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理想の結婚とは何だったのか

私は、世間一般で幸せと思われているような結婚生活を成し遂げようと努力してきた。子供がいれば幸せになれるという思いがあった。
また、妻は一人娘で親の期待も強く、私はその期待に応えようとしていた。そもそも、私は本当に自分の子供が欲しいと思っていたのだろうか。自分でもよく分からなくなってきた。

結婚とは、プレッシャーとの戦いである。
結婚とは、自分たちだけの問題ではなかった。

4年間の交際の後に、どうして私は結婚しようと思ったのだろうか。
私は婚約したことを自分の親に報告した時、
「結婚を先延ばしにするようなら、相手に失礼だから別れなさいって言おうと思っていた」
と言われた覚えがある。
相手が結婚と子供を望む人だったら、それは正しい意見である。妻の親も、結婚がいつになるかずっと気になっていたようだ。
何というか、婚約は年貢の納め時みたいな感じだった。

結婚の後は、子供を期待される。「孫の顔を見たい」って、親なら誰でも思うだろう。
みんなが子供を望んでいる、妻もそのはずである。そう思っていた。

結婚生活が始まってから、私はプレッシャーを感じてしまい、理想の夫婦にならなければならないみたいな考えがあり、やっぱり無理をしていたと思う。妻の方は、無理をするのではなく、外で発散させていた。
そんな考えがあるから、楽しかった二人の時間もギスギスしてしまう。別れ話の前の数ヶ月間、楽しかった思い出はほとんどなかった。

これから、私と妻の人生はどうなっていくのだろうか。
様々な可能性を考えてみたが、二人の間に婚姻関係を結んでいる必要がないという結論になった。離婚すれば家族の付き合いもなくなるし、妻の親御さんも孫をあきらめるだろう。

私たちは夫婦の関係をやめるだけであって、完全に別れるわけではない。

妻と過ごした6年間は、最後の方を除いて本当に楽しい日々であった。妻の言う通り、6年間楽しかったからといって、これから数十年先もうまくいくとは限らない。互いの将来像の認識合わせがないまま、私がずれた幸せを追い求めていたことが一番の失敗であった。
そして、妻の方が私のことを理解していた。そのことに気づけなかったことを本当に後悔している。

結婚生活という大規模プロジェクトの3分の1は破綻するらしい。残りの3分の2の中でも、本当にうまくいっている家庭がどれだけ存在しているのだろうか。要件定義とヒアリング、進捗確認を怠ると、プロジェクトはだいたい炎上して途中で終わってしまう。

結婚生活が相手のための自己犠牲であってはダメだし、相手の理想とずれた方向に対する自己犠牲はもっと辛い。誰かと人生を共に生きていくなら、親の思いは参考程度にして、二人の時間、二人の考えだけを大切にしたい。
「子供の幸せを願っている」といっても、親は、本当は自分の幸せを考えているのだ。

さて、この離婚の説明をどうしたらいいものか。

2020年2月


*これは当時の日記を元にした、1年前の話である。日記のため、「妻」と表記している。離婚に至るまで、このnoteはつづく。


*このnoteの続き


*このnoteのはじまり


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