浦和レッズ歴代外国籍選手列伝Part 1(2009〜2011)
あ、どうもどうも。noteを三日坊主気味で放置してたクローゼです。
え?なんで今頃しゃしゃり出てきたかって?
一言で言えば便乗だよ便乗!!!
ジェイさんが発端で広まったこの列伝の浦和編作りたくなっただけさ!
皆さんほど書けるものはないけど多分そこは誰かが浦和編もっと濃密なのやってくれるはず!
とりあえずレッズ歴代外国籍選手列伝ライト版スタート!!丁度10年前だし、ドイツ路線末期の2009年時点で在籍してる選手からスタートね!!!
ロブソン・ポンテ(2005〜2010)
浦和の歴史上在籍年数最長記録を持つレジェンドオブレジェンド
2005年後半にマリッチと共にドイツから飛来
ドイツ時代はあのレイソルにいたフランサとレバークーゼンを支え続けてたという大物
この選手が呼ばれない当時のブラジルの層の厚さ。まぁジュニーニョ・ペルナンプカーノがベンチ止まりのレベルだもんね!
いきなり初年度から天皇杯奪取に貢献。翌シーズン以降ワシントンと共にクラブ初のリーグ優勝、天皇杯連覇、ACL優勝を浦和にもたらしてくれた。
個人としても2007年J リーグMVPを獲得。
惜しむべくはその歳の最終節で大ケガをしてアウォーズとCWCを両方欠場したことか。
アウォーズに関してはケガの治療のため帰国してたのでMVP不在という珍事が。手紙を送ってたらしく代読で啓太が読んでた気がする。
しかしこの大怪我が原因だったのかピークが過ぎ度々なんか絞りきれてなくね?という時も見受けられた
しかしそれでも2010年には復調。ポンテ健在をアピールしていたところでまさかの戦力外通告。
理由はチームの若返りのため。
京都戦のヒーローインタビューでこれが発表された時は寝込んだ。浦和のフロントのワラ人形作ろうかとも考えた。
退団発表後のポンテは更に輝きを取り戻しなんでいなくなってしまうん?と再認識させられた。
現に次の年の浦和はお察しください。
現在はポルティモネンセのTDをしておりご存知南米風阿部寛のマウリシオやそらジローの腹違いの子元鹿島ファブリシオを浦和に提供してくれたり中島翔哉をはじめとした日本人選手をポルティモネンセに迎え入れたりとJとの交流は未だ続いてる。たまにデコ連れて埼スタ来てる。
しかしポンテさん。広島ユースの子を青田買いした時はおしっこちびった。
ポンテの人気ぶりは浦和だけに留まらず某クラブの幹部はポンテには5億払っても惜しくないと言われたほど。
2019年にTwitter界隈で行われた #Jリーグ歴代助っ人外国人ドラフト でもまさかの1位指名が4人生まれるほど。まあ僕が抽選引き当てたんですけどね!
