第25回 なぜ教員採用試験で落ちる人が多いのに、学校には落ちた先生がいるの? 素人からの無邪気な質問に、ジーニアス河野が、上品に皮肉を込めて答えるシリーズ!

素人からの無邪気な質問に、ジーニアス河野が、上品に皮肉を込めて答えるシリーズ!

第25回 なぜ教員採用試験で落ちる人が多いのに、学校には落ちた先生がいるの?

「なぜ教員採用試験で落ちる人が多いのに、学校には落ちた先生がいるの?」という疑問は、教育界の不思議のひとつかもしれません。

確かに、教員採用試験は高倍率で、毎年多くの受験者が涙をのんでいる一方で、学校には「正式採用ではないが先生として働いている人」が大勢います。この矛盾を紐解くために、教員の採用と雇用の仕組みを少し詳しく見てみましょう。

教員採用試験は「正規枠」の話
まず、大前提として、教員採用試験は「正規教員」(いわゆる公務員教員)を採用するための試験です。一方で、日本の学校には「非正規教員」として働く方法がいくつかあります。その代表的なものが「非常勤講師」「常勤講師」「臨時的任用教員」といった立場です。これらの先生たちは、正式な採用試験には通っていなくても、学校の人員不足を補う形で採用され、現場でしっかりと授業を担当しています。

つまり、「教員採用試験で落ちた=教師になれない」という単純な話ではなく、「公務員としての教師にはなれなかったが、学校で教えることはできる」という別ルートがあるわけです。このあたりが、教育業界のややこしさでもあり、同時に柔軟性でもあります。

学校は常に「人手不足」
ここで皮肉を交えるなら、「採用試験の倍率は高いのに、なぜ学校は常に人手不足なの?」という疑問が出てきます。実は、教員採用試験の枠は限られており、特に都市部では倍率が10倍を超えることもあります。しかし、一方で地方や特定の教科(理科・数学・技術・家庭科・特別支援教育など)では応募者が足りず、採用枠を埋めるのに苦労していることも少なくありません。

さらに、正規教員が産休・育休・病休に入ると、その代わりに「臨時的任用教員」や「非常勤講師」を急募するケースもあります。つまり、学校現場には常に「穴」があり、その穴を埋めるために「教員採用試験には通らなかったが、実力のある人」が働いているのです。

試験の評価と現場の実力は別物
もうひとつ興味深いのは、「試験の合否」と「実際に良い教師であるか」は必ずしも一致しないということです。教員採用試験では、筆記試験・面接・模擬授業などが課されますが、これらはあくまで「採用試験向けの能力」を測るものです。試験で落ちてしまった人の中には、教育現場で非常に優れた指導力を発揮する人も多くいます。

例えば、「面接では緊張してしまい思うように話せなかったが、実際の授業では生徒を惹きつける力がある人」や、「筆記試験の得点は少し足りなかったが、教え方は抜群に上手い人」などです。こうした人たちが、非正規教員として現場で活躍しているのは、教育の実態としては理にかなっているとも言えるでしょう。

なぜ試験に落ちても先生になれるのか
結局のところ、学校にとっては「現場で活躍できる人」が必要なのです。理想を言えば、「全員が教員採用試験を突破した正規教員」で運営できれば良いのでしょうが、現実はそううまくいきません。学校現場では、正規教員の不足や、一時的な人手不足を補うために、試験で不合格になった人にも「先生として働くチャンス」が与えられるのです。

また、実際に非常勤講師や臨時的任用教員として経験を積みながら、次の年に再び教員採用試験を受験し、正規採用される人もいます。つまり、「教員採用試験に落ちた=一生教師になれない」というわけではなく、「迂回ルートを通って、最終的に正規教員になる」という道も開かれているのです。

皮肉な結論:試験は本当に必要なのか?
ここでふと立ち止まって考えてみましょう。「教員採用試験で落ちた人でも、学校で活躍している」という事実がある以上、「そもそも試験とは何のためにあるのか?」という問いが浮かびます。

もし、採用試験が本当に「教育の質を保証するためのもの」ならば、試験に落ちた人が現場で問題なく働いていること自体が矛盾になります。また、試験に合格した人の中にも、現場で苦労する人はいます。つまり、試験が「適性を完璧に見極める」仕組みにはなっていない可能性があるのです。

この構造をユーモラスに言い換えるなら、「学校という舞台では、オーディションで落ちた人が実際の公演で大活躍している」という不思議な状況が続いているのです。それならば、「オーディション(=採用試験)の基準を見直すべきでは?」という議論が出てきてもおかしくありません。

結論
「教員採用試験で落ちる人が多いのに、学校には落ちた先生がいる」という現象は、日本の教育界の「試験制度」と「現場の人材不足」という二つの事情が絡み合った結果生まれたものです。倍率が高く狭き門に見える教員採用試験ですが、実際には多くの先生が別のルートで学校に入り、しっかりと教壇に立っています。

皮肉を込めて言えば、「試験は、教師の適性を測る手段ではなく、単に『正規採用されるための関門』でしかない」のかもしれません。そして、その関門を突破できなくても、教育現場には「必要とされる先生」がちゃんと存在しているのです。

結局のところ、試験は一つの通過点に過ぎず、本当に大切なのは「教育の場でどれだけ力を発揮できるか」なのかもしれませんね。


レトリカ教採学院
河野正夫


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