「星降る夜に」の趣
手話が話題になっている&視聴率もいいというsilentをリアルタイムで見て、とても疲れた直後のクールで、吉高由里子&北村匠海の「星降る夜に」をやっているのは把握していたが「もうしばらく手話ドラマはいいや、疲れた」となっていて、やっと視聴。
この手のドラマシリーズは、手話×恋愛という構図で、
男性が聞こえない(愛していると言ってくれ、silent)
女性が聞こえない(星の金貨、オレンジデイズ)
に分けられる。まあどっちにしろ「聞こえない主人公と聞こえる相手がその障害を乗り越えて」みたいなストーリーになりがちである。silentは王道のストーリー展開で、「星降る夜に」はそこを敢えて外すためにがんばった作品だといえるのではないだろうか。
聴覚障害=孤独のシンボル
これまでのドラマは「聴覚障害」を「孤独」の象徴として描いてきていたように思う。「星の金貨」の聴覚障害の主人公 ノリピーは、捨て子で結婚を約束した恋人が記憶喪失。「愛しているといってくれ」のろう者の男性画家・トヨエツは、ものすごい美男子なのだが(トヨエツの若い頃の迫力たるや…)、画商の女とか、妹とか、家族とか、チラチラ女の影(?)は見えるのだが、友達がいない。silentの主人公 目黒蓮は、中途失聴なので、昔は陽キャで友達もいっぱいいたのに、失聴後は友達と連絡を絶っている。なぜか手話は使えるのに。「オレンジデイズ」の中途失聴のバイオリニスト 柴咲コウも、なんかお母さんとの関係がおかしい感じだが、とにかく友達を拒んでいる。
要するに、これまでの手話ドラマの主人公(とくに聞こえない方)孤独設定をとにかく盛り込みすぎだろ…という(まあ、ドラマの主人公とかジブリやディズニーの主人公とかも、親がいなかったり、余計な登場人物がいないものだが)。
よし、では本作「星降る夜に」はどうかというと、北村匠海演じる主人公男子は、ろう者のおばあちゃんと同居していて、職場には手話ができる友達(千葉雄大)がいる。ただし両親は亡くなっている(両親が亡くなったことが遺品整理士の仕事のきっかけになっているが、そのキャラクターの造作としてはそこまで重要ではないかもしれない)
おばあちゃんも陽キャで、金髪のカツラとかを駆使しているし、家で踊ったりしているし、友達とパーティーをするとか言ってる(最終話でこのパーティーはなぜか聴者のばあちゃんたちとのパーティーであることが発覚し、この陽キャのばあちゃんならいけるのか?とおもいつつも、やはりそこはろう者の友達とパーティーしてて欲しかったなあ)
確かに手話を話す人はマイノリティだ。でも、北村匠海演じる一星は、ろう者のおばあちゃんがいて(両親はろうなのかはよくわからないけど)、日本手話なので、家の中では手話を使っていたし、聾学校にも通ったのでは? と思われる。にもかかわらず、イケメンなのに1人でキャンプしてるし、10歳も年上の聴者女性にアプローチしている。うーん。まあ、ろう者コミュニティ合わないのかな? とも思うけど(ばあちゃんもろう者ではなく聴者と仲良くやってるしな)。イケメンすぎて、仲間に入れないのか(聾学校に通っていたら、少人数で幼少期から持ち上がりのクラスのなかで、女子がみんな彼に恋をするもんだからめんどくさいとかなのか)などと勘ぐるところである。
周りの男女
とにかく、孤独な男女がいないと恋愛物語は始まらないわけで(?)、一星もまた独り身ではある。とはいえ、過去作のセオリーを崩しつつも作劇をなんとかしようと、「孤独じゃない」ろう者の主人公を作るんだ!という意気込みでできている一星氏、という感じなんだな、と。
「愛していると言ってくれ」の余貴美子(画商の女)は、トヨエツ(孤独な若いイケメン)に気があるようで、恋愛の壁要素の一部だったが、「星降る夜に」の水野美紀(一星の上司)はカラリとしたシングルマザーで、恋愛の壁でもなんでもなかった。その娘のほうが一星に思いを寄せているというのは、「愛していると」にもいた。妹がトヨエツを好きで邪魔してくるというやつ。まあね、色男はモテないといけないわ。ただ、これもなんかカラッと終わった。
このあたりのエピソードを見て「あ、これってアンチ「愛していると言ってくれ」をやろうとしている物語なのか」と思ってしまう。silentはどっちかというと、「愛しているといってくれ」令和版をやろうという感じであったが…。それだけあのドラマが影響が強いってことか〜。と思った。ちなみに「星降る夜に」は、なんとプロデューサーが「愛していると言ってくれ」のプロデューサーの娘さん。そりゃ翻案みたいなの出てくるよな。
そういう目で見ると「愛していると言ってくれ」では、幼なじみの男が常にヒロインの常盤貴子にひっついていたが、今回は同僚のディーン・フジオカが職場の同僚で「なんかありそう」な雰囲気に見える。ちょっと吉高由里子に思い入れがありすぎのイケメン。
そこになぜかムロツヨシがぶっこまれ、一応それが物語を盛り上げるスパイスとして機能しているのだが、ちょっとよくわからなかった。これは何ドラマ? 喪失を乗り越えるドラマ?
