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「3000万語の格差」

結構前に買っていたけれども、さらっと見て放置していた本。夏の出張の時にも言及されたので読まなきゃ読まなきゃと思っていて、つい後回しになっていた。とはいえ、必要なのでようやく読んだ。

タイトルの「3000万語の格差」というのは、この人がやった研究ではなく、ハートとリズリーという研究者が、乳幼児期の子どもの家庭に定期的に記録を取りに行ってみて、親が専門職、普通、貧困(ただし定期的に家に行けるくらいには安定している)で、上位と下位で子どもが聞いている語彙数の差が3000万語くらいあり、その後の学業成績に影響してるよ、だからみっつのTを意識して語りかけ育児をしましょう、というイニシアチブをやってるという話。みっつのTについては、翻訳者の解説動画でも解説されてるので省略。

小児人工内耳外科医 @シカゴ大学

まず、この本を我々が読まねばならない本である理由は、手話の早期療育の研究をしているからだったりする。ある意味、この論文を書く前に読んどけよって本だった。こういうのも書いた。

高嶋・伊藤(2023) ろう・難聴児の就学前教育と支援の現状と課題 ー社会性の発達に着目した“特別支援保育”のあり方の検討ー 乳幼児教育・保育者養成研究第3号

ただ、これは小児の人工内耳装用後のリハビリについて詳しく書かれた本ではなかった。1歳で埋め込み手術をした子と、2歳で手術をした子でその後の経過がまるで違ったので、早くインプットを開始しなければならないんだと気づいたという話が第1章で触れられているのみである。

著者のダナ・サスキンド先生は、シカゴ大学のスーザン・ゴールディン=ミドウ先生の言語発達の授業を聞きに通っていたという。この名前を知らない手話研究者は、いない。Goldin-Meadow先生は、ホームサイン研究の第一人者だ。

Goldin-Meadow先生の本は、言語発達が基本的にどうなのかということを踏まえて「インプットが不足しているとどうなるのか」という疑問に答えるホームサイン研究までを説明した本である。言語は親のインプットだけにはよらず、子どもの生まれ持った言語能力によって「創られる」ということが書いてある。

シカゴ大学には、ジェスチャー研究の第一人者であるDavid McNeill先生や、手話音韻論のDiane Brentari先生などもおり、手話・ジェスチャー研究の拠点のひとつである。

ただ、サスキンド博士は、他の様々な雑談みたいな情報が結構含まれる執筆スタイルのなかで、手話のことについてはほとんど触れていない。手話話者は識字レベルが低く、手話では読むことは学べないということが書いてあり、「手話言語を主体としたトータルコミュニケーション」みたいなざっくりした記述がある(トータルコミュニケーションは、古い教育スタイルで、「手話言語」を主体にしていないことが多い。我々の論文にもその辺書いた)。そして、聴覚障害者支援にはお金がかかるし、手話で育てると小学生レベルで英語能力がとどまるし、大学進学率は低い。人工内耳はそれを解決する夢のような技術だと書かれている。ふうむ。

Goldin-Meadow先生のような先生の授業に出ていても、その程度の認識でさらっと記述して出版できてしまう程度にしか、ろう者コミュニティのことは知らないのだな、と思って読み進めるしかない。

訳者解説でも、「1. 耳が聞こえない人たちに関する記述」とあるけれども、特にそれに特化した情報は書かれていない。項目立てたらちょっとは調べてください…と思うんだけど。この項で、「サスキンド博士の活動地域は、米国の大都市の中でも特に貧困層が集中する地域であることを忘れないで下さい」とある。訳者はとりあえず、聴覚障害には詳しくないような気がするな。もうちょっとなんか書いて欲しかったな…。

この本では、聴覚障害は「インプットが極端に少ない例」として取り上げられているにすぎない。

言語のインプットの質(方法)と量について

私が思い出したのは、スティーブン・ピンカーの「言語を生み出す本能」であった。まあ古い本だし、今ではここまで言語能力の生得説に依拠して議論する人はいないだろうけども(言語の個人差: Individual Differencesの研究など)、ある程度我々が信じているのが「音声言語を持たない人間コミュニティはないし、どの言語も似たような複雑さを持っている」ということだ。

子どもへの語りかけをしない文化もあるが、そこに明確な言語の複雑さの差はない。側聞だけで言語獲得する言語でも同一の複雑性を持っているものだというもの(当該箇所を読み返すとちゃんとした引用文献などはない)。

ニカラグア手話について日本語でざっくりまとめてある記述が読める本が少ないし、言語獲得の一方の極の説を読むには今でも一回は読んだらいい本。読み物としても面白い。

親が手話があまり上手じゃなくても、子どもはちゃんと文法にかなった手話を話すようになった話とか、必要最低限の話しか伝えられないホームサインを話していた子ども達を集めて置いたらニカラグア手話ができたとか、子どもの驚くべき「生得的言語能力」について当時何が信じられていたかについて書かれている。元の本は1994年の本である。英語版はAudible聴き放題に入ってる。

