2010植野慎介(中京大学4年)
「自分らしさ」
今年になって、突然、目を見張るような魅力を開花させた選手だ。大学4年間、ずっとインカレにもオールジャパンにも出場しているし、20位前後には常にいた。何年も前から十分に「うまい選手」ではあったのだ。
しかし、申し訳ないが、昨年までの印象はそれほど強くない。それが・・・今年になって急に化けた。そして、最後のオールジャパンでもさらに化けて見せてくれた。
オールジャパンで彼の演技が最後に近づくにつれて、「惜しい」という気がしてならなかった。彼がもう少し早く、こんな演技をしていたら、ただでさえスター選手の多かった今年の大学4年生だが、さらにもう1人「スター」を抱えることになっていただろうに、と。
最後の1年。彼は本当に輝いていた。
今までは、ただの「うまい選手」としか思っていなかった人にも、「植野慎介」という名前が印象に残ったに違いない。それだけの存在感が、オールジャパンでの彼にはあった。
今年のインカレで、植野のスティック「ファーストラブ」を初めて見た。そのときの感動は大きかった。なんとまあ美しい! なんて心にしみる演技だろうと、大げさではなく涙が出たのだ。
「ファーストラブ」は、植野が網野高校3年生のとき、京都選抜チームとして兵庫国体に出場した際に使った曲なのだそうだ。好きな曲と演技だったので、もう一度やりたいと思って新しく曲つけをし、2009年のオールジャパンが初披露だったという。2009年のオールジャパンは私も見ているはずだが記憶にない・・・と調べてみたら、2009年の初日の午前中だけ私は仕事で会場に行けなかったのだが、植野のスティックは試技順4番。見ていなかったのだ。見ていたら、きっとそのときも印象に残っていただろうに・・・。
インカレでの「ファーストラブ」を見て以来、それまで以上に植野の演技には注目するようになったが、どの種目もとてもいい。「ファーストラブ」ほどゆっくりした曲はほかの種目では使っていないが、速い曲で踊っていても動きのやわらかさは変わらない。そして、体の線の美しさ。演技に、なんとも言えない気品があるのだ。
オールジャパンでは個人総合の4種目、さらに種目別で出場した2種目をじっくり見続けた。いったい彼の演技の何が、こんなにも美しく見えるのだろう? と。
そして、気づいた。背中と胸のラインがほかの選手とは違う。背中のそり方も美しいが、胸がやや鳩胸のように前に出ているのだ。それで独特の美しいラインが出ている、のではないかと思った。ところが、これは彼のもって生まれた体型ではないのだそうだ。「胸は意識して出すようにしています。このほうがラインがきれいに見えるんで」と彼は言う。たしかに、男性のバレエダンサーなどは、こういう胸をしている。なるほど。植野は、もって生まれた美しいラインをさらに、どう見せるかよく研究しているのだった。
ほかの4年生もそうだろうが、植野も最後の年に懸ける気持ちは強かった。すこしでも上の順位というよりは、「自分らしい演技」を、「自分ならではの演技」を、見せたいと思っていた。
「去年まではもっとすべてに力が入っていたな、と自分で映像を見ると思います。でも、今年になってやっと体の使い方や呼吸の仕方がわかってきて、見せ方が変わったと思います。」
植野はとても礼儀正しく、きちんきちんと言葉を選んで話す。私が、「去年までは普通にうまい選手、くらいの印象しかなかった」と失礼なことを言っても、「ああ」と、苦笑いしつつも「だろうな」というような顔をした。自分でもきっとそれはわかっていたのだろう。「うまいけど、これといって特徴がない」・・・それが去年までの植野だった。しかし、そのままでは終われない理由が植野にはあった。
植野慎介が所属する中京大学は、男子新体操の名門大学だ。とくに団体は、長い間、国士舘とトップ争いを演じていたのだ。しかし、2003年のオールジャパンでの3位以来、中京大学は3位以下に沈んでいる。そして、ついに今年は部員が3人になり、団体を組むこともできなくなってしまったのだ。男子新体操はマットの設営に大変な労力がかかる。それなのに部員が3人しかいない。ということは、マット設営の際に1人1人にかかる労力が大きく、時間もかかってしまう。当然、マットを敷いての練習は少なくなっていった。さらに、顧問はいるものの、男子新体操の指導をする人がいない。男子は、どこの大学の選手でも、演技も自分で考える自立した選手が多いが、それでも、通しを見ては注意をしてくれたり、ときには演技の手直しをしてくれる指導者がいるといないの差は大きい。厳しい競争はあるにしても、お互いに支え合う仲間の数だって違う。支えてくれる人が多いほど、「その人たちのためにも頑張ろう!」というモチベーションはあがるものだが、植野はそれも希薄になりそうな環境にあった。
それでも、最後の1年の彼を支えたのは、「自分らしい演技をしたいから中京大学を選んだ」という思いだった。国体選手にまでなった植野には、当然、強い新体操部のある大学に進学する道もあった。しかし、彼がそれを選ばなかったのは、「●●大学らしい演技」ではなく、「植野慎介らしい演技」をしたかったから、だと言う。ただし、その「植野らしさ」とはなんなのか、じつは大学進学時にはよくわかっていなかったのだそうだが。ただ、「●●大学の」ではなくて、「自分の」新体操をやりたいという気持ちが強かったという気概はたいしたものだと思う。
