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日高舞(安達新体操クラブ)の復活に拍手!~2006夏

 私は新体操が好きだ。観戦もよくしている。基本的には極力平等にいいところを見ようとはしているつもりだ。しかし、どうしても「情」が入ってしまうこともある。
 昔からよく見ている選手、見る機会の多い選手などは、その道のりを知っているだけについ「ガンバレー!」「よくここまできたなぁ」という感慨が入ってしまい、見る目があまくなってしまうこともある。好きなタイプの演技、選手というのもやはりある。・・・それは人間である以上、仕方ないと許していただきたいと思っているのだが。
 見る機会の少ない選手に関しては、たまに見る試合(それもたいていは大きな試合)での、その選手の演技でしか判断できない。そこに至るまでの道のりはわからない。だけど、今、目の前で見せる演技で何かを感じることはあり、その「何か」ゆえに、今までとは違う気持ちでその選手のことを見るようになることもある。
 2006年の夏、私には「好きな選手」が1人増えた。
 日高舞選手(安達新体操クラブ)である。
 ことさらにそう書くと「今までは好きじゃなかったのか」と突っ込まれそうだが、正直に言えば「好きな選手」とは言えなかったかもしれない。うまい選手だと思っていたし「強い選手」だとは思っていたし、認めていた。ただ、そのうまさや強さゆえに、日高舞は私の「情」が入るタイプの選手ではなかった。
 しかし、この春から夏の日高舞は違った。昨年の世界選手権がおわってから、全日本選手権で個人復帰したものの、決して万全とは言えない演技で10位におわり、この春のユースチャンピオンシップでも9位、インターハイ予選では起死回生の演技で千葉県代表を射止めたが、7月のアジア選手権代表決定戦ではまた乱調で16位。2005年の世界選手権代表決定戦ではすばらしい演技で4位になり、高校生ながらも代表となったものの、その前の年はやはり乱調だった。「にくらしいほど安定していた」ジュニア時代と違って、高校生になってからの日高は、試合のたびに「やってみないとわからない」調子の波の大きな選手になっていたように思う。
 そして、よくないときの演技はなんだか生気がない、とてもだるそうに見えてしまう、それがここ数年の日高だった。今年になってからも私が見たユースチャンピオンシップ、アジア競技会代表決定戦は気迫の感じられる演技とは言えなかった。そして、8月のインターハイ。日高にとっては最初で最後となるインターハイで、どんな演技を見せるだろうかと楽しみと不安が半々、そんな気持ちで見守った。

インターハイでの日高舞が見せてくれたもの

 フロア横で練習をしている姿を見たとき、日高がここ数年来ないよい動きをしていることに私は気がついた。なんと言ってもアジア選手権代表決定戦のときとは見違えるほど体も締まり、顔もほっそりとしている。その変化は演技にも如実に現れ、もともと高いジャンプがすばらしく高い。そして、練習フロアでよく動く。休むことなく、何度も何度もジャンプを繰り返し、手具の操作を確認する。その姿には、迷いもなければおそれも感じられなかった。そして、大事な試合前にもかかわらず楽しそうにさえ見えた。「練習するのが楽しい。試合前の緊張さえも楽しい」そんな風に見えたのだ。
 インターハイ、日高の1種目目はロープだった。よどみのないすばらしい演技だった。高い高いジャンプターンの見事だったこと。最初から最後までまったくミスするような気がしなかった。「にくらしいほどの安定感」がしっかり戻ってきていた。これが、日高舞! そう思わせてくれる演技だった。
 そして、2種目目のボールでは、今、そのフロアで踊っていることへの感謝の気持ちが伝わってくるような演技を見せてくれた。日高にとってこのインターハイの舞台が、いや、新体操がどんなに大切なものなのかが感じられる演技だった。
 「慈しむ」という言葉がふと浮かんだ。この日の日高の演技は、ボールを慈しむように扱い、自分の新体操を慈しむように舞っていた、と私は感じた。涙が出た。インターハイでは庄司七瀬にわずかに及ばず2位。しかし、大きな価値のある2位だった。
 強すぎて、うますぎてちょっと面白みには欠ける選手、私はジュニア時代の日高舞のことをそう思っていた。でも、そうじゃなかった。高校生になってからの日高は、大きな故障もあり、精神的にくじけてしまったこともあったに違いない。思うように練習できない不安で嫌になったこともあったのだろう。試合でうまく演技できずに自信喪失したこともあっただろう。多分、「もう辞めよう」と思ったこともあったんじゃないかと思う。
 だけど、やっぱり辞められなかったんだね、新体操が好きだったんだね、とインターハイでの日高を見て思った。周囲からも高いものを求められるだろう選手なだけに「続けてさえいればいい」ではなかっただろう。そんな中で続ける決意をし、もう一度、一から出直すつもりでやってきたのではないか、そんな風に見えた。
 その「一から出直す」覚悟が、かつて見たことのないほどの新体操への真摯な姿勢となって結実したのがインターハイでの日高舞の演技だったように思えた。こういう瞬間が見られることがあるから、新体操を私は追っているんだな、と思った。だから、夜行バスとネットカフェを駆使してでも大阪にも行ってしまうんだよ、と。
 インターハイに続いて、全日本クラブ選手権でも日高は、すばらしい演技を見せてくれた。リボンでのミスが響き、個人総合優勝こそは逃したが堂々の2位。ボールはまた情感の感じられるいい演技で、またしても私は泣いてしまった。日高舞、完全復活! これは私にとってこの夏の大きな収穫だった。