喪失を乗り越える
多分、「喪失を乗り越える」はテーマのひとつ(主軸?)で、人生の始まり=産婦人科医、人生の終わり=遺品整理士という対比をとっている。
silentでは、喪失は主に主人公の想の失聴により失われた人間関係に象徴され、それを取り戻す物語だった。これは「聴覚障害もの」としてはきれいといえばきれい。マジョリティが思う王道物語で感動ポルノだ。
そういうのを拒否すると、ちょっと入り組んだよくわからない物語ができあがるのがこちらのドラマ。
一星の友達の千葉雄大は、会社同僚と結婚するも、自分だけ仕事がうまくいかず、鬱病になって休職から退職、新しい職場(遺品整理)で、一星に出会い、手話を身につける。妻が妊娠、自信がない(まだ「自信」の喪失を乗り越えられていない)と言うが、妻の入院で一番大事なのは生きてることだみたいな感じで立ち直る。
ディーン・フジオカは、妻と子を出産時に失っているが、医者になることでなんとか乗り越えようとしている、回復のプロセス途上の人である。これと同じラインにムロツヨシがいる。吉高由里子演じる鈴は、このトラブルからほとんど回復しているが、嫌がらせのせいで落ち着かない。
この物語でおもしろいのは、鈴は冒頭で母を亡くし、その回復のプロセスにあるとかでもなく(それを描くには母とのエピソードが弱すぎる)、ムロツヨシがかき回しにやってくるものの、鈴の中ではだいたい「乗り越えたこと」になっているので、むしろムロの回復を手助けしてやる余裕すら生まれているというところである。また、一星も、喪失からの回復の手助けをする職に就いていて、親を亡くしたことや聞こえないことなどからの「回復」を必要とはしていない。
主人公2人はただ、のほほんと恋愛をしているのだが(鈴さんは手話の上達もものすごく早く、別にそれによって何かを乗り越えるとかでもない。コミュニケーションの壁も乗り越えるべきものとして描かれない)、その周りの人たちが彼らの手を借りて回復していくという物語がいくつか展開していく。
だからこのドラマはsilentより流行らなかったんだろうなとも思うんだけど、それでいいんだろうなとも思う。越えたかった物語は「障害を乗り越える」や「喪失を乗り越える」、「安易な三角関係」とかだったんだろうなと思う。
最後に踏み切りごしで「愛してる」って手話でやるエンドは、「愛していると言ってくれ」で常盤貴子がトヨエツの声を聞きたがったののアンチテーゼとして埋め込まれたシーンに他ならないのではないか。だって、別に主人公カップルは、恋愛を新たなステージに展開しなくても、順調に愛を育んでいるだけだったのだから。そして「踏切」みたいな「境界線」なんか、手話だったら関係ない、という、越える必要もなかった障害みたいな象徴性のあるシーン?
手話上手いの巻
もうちょっと比較検討とかしたいところだけど、とりあえず本作、北村匠海さんや千葉雄大さんの手話、上手くてビビった。デフヴォイスの草彅さん(すごく上手い設定の手話通訳者)より上手かったよね…。北村さんはネイティブサイナーになりきらないといけないから、要求水準が高かったのはわかるけど(非手指要素がイマイチというのはあるけど)、千葉雄大さんもうまい。あと、職場や飲み会で手話通訳をするとことかも、やってと言われてから訳してたり、割とそれっぽい風景ができていて、今までここまで手話がある暮らしが、違和感なく描かれているのは、作り手にろう者の友達がいる人がいるな? という感じがした。
ただ、二人ともなぜか文末の指さしが変に力強くて、これ手話指導の人がそんな風だったんじゃないか疑惑。弱化はノンネイティブには難しいか。
ヒロインの吉高由里子さんの手話上達速度はおかしなところがあるけど(本作は、シーンがずっと冬なので、数ヶ月であんなに上達…)まあそこはよしとして。(ってか、産婦人科医3人体制なのに、しょっちゅう医者が二人出払っていて平気なのどかな産婦人科医院だな…っていうのどかな勤務態勢だから勉強する時間があったんだろうか…)
手話指導特設ページなるものが、ドラマサイトと別のとこにあった。ドラマのさいとのスタッフのとこに手話関係のクレジットが載ってなかったから、たいした重さで扱われてなかったんだな? と思ってしまうところはあるが。
ろう者の五十嵐由美子さんと寺澤英弥さんも一応キャスト一覧に載っているが、ばあちゃん役の五十嵐さんはともかく、手話講師役の寺澤さんは、ただ手話を教えているだけなので、silentでの手話講師役だった江副さんより扱いは小さい。一方で五十嵐さんはなんか濃い役であった。ただ、このキャラ設定、看護師長の息子とビミョーにかぶっており(ファンキー)なんで?と思った。脚本家の手癖かなんかですか? 何もかも乗り越えて楽しく生きてる人の表象?にしては、最後に師長の息子は真面目な身なりになっていた。ピンクの頭になった娘もすぐに髪色を戻してた。そして師長のレディースは派手な服を脱いで解散…。ということは、ろう者のおばあちゃんだけが「ファンキーな見た目から卒業しない」ということ? とか考えるとややこしくなっちゃうので、ちょっと不明。
あと、番組公式のインスタグラムとかで、北村&千葉の手話講座なるショート動画が共有されており、これは…なんだ? と思った。面白いけど、まあまあもやるところでもある。まあ手話「映える」からね…
※最初の出会いのシーンだけが、時代に合わなすぎて、ちょっとやめて、ってなった。ああいうのは駆逐されるべき。突然許可なく写真を撮りまくり、話もしないのにキスとか…さすがにないわ…
以上、1年半遅れのドラマ見た感想でした。終わり。
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