かつて「チラ裏」という言葉があった
2チャンネルと「チラ裏」
2ちゃんねるを中心に使われていた「チラ裏」というネットスラングが存在する。ググってみると「どうでもよいくだらない投稿に対し"チラシの裏にでも書いてろ"と批判をする言葉」という説明されることが多いようだが、当時引きこもりで四六時中2ちゃんに張り付いていた私の感覚では、もう少し偏屈な次のような意味合いのスラングだった。
「2ちゃんは現実世界で何の楽しみもないどうしようもない人間が、便所の落書きのような無価値なことを書きなぐり、一時的な慰めを求める場所であり、何か意味のありそうな主張をしたり、意見を述べたいのであれば、それはチラシの裏にでも書いてろ」
また、「チラ裏」時代の2ちゃんねるでは、投稿に名前を入力する欄はあったが無記入(匿名)が一般的で、固定のハンドルネームを入れて投稿する通称"コテハン"と呼ばれる一部の人は「目立ちたがりのイタい奴」という扱いだった。
このように当時のネットでは、自らの意見を主張したり、個性を表現したり、自己主張を行うことへの反発が強かった。承認欲求を公然と晒すことに対する嫌悪感がネット民の共通認識として存在していて、それが「チラ裏」というスラングに表れていたように思う。
ネット上での個性の許容と「嫌なら見るな」への変化
いつからかネット上で「チラ裏」という言葉をほとんど見ることがなくなった。紙の新聞や広告が廃れ、語源となった「チラシの裏」という表現が伝わりにくくなったこともあるかもしれない。しかしそれ以上に、レビュー・口コミサイトやブログサービスが登場し、個人の意見や感想を公に投稿し、共有することが許容さるようになったことが大きな要因だと思う。
この環境化では、投稿される内容の信頼性や権威が重視されるようになる。その結果、匿名性は徐々に排除され、かつて異端視されていた同じ名前(コテハン)を使ってネット上に個性を確立することが当たり前になった。さらに、mixiなどのSNSが登場してからはどんな些細な情報でも気軽に共有し、いいねやフォロワーを集めることは正義になった。
このようにして、ネットは匿名での便所の落書きから、個人が意見や感想を投稿して承認欲求を満たす場へと変貌し、その結果「チラ裏」ではなく「嫌なら見るな」へと変化した。
しずかなインターネット
この文脈で見たときに面白いのが、しずかなインターネットである。このサービスはnoteに近い文章共有サービスだが、いいね機能や記事のサジェスト機能などが存在せず、ユーザーの承認欲求を意図的に刺激しないよう設計されている。
これは、2ちゃん時代のネットで承認欲求を晒すことに対する嫌悪感と、SNS時代の自身の個性をネット上で確立し意見や感情を表現したいという欲求の間を攻める、ネットの歴史を反映するようなサービスだと思う。
以上、インターネット老人の回顧録でした。