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第19回難民映画祭オープニング上映イベントリポート②/タマラ・コテフスカ監督と、ジャン・ダカール撮影監督によるトークイベント

皆さま、こんにちは。広報サポーターの青井夕子です。

私は11月7日に行われた第19回難民映画祭のオープニング上映イベントに参加してきました。その様子をリポートさせていただきます。

リポート①では、オープニング上映『リスト:彼らが手にしていたもの』の様子や、関根光才監督のインタビューの様子をリポートしました。

リポート②では、『ザ・ウォーク~少女アマル、8000キロの旅~』の上映の様子と、タマラ・コテフスカ監督と、ジャン・ダカール撮影監督のインタビューについて話していきます。


『ザ・ウォーク~少女アマル、8000キロの旅~』を、一言で表現してと言われたら、私のつたない語彙力では、「ズゴい映画」となるでしょう。

シリア難民となった実在の少女アマルの表情が、目が、そして小さな体が語る、どうにもならない、泣くこともできないほど大きな絶望感。そしてそんな思いにさせている大人の責任の大きさ。

映画の中の状況をどう手助けできるのか分からない。目を背けたい。でもなぜか目はスクリーンに釘付けとなっている。人形がどしっ、どしっと進む時の靴音は力強く、次第に心地よさまで生まれ始めます。

現実では、親のいない難民の子どもは無視されてしまうような、ちっぽけな存在でしょう。でもこの人形のアマルは、直視せざるを得ない、絶対に無視できなくさせる圧倒的な存在感があります。

難民の人たちが直面している問題をちゃんと見て知らねばならないのだと、視聴者にはっきりと感じさせ、心をグイっと動かす力のある、「スゴい映画」なのです。

そして、アマルという名が持つ意味のとおり、「希望」の映画です。決して悲しみで終わるストーリーではありません。ぜひご覧になってください。

上映後はこの作品のタマラ・コテフスカ監督と、ジャン・ダカール撮影監督が登壇され、通訳の方に入っていただいてインタビューが始まりました。


コテフスカ監督が登場されると、鮮やかなブルーのドレスが目を惹きました。黒い幅広のベルトは帯のようにも見えます。

武村さんが質問してくださると、やはり「日本の着物からインスピレーションを受けて、監督の出身国である北マケドニア共和国のデザイナーに作っていただいた」と話されました。

このイベントに対する監督の気持ちが伝わってきて、とても嬉しく思いました。

おふたりとも初来日とのことで、行ってみたい場所を挙げてくださいました。ダカール撮影監督は日本の歴史や鹿と触れあえる奈良に、そしてコテフスカ監督はあちこちの美術館、なかでも宮崎駿監督の「三鷹の森ジブリ美術館」には必ず行きたい、とのことでした。

実は子どもの頃から宮崎駿作品に影響を受けていて、映画監督になったのは彼に憧れたから」と話された時は、皆驚きました。

©国連UNHCR協会

「この作品を撮ることになった背景」についての質問には、「出身国の北マケドニアとギリシャの国境付近では、難民がひどい扱いを受けている問題があり、以前から難民問題には関心を持っていた」と言います。

そして「コロナが明けた後、人形の旅公演を追ったドキュメンタリー映画を撮らないかと、南アフリカ共和国にある人形劇団、Handspring Puppet Companyに声をかけてもらったことがきっかけとなった」と話されました。

映画には、職人さんが木をくりぬいてアマルを作っている過程や、人形遣いが懸命に動きの練習をしているシーンが映ります。アマルがこれほどリアルに映るのは、このような人たちの深い思いが込められているからだろうと感じました。

「撮影中、最も印象に残っているエピソード」、を聞かれると、コテフスカ監督は次のように話されました。監督の思いが強く込められている部分ですので、ここはぜひ監督の言葉をすべてご紹介させていただきたいと思います。

アマルが旅をする過程を追っていく中で、一番印象に残ったのは、ヨーロッパの大人と難民の子どもたちの、アマルに対しての正反対とも言える反応です。大人は「難民」という非常に大きな問題と直接結びつけて考え、アマルを脅威とみなしました。

反対に子どもたちは、アマルの近くに寄ってきて手に触れ、楽しい気持ちにさせる、友だちや遊び相手として捉えたのです。それを見て私は、アマルが難民の子どもたちの未来に希望を与える存在になるのではないかと考え、この映画を子どもの視点から撮りたいと考えたのです


ダカール撮影監督への、「撮影の際に苦労した点」についての質問には、2つの点が挙げられました。

1つめは「アマルがあまりに大きいため、良いショットを撮ることが難しかった」というお話。そしてもう1つが、「難民たちと出会って話を聞いた後に、冷静さを保って仕事を続けねばならなかったのがとても大変だった」というお話でした。

また、映画の構成についても、ダカール撮影監督からお話がありました。この映画には、アマルという人形とアシルという名の実在する難民の少女が登場しますが、「特にアシルについてはシネマティックな手法を用いて、できるだけ親密的な感じを引き出そうとした」とのことです。

そうすることで、「マスメディアによって作り上げられた、難民とその他の人々を分け隔てているバリアを壊したかった」ということでした。映画をご覧になった方々はきっと、「何とかしてアシルを助けてあげられないだろうか」と思われたのではないでしょうか。