植野が入学したころの中京大学は、すでに以前のようには勝てなくなってきていたので、いわゆる「そこにいけば強くしてもらえる」という環境ではないことは覚悟のうえだった。でも、そんな中京大学を変える力に、自分もなれるかも! という思いも植野にはあったのだ。
しかし、現実は厳しい。大学1年、2年と植野の成績は、伸びなかった。常に20位前後。決して悪くはないのだが、伸びてはいかない。成績だけではない。私も当時、今ほど熱心に見ていなかったとはいえ、2008年(植野が大学2年のとき)のオールジャパンは取材で見ているが、正直、とくべつ印象に残る選手ではなかったのだ。「自分らしい新体操」をしたいから中京大学、という選択の意味を、彼自身見失いそうになっていた時期もあるのではないかと推察する。
2009年、大学3年生になった植野は、インカレでもジャパンでも11位とそれまでの2年間からはぐいっと順位を上げた。どちらの試合でも全種目9点台にのせている。成績という面では、やっと覚醒したきたような年だった。2009年オールジャパンの私の観戦メモには、植野のことは「後ろにそれる。やわらかい体と線で、優雅さがある」と書かれている。今年の植野に通じるものが、このときやっと見え始めていたようだ。
大学最後の、そして現役最後の年を迎えるにあたって、植野は自分が求めていた「自分らしさ」とはなにかを改めて考えたのだという。そしていきついたのは、やはり「線の美しさを見せる演技」だったのだ。
2009年のジャパンからやり始めたスティックの「ファーストラブ」は、その自分のよさをいちばん見せられる種目として、いっそう磨きをかけていった。指導者もいない。マットも満足に使えないなかで、自分のほかには2人しかいない新体操部の仲間が、動きやポーズをチェックしては、どうすればよりよく見えるか、一緒に研究してくれた。中京大の女子の先輩にもずい分、アドバイスをもらった。
最後の年に「自分らしい演技」をしたかったから。そして、「中京大の植野」を印象づけることができれば、「中京大で新体操をやりたい」と思ってくれる子がいるかもしれない・・・そうも思った。
そんな植野の思いと努力は、インカレで花開いた。インカレでの植野は、「ただのうまい選手」ではなかった。「ファーストラブ」はもちろんのこと(メモには★3つがついている)、クラブでもポーズの美しさ、手具キャッチのやわらかさ、ロープでは改めてつま先まで神経の届いた脚の美しさが強く印象に残っている。いい意味で、「まるで女子のように」美しく見せることに心を砕いた演技だったのだ。
種目別決勝にも3種目残り、スティック、ロープでは9.3超のいい演技を見せている。そして、最終種目のクラブでも、途中までは本当にすばらしい演技だった。あのときの彼の演技からは、動きはあくまでなめらかで美しいのだが、「このままでは終わらない」という強い意思が伝わってきたのを覚えている。
インカレでの彼のすばらしい演技にちょっと驚いた私が、知り合いの先生に「植野くんってすごいですね。なぜ今年急にこんなによくなったんでしょう?」と聞いたときの、その先生の言葉、「植野は前からいいんです。本来ならもっと早くこれくらいにはなった選手だと思います。ただ、環境に恵まれていなかったから」が、彼のクラブの演技を見ているときに頭の中でぐるぐる回っていた。そして、彼が、自分で今までの自分の殻を破ろうとしている力を感じた。
しかし、このときのクラブでは、後半2回、落下を犯してしまい8.450に終わる。残念! だけど、こんな残念さはもう何回も乗り越えてきた選手なんだろう、とそのとき思った。そして、私のメモには「きっとジャパンではやってくれる」と書いてあった。
ジャパンでの植野は、リングとロープではミスがあり(ロープは今までの演技とはまったく違う斬新な構成で、とてもインパクトがあっただけにミスで点数が下がって種目別に残れなかったことが本当に残念だった)、個人総合は10位だった。しかし、今年の彼の演技はきっと多くの人の記憶に残ったはずだ。種目別には、スティックとクラブで残ったが、最後の「ファーストラブ」は序盤で惜しくも落下場外。それでも、そのあとはいつも通りの美しい演技を堪能させてくれた。そして、最後の演技となったクラブも個人総合に続いてしっかりノーミスでまとめた。
ジャパンにむけて植野は、新しい衣装を2つ用意していた。どちらも従来の男子新体操の衣装に比べてかなり斬新なもので、これを着るのはいささか勇気がいるのではないかと思うようなデザインだったが、どこまでも練り上げられた植野の美しい演技が、この衣装でいちだんと映えたことは疑う余地もない。誰にでも似合う衣装ではなかったと思うが、「自分らしい新体操」を模索し、実現するために中京大学を選び、だれよりも美しく優雅な新体操を自分のものにした植野には、とてもよく似合っていた。
進路を尋ねると、植野は「就職します。就活も普通にしてたので」と答えた。普通の大学生の面もきちんともっているバランス感覚のよさがまたすばらしい。このジャパンで引退だということが残念でならないが、植野がこれまで歩んできた道のりを思えば、社会人になってからでも、また復帰できるんじゃないか、と期待もしてしまう。
最後の年の植野慎介の美しい演技を、私はきっと忘れないだろう。男子新体操に関心をもつのが、彼の引退に間に合って本当によかった、そう思う。
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