エンジニアの生態から考える、おもしろい技術が期待通りの成果を生まない理由
IoTやGenAIといった革新的な技術が登場するたびに、企業は期待と共に投資を行いますが、大抵は期待外れの結果に終わります。この理由は主にハイプ・サイクルなどで説明されますが、ここではエンジニアの生態や企業の判断に焦点を当てて考えてみます。
成果を生むのは「退屈な技術の使い方」
エンジニアが楽しむ活動と、企業が求める成果を出す活動には隔たりがあるように思います。
エンジニアは、新しい技術を試し、動作確認するまでの「自由研究」段階が最も楽しいものです。しかし、実際に利益や成果を生むシステムやサービスを構築するには、細かいバグ修正やテスト、想定外のケースに対応するための緻密な設計といった、エンジニアにとって退屈と感じる作業が不可欠です。
つまり、どんなに面白い技術であっても、その技術を「楽しく使う」だけでは成果は期待できません。むしろ、それを「退屈に使う」ことが、成果を生むための条件です。
「エンジニアの自由研究」に予算をつけてはいけない
ある技術が注目されると、「この技術を活用しなければ競争に遅れる」というプレッシャーが生まれます。メディアはその技術の活用度をランキングし、株主は「AIを使って企業価値をどう向上させるのか?」と問いかけます。
このような状況では、その技術をどう活用して成果を出すかが不明確な場合でも、試すこと自体に予算が割り当てられます。その結果、エンジニアは通常の「退屈で地道な作業」によって成果を出さずとも、一見すると意味がありそうだが実際には成果に繋がっていない、華やかなデモンストレーションを作るような「自由研究」に終始してしまうのです。
産業全体にとっては成果が出なくても投資はあったほうがよい
もちろん、技術への投資は長期的にはその技術の進化を促し、産業全体にも恩恵をもたらします。Googleのような体力のある企業では、「20%ルール」によってエンジニアの自由研究を許すこともよいでしょう。
しかし、企業が短期的に成果を求める状況で、おもしろい技術を「おもしろく使う」だけでは、技術の発展を支える「人柱」的な役割にとどまってしまいます。もし他社を出し抜き、最先端の技術で成果を得たいのであれば、その技術を「退屈に使う」ことこそが成功への鍵と言えるでしょう。
以上です。