エジミウソン(2008〜2011)
浦和の新潟助っ人ガチャが始まった全ての元凶
加入時は中々フィットせず、浦和サポからブーイング浴びせられるほどだったが徐々に改善。
前任者ワシントンというデカすぎるエースの重荷を3年連続二桁得点という結果で応えてみせた。
しかし好不調の波がすごく、当時他のFW陣が点取れなかったこともあり彼の調子に浦和の勝利がかかってた。
しかし2011年夏突然中東に売り飛ばされる。本人は寝耳に水だったらしく浦和を離れたくなかったにもかかわらず億単位で買われた。
この辺りの浦和フロント容赦ねえ…
と思ったら翌年FC東京で、2015年にはセレッソで目撃情報が入っていたが得点力が違いすぎたため浦和にいたエジミウソン本人かどうかはコナンも投げ出すほどの迷宮入りである。
ちなみに本人は結構いじられキャラかつノリが良く浦和在住のボビー・オロゴンに似てると言われただけでスパイクに『ボビー・オロゴン』と刺しゅうを入れるノリの良さである
ファイサル(2009〜2010)
フィンケの隠し玉
どれだけ隠し玉だったかというと朝選手達が食堂に行ったら知らない間にいたレベル
足は速かったのか野人二世というあだ名がついたらしい
2009年に練習生として契約しC契約を勝ち取ったまではいいけどベンチ入りがたまーーーーにあったくらいで結局1試合も出ずこりゃ放出かと思いきや2010年もまさかの在籍。
ナビスコ杯くらいで使われると思ったら使われず結局5月に祖国ガーナへと帰っていった。
隠し玉隠したままな故にあのtransfermarktでさえにも行方を知られていない。行方を知りたい場合はTBSの爆報THEフライデーか行方不明者捜索番組にご依頼をお願いします。
ウィルフリード・サヌ(2010)
フィンケがフライブルク時代に教えてた愛弟子
ケルンにいた所をフィンケに呼ばれて来日
この選手の加入によりブルキナファソという国の存在を知った人は多いはず
身体能力は本物でスピードもあるしなによりバク転がすごい。元ナイジェリア代表のアガホワとバク転対決を是非やってほしい
前線のユーティリティプレーヤーとはいえチーム事情でSBをやらされたり不慣れなポジションで使われ続けたために本来の実力を発揮できず、その年限りで退団。フィンケさん愛弟子に無茶振りし過ぎです。
アウェイ京都戦での目の覚めるようなミドルは鮮明に覚えてるけども
その後ケルンを挟んで京都に移籍
どうもそのまま引退したらしい
現在の情報分からんのでとりあえずバク転大道芸で生計立ててることにしとこう
マシュー・スピラノビッチ(2010〜2012
闘莉王の後に4番を引き継いだ実力は確かにあった運のない男
2010年は出ればパフォーマンスは良かったものの怪我が多く、2011年は試合こそ出続けたもののシーズンの大半がペッカーだった上に堀さんになってから構想外になり、翌年からミシャが就任したために更に高層街へ。
W杯にも選ばれる実力あるだけにとにかくうちではツキがなかった
中東に移籍後は輝きを取り戻したらしくブラジルW杯にも選出。未だ現役で母国オーストラリアのパースグローリーで奮闘している
ランコ・デスポトヴィッチ(2011〜2013)
エジミウソンが去り、絶賛ペッカーで低迷中の浦和にスペイン2部とはいえ18ゴールを記録してる男が今夏来日すると聞いて浦和サポの期待値は高かった
しかし彼、リーグ戦では2年間在籍して僅か1ゴール
ナビスコ杯では得点王を記録したもののそれ以外で輝きを放ったのは大原サッカー場のみでついた名は大原の帝王
野球でよくある二軍の帝王みたいなポジションになってしまった
しかしそんな状況下でもファンに紳士的に対応するナイスガイでもあり、ファンからの人気は高く、退団時には実績が乏しいにもかかわらず惜しまれるコメントが多かった。
俺も柏戦のゴールは一生忘れんぞ!!(´;ω;`)
マゾーラ(2011)
圧倒的なスピードと突破力を誇り、周囲を活かしたチャンスメイクにも長けているとの触れ込みで加入
しかしそもそもその周囲との連携が噛み合わず、埼スタガンバ戦では原口同点弾で勢いづいた時にチャンスが到来したのにジャンピングボレーを豪快に空振りという埼スタに詰めかけた4万人をズッコケさせ気づけばネタ助っ人枠に入ってしまった。
鹿島戦の同点弾といい時折確かな実力は見せたものの予想をはるかに下回るパフォーマンスで1年で退団。多分他にも何か書くことがあるとは思うのだがこの年を思い出すと西川きよし師匠並みに泣いてしまうので勘弁してください…
その頃何故か中国で監督をしている岡ちゃんに引き取られた。
まだブラジルで現役してるらしい
とりあえず暗黒期の助っ人紹介終わった所で前半戦終了!!
え?マルシオ?いやちょっとミシャサッカー絡んでたからちょっと棲み分けを…
次回、ドイツ路線からの脱却、ミシャサッカーへの変貌
こーはんへ続く