
保育園問題について当事者側になって考えている
保育園問題、このあいだ公立の保育園に行ってみていろいろ考え込んでしまった。コストはかかっているのだろうけれど、子どもがごっちゃりといて、教育というよりは「集めて保護してある」かんじ…。雨だったから外遊びがなかったということもあろうけれど。子ども時代の記憶がかなり最初の方からある私にとっては、「ここに自分がいたらつらかったろうな」と思う。それでも「どこでもいいから入ってもらわないと仕事ができない」と入れなきゃいけないってどうなんだろう…ともやもやする。
妹は2人の子どもを保育園にやっているけれど「とにかく園庭でかけずり回れるところ」という利点で入れるところを選んだという。妹は地方都市にいるので10月入園も可能という環境ではあるけど、「選ぶ」ということ自体がほとんど不可能な都市部に住んでいると「入れられれば御の字」ではあるんだけれど、「なるほど、でもそれが利点なんだ」となる。妹曰く「疲れて帰ってきてよく寝てくれればそれでいい」…まあ元気な子どもならそれでいいよね。しかし私も夫も運動神経があまりよくないので、お庭でかけずり回りましょう的な活動を集団でやっているといきなり劣等感をはぐくみそうである…。現に幼稚園の時にはすでに、私はお外遊びが嫌いだった。
保育園は厚労省管轄の「福祉」的な事業で、文科省の担当する「教育」には入ってこない。だから、保育園で最初に説明されたのが給食とそのアレルギー対応についてだったことに合点がいった。つまり子どもを安全に保護しておく場所としてしか捉えられていないということ。保育園の入園の順番は「保育に欠ける子ども」が優先だというのも、「親が働かないとどうしても生活が立ち行かないから子どもを預かりますよ」というスタンスで始められているからだ。だからこそ保育料は、かかっている手間や地代に対してかなり安い。(また、保育士の給料は安いらしい)
でも、子どもが無為な時間を過ごしたり、劣等感をはぐくんだりするのでは、やっぱり考え込んでしまう。「強く生きろ」というところはあるし、1~3歳にかける教育コストをそのあとにかけるようにとっておくってことも重要だ。自分の人生だってある。ああ、子どもがいるということはなんて……悩ましいのだ。
幼稚園に入る前に足し算や引き算ができるようになっていた私としては、娘が自分と似たような子どもだとしたら、そういう好奇心を満たすインプットを与えてあげたいとも思う。これは決して3歳児神話に迎合するわけではなく、ただ、「平均とはかなりズレた子ども」だった自分を娘に投影して考えた帰結である。
よくよく考えると、仕事をする親が、朝7時~夜7時まで子どもを預けて働くってことは、平日はご飯を食べさせてお風呂に入れて、寝かしつけることしかしないってことだ。ホントに7時に帰ってくるとしたらすべて流れ作業でこなさないとどうにもならない。これが夕方の時間がもうちょっと長く取れれば変わってくるだろうなとも思う。ふだん終電で帰ってくることも多い夫の仕事を見ていて思うが、どうも「仕事をする」=「100%のエフォートを仕事に注力する」になってしまうことがそもそも社会的な問題なんだ、という思いを新たにした。