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言語政策学会に行ってきた

京都大学は故郷である。「第二の故郷」とかじゃなくて、故郷だと心身が認識しているようだった。実家に帰って充電する人がいるように、大学に足を踏み入れた途端に身体が軽くなったような気がした。指導教官が「タカシマさんは、目をつぶっても構内を歩けるよな」と言っていたが、いつも通っていたキャンパスの木々が大きくなっているのをひとつひとつ、かみしめるように確かめて歩いた。

寝ながら書く予稿集

学会発表は、割と勢いで出したのだが、保育士試験のこともあり、保育士試験のあとになぜか持ち時間2時間の発表もあり、論文の〆切もあり、予稿集は寝ながら書いた。寝ながら書いたにしては、とも思うが、やはり寝ながら書いたのクオリティである。

この半年、心身ガタガタをなんとか埋めつつ、妙に忙しい日々を乗り切るために「絶対に夜は寝る」を愚直に続けてきて、もう夕方5時以降には一切頭が働かないのに、「予稿集提出は当日中」みたいな〆切に対しての習慣だけ「まだ時間あるから大丈夫」となっていたのだ。阿呆。その身に染みついた感覚も切り替えねばならぬのに、生活習慣だけ整えていた私の失態である。論文〆切についてはなんとかなっていたのに、学会発表への感覚だけ、取り残されていたのである。それで、仕上げをお風呂上がりにしようと思ってファイルを開くも、昼食を食べた後みたいな、あらがえない眠気のなか、「とにかく提出せねば」と気合いで書いて、推敲して、推敲してるあいだに何度も寝落ちして出したのがあれだ。文字通り「寝ながら書いた」だ。

発表準備について

発表準備もなんか息切れ気味で、発表前日の宿で「うわぁここから話し始めても意味わからねえだろ」と、1週間前に余裕で通訳者への資料として出したスライドに、情報を足す・足す・足す…。

1週間前に手話通訳者の準備用資料を出してください、と言われるし、結構コーディネート業務をやってきて「出して」って言う方の立場でもあるのだが、かといって「1週間前のクオリティから上げないことを強要されている」と思う必要はない。手話通訳者には、一言一句必要な文言を渡すのではない。だいたいの話の流れとゴールがぶれてなければ、ある程度修正しても、なんとかなるはずだ。

問題があるのは、資料が全くないことと、「意図がわからないまま通訳させること」。

会議通訳の基本図書のこういう本とかでも、とにかくその発話がどこに着地するのか予想できないと同時通訳は話し始められないので、資料の読み込み方も、時間がなければとにかくサマリー、何を主張するためにこれから話すのかについて情報を集めろみたいなことが書いてあった(手元に今ないのでうろおぼえだけど多分この本だったと思う)。あとはその分野で使われる用語の予習…。使いそうな用語は事前資料の中に入れておけば、そこからの修正は、許されると信じてる。

だから、手話通訳打ち合わせに行くときも、言いたいことについては一言で話せるようにしている。それができない発表は、だいたい失敗するしね…。

手話通訳打ち合わせ

前にも書いたけど、とにかく事前資料からの修正点についてまず伝える責任がある。ぎゃー申し訳ない。

あとは、肝となる部分。どうしても訳し落として欲しくないとこはこのタイミングで言っている。というのも、学会発表はとくに20分という時間でなんとか話を終わらせないといけないからだ。そして、どうやらかなり時間タイトな学会運営だから、質疑の時間までオーバーして話すわけにもいかない。手話通訳者がちょっと丁寧にやるタイプの人だと待ち時間が発生したりするし、結構要約して通訳するタイプの人もいるので、落として欲しくないとこはこのタイミングで伝えておかないといけないと思う。

打ち合わせの流れは基本的には通訳者にお任せだが…

発表

自分が何を言いたかったのかについて、実は話しながらわかってくることがある。なのでリハーサルは何度もやってみる。繰り返しすぎると余計なことを話したくなってきちゃったり、これは要らんなと削ったり。回しすぎると、自分の中に繰り返しで「あたりまえやん」が溜まってきすぎてしまい、全部要らないんじゃ…と不安になるので、それを超えるだけの時間的余裕がないときはやりすぎ注意…。

結果的にいろんな方にコメントをもらい、幸せな発表だった(10年以上前に一緒に論文書いた仲間も来てくれて、コメントをくれた)。終わってから言語景観って何ですか?って聞きに来て下さった方も。言語景観って看板とかの話が多いけど、メディアの話もぜったいあるはずなのにそこまでサーベイが及んでいない私、不味いなと思った。

シンポジウム

懐かしの大教室でシンポジウムが行われていた。この教室は美術史や数学の授業を受けていた教室である(美学・美術史の副専攻だったのだ。数学は大学入って早々、なんかいいやってなったけど…)。机はきれいになっていたが、部屋の造りは変わっていなかった。

シンポジウムでは質問はPadletで受付だった。あまり質問の数がなかったので、私の質問が2つ取り上げられた。質問の1つは、懇親会でも続きの詳細を聞くことができ、かつFacebookでお友達にもなってしまった。懇親会って超重要だ(今回はホントに初めての人とも話すことができた)。そして、学会の休み時間が少なかったのはよくなかった。懇親会に手話通訳がつくのが当たり前の未来はいずこ…

ちなみに、この大学主催の言語学会の懇親会には、アメリカ手話の通訳が何人も通訳者として参加する。ボランティアで通訳するわけではない。そのおかげでアメリカ人ろう者の手話研究者とも懇親会で知り合うことができた。

私の過去の記事:別々のルートで結果が同じになる?

もう一件の質問は(シンポジウムのテーマは「多文化共生のまちづくり」だが)、このシンポジウムでやさしい日本語の話題は出ているが、相手の言語に合わせた対応が見えないことに関してだった。例えばろう者が相手なら、手話を使えるようにならない限り、一緒に何かしたりするのは難しい。筆談なども使えないわけではないが、リアルタイム性がないし、5分で飽きそう。

それに対して、相手の言語、マイノリティ言語を使う言語権についても守らないといけないというまっとうな意見もあったが、「片言でもしゃべりながら一緒にご飯を食べれば大丈夫」とおっしゃった先生がいて、「えっ」となった。首が80度くらい曲がる。

ディナーテーブル症候群というのをろう者関係者が訳して日本でも広めたけれど、ろう・難聴者は、聴者の家族が団らんしているとき、同じテーブルにいながらその話の輪に入れず、孤独を感じてしまう。家族だとしても一緒にいて楽しくない、という問題提起だ。

つまり、ディナーテーブル症候群って、同じ釜の飯を食った絆とか「おしゃべりしながらご飯を食べれば大丈夫」の対極にある概念だったんだという気づきがあった。私はあまり親睦会がそのようなものだと認識してなかったけど、確かに聞こえる人たちには強くある信念かもしれない。「一緒に飲み食いすれば仲良くなれる」。これが通用しないのが、ろう・難聴者だ。

インクルーシブ社会の実現というが、やさしい日本語を見ている人が、障害方面に疎いのはちょっといただけないというか、もっと言わないとダメなのかな…と思った次第である。

10年前の「やさしい日本語」ならぬ「わかりやすい日本語」論文はこちら。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jajls/16/1/16_KJ00008953103/_pdf


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