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縦社会な日本と「我慢は美徳」という考え方について

どうも皆さんレジル教育LABOのさむです!

今回は趣向を変えて日常生活における様々な気付きと、それについて考えたことをアウトプットしていきたいと思います。

栄えある第一回の議題に選ばれたのはこちら!

縦社会な日本と「我慢は美徳」という考え方について

今回はこの議題について論じていこうかと思います。最後までお付き合い頂けると幸いです。

※注意※
我々のブログはただ読むだけではあまり効果がありません。我々の意見と自分の意見を比較しながら読んで頂けると質の高いものになります。自分の頭で考えながら読むことをおすすめ致します。

では参りましょう!

世界的に見ても縦社会な日本

日本という国家ではまだまだ封建的な制度やシステムが至る所で見受けられます。

学校でもそう。部活動もそう。もちろん社会人になってもそう。職場でももれなく封建的。

基本的には上下関係に厳しいことが多いです。それを表しているものとして言語が挙げられるでしょう。

尊敬語や謙譲語や丁寧語。3種類も相手を上げるための言葉がある時点で上下関係には厳しいということが言えそうです。

そのような封建的な体系には否定的な意見も多いようですが果たして本当にそうなのかということを考えていきましょう。

メリット
→上下関係がしっかりしているのでトップダウン型になり意見が通りやすい→敬う事が多いため謙虚でいることができる

デメリット
→精神性が低い状態だとトップダウン型は押しつけになってしまう
→謙虚と否定を履き違えると自己肯定感が下がってしまう
→精神性の高さによりメリットがデメリットになる

こんな感じでしょうか。そして今の日本国民に関して言うと精神性が高いようには思えませんね。

つまり封建制度とは相性が悪いでしょうね。まあ精神性が低い状態でフランクな関係性になったとしてもメリットは大きくないかもしれませんが。笑

結論として現状の日本では封建制度は合わないかもしれないということです。

では2点目に行きましょう!

「我慢は美徳」という考え方

こちらの考え方に関して論じていきましょう。

昔から日本では我慢は美徳とされてきました。現代の日本でも我慢は美徳という雰囲気は消えていないと言ってもいいでしょう。では実際のところ我慢をすることは良い事なのでしょうか?

答えはなんとも言えません。我慢は体によくありません。しかし役に立つこともあったりします。

我慢と似ている継続することもとても大切なことです。

この2つの違いは自らの意志があるかどうかですね。やりたいと思って欲求を抑え込むなら継続だし、やりたくもないことで欲求を抑え込むなら我慢になります。

ただこれも難しいです。良薬は口に苦しのようにためになる我慢もあるし、きれいなバラには棘があるように役に立たない継続もあります。

正直いってやってみるまでわかりません。

ただ一つ言えることがあります。どんな状況でも全く学べないということは有りません。

どんなにつらい状況でもメンタルのトレーニングとして活用できたりします。何かを得ようとする姿勢があるのであれば何かしらの成果は確実に得ることができます。

しかしそれはあくまで自分の意志ですので周りが矯正することに関しては完全に良くないことだと思いますが笑

つまり結論としては我慢をしてまで何かを得たいと本人が思うのであれば我慢は美徳になります。

ただ強制的な我慢は美徳ではなく拷問になりますね。

まあ傍から見て継続すれば確実に成果物が在るとわかっている際の強制は判断しづらいところではあります。

常に正解できることはないのである程度許容することが重要かなと思います。

こんな感じで今回の論評は締めくくりましょう。

いかがでしたでしょうか?各々が回答を持っている状態が理想ですのでそれを目指して常に考えていきたいものです。

では今回はここまで。お疲れさまでした。

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