あまりにも孤独な様子が見ていられない程ツラく、寄っていき抱きしめてあげたくなるような、そんな気持ちでいっぱいになってしまうのです。


次に「好きな場面について」の質問には、「砂浜で、アシルとルルが紙で作ったボートで遊ぶ場面です。安心と希望と楽しさが見えます。ふたりが、服が濡れることもお構いなしに海に入って遊ぶ場面はとにかく美しく、私のお気に入りです」と答えられました。ダカール撮影監督の優しさがしっかりと伝わってきました。


「この作品を通して世の中に一番伝えたいこと」という質問に、コテフスカ監督はこのように答えられました。

撮影後1年の間に、紛争や大地震により映画に映っている多くの場所が破壊され、多くの人たちも亡くなり、映画自体が保管記録(アーカイブ)となってしまっています。しかし、そんな状況の中でも、多くの難民たちは自力で生き延びているのです。アシルはイスタンブールで暮らしていますし、ヤジディ教徒の男の子は今ドイツで暮らしています

そして力強く、こう続けられました。「希望はあるのです。映画制作者がそう見せようとしているのではなく、実際に希望がある、そのことを伝えたいと思います。ニュースで伝えられる難民の話題は希望が持てない話ばかりですが、実際には、希望が持てる話も存在しています。

それを、ポジティブな例として世界に、そして、現在難民となっている人たちに伝えることに価値があると、それが私たちの義務だと思いました。難民たちや、これから難民になるかもしれない人たちは、諦める必要はないのです。

一人ひとりに権利もある、世界のどこかに居場所もある、それが当然のことなのです


最後の質問は「日本の皆さんへのメッセージ」でした。どちらも全文お伝えしたいと思います。

ダカール撮影監督:「日本の皆さんが90年代の初めからパレスチナ難民の支援をしてくださっていることに感謝しています。また、パレスチナ問題に関心を持ち、特に若い活動家たちが街頭で抗議活動を行いパレスチナの人々との連帯を示してくださっていることにも心から感謝しています。

この映画が、日本の皆さんにとって、こうした問題に関心を抱く更なる機会となることを願っています

コテフスカ監督:「私からは2つのメッセージがあります。まず1つめは、『社会の発展のためにも、難民に対しての偏見を打ち破っていただきたいということ』です。

難民は政府の支援を待っているだけの存在ではなく、才能もあり非常にひどい境遇の中でも生き抜いている特別な人たちです。チャンスを与えなければならないのです。私たちもいつ自分の国で戦争が起きて同じような状況になるか分かりません。

私たちは彼らに、チャンスを与えねばならないですし、それを通じて社会が良くなっていかなければならないのです

そして2つめは、『もっと多くの方にドキュメンタリー映画を観ていただきたい』ということです。

インパクト映画とも呼ばれますが、そういった映画を見る人が減ってきています。映画と言えば娯楽という風潮ですが、映画の真価と存在意義をもっと追及してもらいたいと思います。映画には社会や個人を変える力があります。

信じていただけるか分かりませんが、私自身も日本の映画に大きな影響を受けています。映画はハリウッドだけではありません。日本の映画やマケドニアの映画だけでなく、ハリウッド映画以外の、各国そのままを映し出している映画をぜひ見てもらいたいです

おふたりがこの映画にどんな思いを込めたのかがダイレクトに伝わってくる、とても素敵なインタビューでした。

©国連UNHCR協会

映画を作った監督たちと一緒に映画を鑑賞し、そして映画にまつわるエピソードを聞くことができた今回の映画祭のオープニングイベントは、私にとって特別な体験となりました。

おふたりは観客の目を見て、一人ひとりに語り掛けるようにお話されていました。社会をより良く変えようと、第一線で頑張ってくださっている方たちに、私たちはもっと素直に耳を傾けるべきだと思います。そして少しでも考え方や行動を変えることができたら、世の中はもっと良くなっていくはずです。

日本にも難民としてやって来る方たちはいますが、実際に出会う機会はあまりないと思います。それでも、このような状況で困っている人が世界中にたくさんいること、そして、私たちも同じ状況に置かれる日が来るかもしれないこと、そういうことについて想像を巡らせ、困っている人にはいつでも手を差し伸べられる、そんな人間でいたいと強く思いました。


第19回難民映画祭には、自分自身も微力ながら映像翻訳と言う形で関わることができました。そして翻訳の過程で難民の問題を学んだことで、これまで気に留めていなかった事柄に関心を持ち、以前より広い視野で世界を見られるようになったと実感しています。

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さらに、広報サポーターに参加できたことで、1人でも多くの方に映画を観ていただくにはどうすべきか懸命に考え、次々に実行していく人たちの姿を見ることができました。そして、人を助けたいという優しさが源となったパワーはすごく大きいのだと、改めて知ることができました。とても嬉しい気持ちでいます。皆さんのパワーもぜひ分けてください。

そして、1人でも多くの方に映画を観ていただき、難民の問題について知っていただけますように。そして少しでも多くの寄付金を、今まさに必要としている方たちへ届けられますように。そう願っています。

第19回難民映画祭(11/7-11/30開催)

⚫︎6作品全てオンラインで参加



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