言語が学べるかについては、多分、環境からのインプットで、外枠はできるよってのが正しいような気がしている。インプットの量なのか質なのかについてまだまだわかってないことが多い。インプットの量が減るだろう継承語であろうがその体系性と複雑性は、変わらないというのが最近の研究だ。

継承語というのは、社会の主流派言語(日本なら日本語)以外の家庭で話されている言語のことだ。

ただ、バイリンガルの研究で、語彙の数などは、インプットの量に依る(モノリンガルの子の語彙数>バイリンガルの子の1つの言語の語彙数)ことはわかっているわけで、インプットの質は語彙数とか、記憶に関わるものはインプットの量と相関関係がある。あんまり使ったことがない単語が出てきたら余計に時間かかる。だから、語や文のインプットが多い方が学業成績がよくなるというのはわかる。

一方で手話言語でわかってるのは「ホームサインは複雑性が低い」とか、「二次的手話は複雑性が低い」(製材所の手話とか、第一言語話者がかんでないやつ)。だから、第一言語の獲得期(この本では4歳の誕生日を迎える頃まで)に、インプットがちゃんと「言語」じゃないと、言語の複雑さはいかんなく発揮されないんだろうな。

インプットの質や量で獲得される「言語」がどのくらい変わるのかについては、3000万語の格差では触れられていない。まあ「言語」の外枠と、2〜6万語くらい使える語彙とはまた別の話なんだろう。そして語彙が多い方が、知っている概念が複雑になり、学業成績がよくなるわけだ。

いやしかし、そもそも聴覚障害で知覚できる語の量も質も少ない子ども達と何を比べようというのだ、とも。出発点はただのエピソードか。

語りかけることは無料なのか

語りかけるのは、一円もかからないと解説に書かれているけれども、語りかけはそれなりに大変だ。正直、熱心に語りかける親ばかりじゃないだろし、そもそも話すことがあまり好きじゃない人もわりといる。そして、子どもに語りかける元気がないから語りかけてない、やるべきことがわかってもやる気力がない人が多いかも…とも思う。疲れ果てて、何も考えたくなくてテレビを流しっぱなしにしていたい、という親に対して「テレビを見せるだけじゃ子どもの言語発達にはいい影響はありませんよ」とか言っても「そんなこといってももう疲れた」って感じだろうよ。

語りかけ方を教えるとあるが、家でのやりとりを増やすべき対象ってのは、教える・教わることが苦手な層なんだろうなあと思ったり。そもそも、教わるのが上手な人たち、この本にたどり着いて読んでいる人たちは、この本を必要としない。この本のアイディアにピンとこないような人たちの子どもがターゲットなんだという矛盾を感じるな。

あと、この言説が流行ると、うちの子が頭が悪いのはお前(妻?)のせいだと言い出すモラハラ男が大量発生しそうなヘルジャパン。

訳者の解説動画が熱い

保育園の安全基準だとか三つ子ちゃん面倒見てるのと同じの先生のヤバさとかは完全同意なので、そちらへの訴求力を期待しつつ、訳者である掛札先生の熱意あふれるレクチャー(2022年)動画が充実しているので、ご覧になってみると良いだろう。

合わせて読んだ方が良さそうな本

自分が「あんまりがんばらないでいいや」と思ったときに参考にした本が以下。いうて自分は3000万語の格差のタイトルの元になった研究ではもっとも家庭で話される語彙が多い群とされる「専門職家庭」に属する母親なので、がんばらなくていいや、というのはあるんだけども。だってさ、私だって、一応大学の授業90分話し続けるとか、できるんですよ。初めてやったときは、40分くらいで限界でしたよ。そう、相手との「会話」でない発話って、トレーニングして場数踏んで身に付ける技術なんです…。(一回休憩を入れて後半みたいなことを何度かやった)
反応がほとんどない赤ん坊に向かって話し続けるとか、職業病でもなきゃ難しいといわれればその通りだと思う。

結局、貧困家庭では、こういう介入はあんま効果奏していないよって書いてある。虐待する、無視するとかよくない。やっちゃいけないことを参照するのにいいかも。

親より子どもが属するコミュニティのほうが絶大な影響があるよって書いてある。学術的な記述が多いので読みにくいというレビューが多い。私はむしろこういう本の方が読みやすいんだけど。とりあえず気楽にいこうという証拠。

これらの本を合わせると「預け先をちゃんと選べるといいよね」「親は機嫌良くいるのが一番」みたいなかんじだ。「3000万語の格差」は、どっちかというと、余裕がある人が「よりよい子育てを目指す本」で、最低ラインは「子どもにしんどい・きつい思いをさせないこと」だと思う。もちろん、話しかけることばがある人はしたらいいし、それなりの結果はでるだろうけれど、なんとなく「親を追い詰めそうな内容はいやだな」というセンサーが働いたのであった。

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