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ろう通訳とワタクシ: 木村晴美編著(2024)「ろう通訳ってなに?」

待ちに待った本が出版されて、本をいただいてしまった。

「ろう通訳」つまり、手話通訳をろう者がやる、聴者の通訳者とセットで協力してやるという「新しい手話通訳のかたち」について、基本的な事項を網羅した本だ。

東京のオリパラのときに話題になったEテレの「手話の人」が「ろう通訳」だった。とてもバズっていたTwitterの投稿はこちら。

ろう通訳とワタクシ

私も最近「ろう通訳」については書いていて、もうすぐ出版されるので(その前段階のとっちらかった発表資料はここに置いてある)、「う、この本があと半年早く出版されておれば・・・」と、タイミング的に引用したい部分はいっぱいあったが手遅れであった。仕方ない。

https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/247472/27b24be4411df22c392d40cb0479e407?frame_id=758134

2015年から木村先生をはじめ、手話教師センターの方たちが「ろう通訳」養成に取り組んでくださっているおかげで、先進的な事例に携わらせてもらうこともできている。2022年のTISLR(国際手話言語学会)の通訳コーディネートの仕事も、ろう通訳が多い現場で、バックステージがわかって大変勉強になった。実際の現場に「観察者」ではなくて、実践の中に入れてもらうことでわかることはいろいろある。(国際手話の通訳者兼コーディネーターに「リレーが長っ・・」とお小言を言われながら)

「ろう通訳ってなに?」は、学術書というには引用文献が少ない。ただ、アメリカの事情に詳しく、「「ろう文化」案内」など翻訳を手がけてきた森亜美さんが、アメリカの事情、ヨーロッパの事情についていくつか書いている。

さらに、本の最終章に有名なろう通訳者、ろう通訳者を研究した聴者の通訳者・通訳養成者、ろう通訳を使って仕事をしているアメリカ在住の日本出身のろう者のインタビューも入っていて、確かにそこに「ろう通訳」という仕事が確立してきた海外の事情が引用されている。「ろう通訳」の実践と養成は、こうやってアメリカなどの実践を取り入れながら、海外のろう者から直に、あるいは間接的に学びながら行われてきたことがわかる。

私も、アメリカ滞在中に、木村先生らがろう通訳を伴ってCIT(Conference of Interpreter Trainers)に出張してくるというので、合流したことがあった。この学会は、アメリカ手話の手話通訳者を養成している先生たちの集まりだが、基本的に全てアメリカ手話(と英語のスライド)で話が進むので、私は、アメリカ手話から日本手話へ通訳してくれる「ろう通訳」の方々の通訳で話を理解していたのだった(アメリカ手話はほぼ未習)。

それ以外にも、国立国語研究所で、私のメンターである聴者の研究者が来日したときに、ろう者むけのワークショップを開催させてもらい、その際にも起点言語をアメリカ手話にしてもらい、ろう通訳に日本手話との間をつないでもらったりした。

去年も、アメリカへ調査にろう者とともに行き、現地のアメリカ手話と日本手話の間を行き来できるろう通訳者にお世話になった。(あと一人の通訳者は聴者。すごい。)専門的なトレーニングを受けた人もそうでない人もいたが、海外に出ると、ろう者コミュニティに入ろうとするとき、私が圧倒的に言語的弱者になる。ろう者は数日もすると「国際手話」という混成言語で話し始めたりもする。その感覚がイマイチつかめてない(お酒が入るとちょっとできるw)

そういうわけで、私は「ろう通訳」からの恩恵を日本一受けてきた聴者なのではないかという自負(?)がある。

この本で、割と重要だけどちゃんと書いてあるのはなかなか見たことがなかったなと思ったのが、「ろう者は手話通訳がいたとしても聴者集団に囲まれるとつらい」という話だったりする。基本的にマイノリティであるろう者が、手話通訳者に通訳してもらうとき、通訳者はろう者の側に立つ人になるのだが、これまでは皆聴者だった。結局ろう者は聴者集団のなかでひとりきりの状態がかわらない。そこへろう通訳者が入ることによって、少しは「マイノリティとしてのつらさ」が軽減されるのだという話だ。

いろいろなグループに入って研究をさせてもらってきたけど、「ろう者」と「聴者」の間には越えられない溝がある。その溝を渡った先に何があるか聴者の一部の人間は知っているけれども、どうしたって「同じ」になるわけがない。「ろう者」が知っていること、彼ら特有の経験に裏付けられているものは、全然違う。「わかったつもり」で常にわかっていない。そして、ろう者はそれまでの経験から、聴者のことは「大嫌い」か、そうでないにしても「うっすら嫌い」なのだ。基本的には抑圧者の属性をもつ人だからだ。身体性が違うっていうのは、結構大きな差で、女性ならわかると思うが、自分より体がでかくて声が大きい男性は、(魅力的に見えるかもしれないが)「うっすら嫌い」だ。ある種の脅威だからだ。そういう感じだ。

このnoteにもそれについて書いたものがそういえばあった。

そういうわけで、コミュニティ通訳にこそ「ろう通訳」との協働通訳(CO通訳)が必要だという話には納得感があったのでした。


本の概要は、IGBの伊藤さんが書いているので、気になる人はこちらへ。(なんかこないだもこういう終わらせ方にしたな)

東京オリパラの開閉会式中継をきっかけに注目を集めた「ろう通訳」について、拙著『マイノリティ・マーケティング』でも取り上げています。先日行われたパリオリンピックでも大活躍していました。 私のコラムでは、ろう通訳者の戸田康之さんにインタビュー...

Posted by 伊藤 芳浩 on Friday, August 23, 2024


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