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After東京五輪~これから新体操はどこに向かうのか? <11>

2018年ルールが日本国内にもたらした変化 

 フェアリージャパンが東京五輪に向けて、D得点を上げ続けていた2018年からの4年間、日本の国内でもルール変更の影響が出始めていた。
 2018年はシーズン序盤から喜田純鈴(エンジェルRGカガワ日中)は、ワールドカップにエントリーしていても出場辞退が続いていた。当時は、故障がかなり悪化しており満足に練習もできない状態だったと聞く。
 ロシアから帰国し、国内で調整を続け8月には全日本クラブ選手権に出場するがまさかの個人総合10位に沈む。このときの喜田はたしかにかなり苦しそうな演技をしており、フロアに立つことが心身ともに辛そうだった。ミスも多く、できるはずのことも満足にできなかったこの試合の記憶は、喜田にとっては消し去りたいものかもしれない。が、このクラブ選手権こそが、喜田が本来の自分の演技を取り戻し、東京五輪の舞台にたどり着くきっかけになった試合ではなかったかと思う。
 また、この年から喜田の国内大会への出場が増えたことは、日本の選手たちにとっても良い影響を与えていたように感じている。この頃の日本の選手たちは、なかなか国際舞台に立つチャンスがなかったが、国内の大会で喜田と同じ舞台に立てることによって、世界との差を知ることもでき、それがモチベーションにつながることも多かったように思う。

2018年ルールによる高校生の大躍進

 折しも、2018年からの「D得点青天井ルール」は、何をすれば何点上がるという基準が明確だった。そのため、高得点を狙えば技を詰め込むことになり、新体操が本来もっていた芸術性が損なわれていくという弊害はあったものの、スポーツとして見た場合、かつてなく分かりやすいルールで、ある意味、公平さがあった。
 2018年の全日本選手権は、復調してきた喜田が初優勝を飾ったが、このときの種目別決勝でのD得点を見てみると、フープでは10.200で喜田がトップ、2位は河崎羽珠愛(イオン)の9.300、ボールでは10.300で喜田がトップ、2位は古井里奈(国士舘大学)の9.800、クラブでは古井が9.7で喜田の9.6を上回り、リボンでは喜田が8.3、古井は8.1だった。当時の喜田はまだ完全復活ではなかったことを差し引いても、河崎や古井が喜田に迫るD得点を上げていることがわかる。
 また、2018年はインターハイ団体が非常にハイレベルだった年で、全日本選手権でも団体総合で武庫川女子大学が初優勝を成し遂げたが、2位は常葉大常葉高校、3位は金蘭会高校と高校生が表彰台にのった年でもあった。インターハイ種目だった「フープ×5」の種目別決勝に至っては伊那西高校が優勝、2位は常葉大常葉高校、4位昭和学院高校、5位金蘭会高校、6位名古屋女子大学高校、8位城南静岡高校と決勝進出8チーム中6チームが高校生だった。この種目別決勝でもっともD得点が高かったのは3位に入った国士舘大学の13.900だったが、金蘭会高校は13.600、伊那西高校は13.500をマークしていた。国際大会とでは正確な比較はできないが、この年の世界選手権でフェアリージャパンが記録した最高D得点が14.800だったことを考えても、国内チームのこのD得点の爆上げぶりは凄まじいものがあった。

明快さがモチベーションにつながった2018年ルール

 新型コロナの影響なく過ごせた東京五輪前の最後の年、2019年の全日本選手権でも高校生旋風は吹き荒れた。団体総合で優勝は日本女子体育大学だったが2位に金蘭会高校、3位は常葉大常葉高校とこの年も高校生チームが表彰台の2つを占めた。この団体総合の「フープ&クラブ」(インターハイ種目)で日本女子体育大学は17.600、金蘭会高校は17.900という高いD得点を上げている。
 またこの年、個人総合では喜田が連覇を達成しているが、種目別決勝でのD得点を見てみると、フープは喜田が12.700、猪又涼子(日本女子体育大学)が10.500、ボールでは喜田が11.700、松坂玲奈(東京女子体育大学)が11.600、クラブでは立澤孝菜(イオン)が10.700、猪又が10.500、リボンは猪又が10.000、柴山瑠莉子(日本女子体育大学)が9.700。1年前と比べると、種目によっては2点近く上がっていることがわかる。これらの得点アップはほぼ「DA」(手具難度)を隙間なく詰め込んで積み上げたものであり、どんどん難易度の上がっていく演技内容をこなせるところまで練習してきた選手たちの努力の賜物だった。
 この頃の新体操は「芸術性に乏しく、サーカスのよう」「見ている人の心に伝わってくるものがない」と言われていた。それは否定できない。ただ、この頃の選手たち、指導者たちは、この「やればやるだけ点数に結びつく」というルールの明快さに希望を見出していたようにも見えていた。新体操は、採点競技ゆえに審判の主観や先入観、あるは政治力に左右されることがあるように思われがちだ。しかし、この2018年からのルールはそれが比較的ないように感じられた。できているものをできていないことにはできないのだから。それが選手たちのモチベーションになっていた部分はおそらくある。

