【感想】「オン・ザ・プラネット」(著:島口大樹)
概要
三月に読んだ「鳥がぼくらは祈り、」以来、島口大樹さん二作目。本作も、なかなか実験的な小説だった(と自分は捉えました。)。
ちなみに、第166回芥川賞候補作5作のうち、これで3作を読んだことになりました(Schoolgirl、皆のあらばしり、オン・ザ・プラネット)。ほか二作も面白そうなので、近いうちに読破したいです。
感想
物語の枠を超越しようとする作品
本作は、その大部分が、映画を撮るために横浜から鳥取に向けて移動する途中の四人(善弘、スズキ、トリキ、マーヤ)の会話劇と、視点人物・善弘のモノローグから構成されています。そしてその内容が、「世の中の捉え方」みたいな理屈っぽい話であって、しかも話が割といろんなところに寄り道しながら進んでいくので、なかなか読み手である自分の思考が話とうまく並走できない状態が長く続きました。ただ、そうしたある意味予定調和でないライブ感のある会話だからこそ、最後の最後に、もう一人の登場人物である島口(=作者と同じ姓)が「これは事実だ」と語ることに信ぴょう性を付加できているのではないかと感じました。
そして、最後のパートがあることで、本編全174ページあるうちの170ページまでは長い長い作中作であったことが分かり、作中作の中の映画シーンが作中作中作になるんですよね。つまりは、まさに作中で説明されているように、
というのと同じことが起きていることになる。しかも、最後に島口がこれ(作中作=四人のロードトリップ)は事実だと語ることで、「虚構内虚構が壁を打ち破って虚構に流れ込」んで、「虚構自体が現実に流れ込むことと等しくな」(単行本P.102)る仕掛けになっている作品だと理解しました。
過去の「事実」を語ること
作中何度か、過去・現在・未来の捉え方のような話が出てきて、その考え方は登場人物によって様々であり(単行本P.21-22)、しかも言葉の捉え方も人それぞれで同じではない(単行本P.98-99)ことが示唆されます。最後のパートで分かるように、本作の大部分をなす作中作は、島口が善弘の過去回想を伝聞したものを小説にしたという設定なので、作中作であるロードトリップは、他人(善弘でなく島口)によって語られる過去の話であるということになります。
これによって曖昧さが何重にも重ねられることで、島口が語るとおり、これは事実(とはいえ、いろんなフィルタを介しているので厳密には「事実」たり得ない)かもしれないと思わされるような作品になっています。
本作は、ちょっと難しくてこの感想というか解釈が合っているのか自信がないですが、なかなか他の作家では味わえない読書体験でした。次作「遠い指先が触れて」も購入済みなので、読むのが楽しみです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?