見出し画像

2008~鈴木一世(花園大学)~

 2008年のオールジャパンで私の印象にとても残った選手を紹介します。木村選手と同じ花園大学の鈴木一世選手です。木村選手や春日選手(青森大学)と同じ学年だったので、もう今は大学も卒業されています。
 2008年のオールジャパンで鈴木選手が目についたのは、なんといってもその立ち姿の美しさゆえでした。もちろん、演技も素晴らしいんです。が、なによりも私をひきつけたのは、演技前に名前をコールされてから、「はいっ」と返事をして手を挙げる、その一連の動作、雰囲気の美しさでした。
 この年のオールジャパンの記事は、ダンス雑誌『DDD』に掲載され、個人総合で2位だった鈴木選手の写真も載ったのですが、その写真は、数ある演技中のキメポーズではなく、コールに応えて手を挙げているポーズでした。そう。私が選んだんです。そのポーズに、鈴木選手の美しさがいちばんよく現れていると思ったからです。
  2008年のオールジャパンでの鈴木選手の成績は、個人総合2位。さらに、種目別でもロープ以外の3種目で2位でした。すばらしい安定感! これほどの選手なら、高校時代、いやジュニア時代からさぞかし活躍していたのだろう、と思ったのですが、過去のリザルトを見ても、「鈴木一世」という名前はなかなか見つけることができませんでした。ついに見つけたのは、2005年千葉インターハイ(私が、男子新体操のおもしろさに目覚めた大会でした)の団体で準優勝している恵庭南高校の団体メンバーの中でした。そこには、春日克之選手と並んで「鈴木一世」の名前がありました。
 さらに遡って2002年の全日本ジュニア。個人総合18位に鈴木一世の名前がありました。たしかにジュニア時代から名前の出ている選手ではあったのです。高校時代も団体では活躍していました。ただ、恵庭南の同級生に春日克之選手がいた。
 それゆえに、都道府県で1人しか出場できないインターハイの個人には縁がなかった、そんな選手だったようです。
  それでも。
 2008年のオールジャパンで見た鈴木選手の演技は、その隅々まで神経のいき届いた美しさで私の心に深く刻まれました。そして、おそらく彼の最後のシーズンになるであろう2009年の演技も、期待を裏切らないものでした。とくにリングは、彼のもつ美しさに加えて男子新体操らしい力強さも堪能させてくれる、なんとも贅沢な作品でした。
 はじめて『DDD』に男子新体操の記事を書かせてもらった2008年。ほかの競技では「ハンカチ王子」だの「ハニカミ王子」などがもてはやされていたので、「タンブリング王子」を見つけて売り出そう! なんて思惑をもって観戦していた私の目に「王子様」と映ったのは、この鈴木一世選手でした。
 しかし、あとになって横田泉さんというライターさんの「男子新体操ブログ」によって彼のことを知ることができ、王子様と呼ぶには十分すぎる下積みがあり、努力があったことを知りました。そして、ますます彼の演技がいとおしくなりました。
 
 自分の出番がないつらさ、なかなか「1番」になれないつらさ、そして、フロアマットの上で自分だけが踊り、自分だけに視線が集まることの喜び、そのどちらも深く味わったことのある彼だから、2008~2009年のあの演技があったのだな、とわかった気がしました。
 そのときは「挫折」だと感じたこと。「こんな思いはしたくなかった」という苦い思い。すべてに意味があるのだ、そこにこそ大きな価値があるのだ。と鈴木選手の演技は教えてくれました。
 前述のブログの記事の中に書かれていた、彼が「後輩たちに伝えようとしていたもの」は、十分に伝えられた彼の大学4年間だったのではないかと思います。大学を卒業した今、彼が「やりきれた」という思いでいてくれればいいな、と私は思っています。
 いや、すこしばかりの悔いを残してくれていたら、また自分に納得できるまで、彼がフロアマットに立ち続けるのだとしたら、悔いを残してくれていてもいいけど…。わがままですが、ちょっぴりそう願ってしまったりもして。
  
 自分がいつ大きな花を咲かせるかなんて、
 だれにもわからない。
 だから、あせることも、あきらめることもない。
 
 鈴木選手の演技があんなにも美しく、あんなにも心に残ったのは、そんな思いが伝わってきていたからかもしれない、そう思うのです。
<「新体操研究所」Back Number> 2010.5.22.
 

いいなと思ったら応援しよう!

シーナ
20年近くほぼ持ち出しで新体操の情報発信を続けてきました。サポートいただけたら、きっとそれはすぐに取材費につぎ込みます(笑)。