「オリンピックセカンドチャレンジ通過者」という欺瞞

 皆川夏穂が生まれた1997年は、新体操選手の当たり年で、河崎羽珠愛、猪又涼子、古井里奈などジュニア~大学まで日本のトップレベルで活躍した選手たちが多かった。彼女たちは、皆川や喜田という国際舞台で活躍する選手たちと切磋琢磨しながら、新体操に打ち込んできた。そして、その競技人生の最後にきてこの「D青天井ルール」になった。新体操選手としてはベテランの域に達している時期に、演技の難易度を上げるのはかなり負荷がかかったとは思うが、「やれば点数になる」以上、挑戦しない手はなかったのだと思う。
 その結果、この世代の選手たちは本当に最後まで進化し続ける姿を見せてくれた。2019年の全日本選手権の上位15選手には「第32回オリンピック競技大会セカンドチャレンジ通過者」と発表された。東京五輪の日本代表の選考方法はこの時点では発表されておらず、この「セカンドチャレンジ通過者」という発表の仕方は、もしかしたら最後に特別強化選手も含めて代表決定戦があるのでは、と思わせるものだった。河崎、古井、猪又、そして喜田の同級生でもあり、2016?2019年の4年連続全日本選手権準優勝の柴山の名前もその中にはあった。
 結果的には、皆川や喜田、あるいは大岩が日本代表に選ばれるとしても、2020年の春にこの15選手も出場する代表決定戦が行われるとしたら、それはどんなにかエキサイティングなものになるだろう、とワクワクした。が、河崎、猪又、古井は2019年度いっぱいで競技生活を終える決意をしていた。
 引退が公表された後で、彼女たちに話を聞くことができた。そのとき、河崎は「東京五輪には自分が目指せる枠はないと感じていた」と言った。中学生のときに強化選手のトライアウトに落ちるという経験をした猪又は、そのときから、国内の大会を勝ち抜いて日本代表として国際大会に出場することを目標にしてきた。そして大学4年のとき代表決定戦を勝ち抜きアジア新体操選手権に日本代表として出場し、目標を達成した。「新体操は大学までと決めていたから最後に死ぬほど頑張れた」と言う猪又の言葉には、やり切ったという清々しさがあった。そして、古井も「新体操は大学までと決めていたので」と現役にはまったく未練がないようだった。卒業後は母校に戻り後輩たちの指導にもあたることが決まっていて、「自分は新体操が大好きなままやってこれたので、後輩たちや子ども達に新体操って楽しいよ、と教えたい」と言った。東京五輪などはまったく頭にないと言い切った古井の言葉には嘘はなさそうだった。

97年組の引退に見る「フェアリー世代」が失った夢

 彼女たちは、特別強化選手ではなかったし、ロシアでの指導も受けていないが、日本代表にも限りなく近い実力も魅力もある選手たちだった。それでも、東京五輪を目前にしても、仮にも「セカンドチャレンジ通過者」と発表されても、迷いなく現役を離れてしまう、フェアリージャパンが発足した2005年に7歳だった彼女たちはずっとそういう世界で新体操をやってきた。彼女たちだけではない。その下の世代の子ども達もだ。
 頑張っていれば、努力していれば、インターハイやインカレなど国内の大会では報われることもある。たくさんの人達に応援してもらえ、「あなたの演技が好きです、憧れています」と言ってもらえることもある。それは、とても励みになっただろうし、なによりも自分の成長を感じることができ、はじめは無理だと思ったことができるようになる達成感もある。新体操は素敵なスポーツだ。だから、古井は、「ずっと新体操を好きでいられた」と言えたのだろう。
 それでも、こんな選手たちが「フェアリージャパンや五輪出場は自分には見れない夢だ」と幼い頃に思ってしまう、思わされてしまう、そんな状態が日本ではずっと続いていたことを思うとせつなかった。
 彼女たちが引退を決めたときには、まだ東京五輪の延期は決まっていなかったが、2020年、結果的には2021年まで「東京五輪」というミッションのもとに、犠牲になってきたものも多かった、とは思わずにいられない。
 それでも、多くの選手たちが自分なりのゴールを設定し、「幸せな選手生活だった」と言って笑顔で競技生活を終える姿をたくさん見ることができたのは、彼女たちを支えてきた家族や仲間、指導者の力が大きかったのだろうと思う。 <続く>

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シーナ
20年近くほぼ持ち出しで新体操の情報発信を続けてきました。サポートいただけたら、きっとそれはすぐに取材費につぎ込みます(笑)。