日高を、そして団体チームを支えた安達三保子の信念

 9月になり、全日本クラブ団体選手権が行われたが、ここでも日高の所属クラブである安達新体操クラブ(千葉県)が、優勝を果たした。とても小柄な選手が多く、表彰台の上で手を振る写真を見ると「まだまだ子ども」に見える選手達だが演技はすばらしかった。安達らしい、凝った構成、1つ1つの難度や交換が小気味いいほどにぴしっと決まる、その正確さ。なによりもその「団体」としての一体感がすばらしく、これぞ団体! とうならせるものがあった。
 安達新体操クラブは、団体では全日本ジュニアの常連であるし、常に上位にあるチームだ。だから、クラブ団体での優勝も当然といえば、当然かもしれないが、今年の安達の団体には、かなり「文句なし」な強さをうまさがある。  数年前に安達が団体で全日本ジュニア優勝したときに、安達三保子コーチにお話をうかがったことがある。そのとき安達コーチは「うちの選手達は体型も能力もまちまちだが、団体としてやれることを頑張ってやってきた」と話された。今年のチームにもたしかに、スター選手は多くない。しかし、例年になく「粒揃い」なことはたしかである。
 それでいて、やはり今年も安達コーチは「個々の能力は決して高くない選手たち」と言われた。謙遜なのか、選手たちを諌めるつもりなのか、安達コーチの求めるものがもっと高いということなのか。いずれにしても今年のメンバーでさえ、「個人で勝っていける選手ではない(今はまだ、であろうが)」と言い切るのが安達コーチだ。
 しかし、その言葉の裏には「だから、団体で頑張らせたい。団体でなら個々の力以上のものが出せる。そして、それが個人の力の向上にもつながるはず」という信念がうかがえるのだ。単純に5人の能力を足し算したら、今年も安達より上にきそうなチームはいる。しかし、団体は足し算ではないことを安達コーチは知っているのだと思った。足し算以上の力が出せるはずと選手達を信じ、またそれだけの力を発揮させることのできる自分達指導陣の力を信じているのだろうと感じた。
 高校生になってから、上下動の激しかった日高舞が、ここにきて復活できたのも、おそらく安達コーチが「日高はこのまま終わらない」と信じていたからではないかと思う。日高について聞いたとき、安達コーチは「負けず嫌いな選手なので、故障して満足に練習できなかったときには本当につらかったと思う」と言った。その「本当につらい」思いゆえにおそらく日高は、安達コーチを怒らせたり、失望させたこともあったのではないかと想像できる。安達コーチもおそらく日高を絶望させるような言動をとったこともあったのではないだろうか。
 しかし、心の奥底で安達コーチは、日高を信じていた。いちばんつらいのは日高だと理解していたのではないかと思う。だから、日高舞は復活し、今の日高の演技からは「新体操が大好き!」という思い、そして支えてくれた人への感謝の気持ちが伝わってくるのではないだろうか。どんなに厳しくても、安達コーチは自分のことを信じてくれた、日高はそう感じているように私には見えるのだ。
 日高舞も安達新体操クラブも、私にとっては横綱のようなもので、「強くて当たり前」「勝って当たり前」の存在だった。だから、ついほかの選手やチームに肩入れすることも多かった。しかし、ここ数年の安達や日高を見続けてきて、強くあり続けるにはそれだけの努力と信念があることを感じ、畏敬の気持ちがわいてきた。これからは、今まで以上に応援したいと思えるようになった。それが、私にとっての安達新体操クラブであり、日高舞選手なのである。
<「新体操研究所」Back Number> 2006.9.2掲載

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シーナ
20年近くほぼ持ち出しで新体操の情報発信を続けてきました。サポートいただけたら、きっとそれはすぐに取材費につぎ込みます(笑)。