女性たちの物語として成り立っているが、登場人物に感情移入するというわけではない。「社会的不利」を被ってきた女性として、今までこれもあれもやだった(例えば生理痛とか)を列挙されるのがおもしろくて、ずっと見てきたなあと思う。
だから、突如、自分に本当に近い属性の登場人物が出てくると(例えば「地方出身の頭のいい女の子」)「解像度低いなあ」とがっかりしてしまうのだった。あれだけ美人で、かつ東大に行って「私は普通の人だった」ってがっかりして自殺するようなキャラクターに「地方出身の女の解像度が高い」ってコメントをする人たち、実際に地方出身の頭のいい女をリアルで知らないな…とか思っちゃう。あの子は家庭に問題があって、パーソナリティ障害みたいなキャラとして書かれているじゃないか…。
昨日の、航一が突然キレて鼻血出して卒倒していたのも、さすがにあそこまで突然でかい声だして、卒倒せんやろどうした?という違和感がすごいあるんだけど、まあ面白い絵があるからいいか、みたいな…(てか、倒れるほどでなきゃいけないから、ボルテージ上げただろ、岡田将生…)
解像度は高くなくていい。ただもの申したかったシチュエーションがいっぱいちりばめてあって、ありがとう、と思った。来週も楽しみだな。