今後いつまで「栄冠は君に輝く」は夏に聴けるか~いずれは使い捨てや懐メロになる?2024年7月26日
調べてみると「栄冠は君に輝く」は1948(s23)年に「全国高等学校野球選手権大会の歌」という題名で発表されています。
作詞は朝日新聞社の懸賞公募で当選した「加藤道子」。
作曲は朝ドラ「エール」のモデルになった「古関裕而」。
全国高等学校野球大会の歌ということでは2代目の曲とのことで、初代は福武周夫作詞、信時潔作曲だそうですが、私は意識して聴いたことがありません。
夏の甲子園の開会式や閉会式で奏唱される「栄冠は君に輝く」を聴いて、
夏だなあ
と思われる方も少なくないと思います。
使い捨て
これは何かのための曲は、その時の事情で、あっさり捨てられるという運命に合うことも多いので、言いました。
私の近い例では、私の生まれ育った市の「市民歌」は、古関裕而作曲でした。市町村合併のときに、新しい市のイメージをということで、あっさりと何だかどこにでもあるような曲に変えられてしましました。
そのとき、実は隣の町の「町民歌」を作曲したのは、伊東功、私の父でしたが、この町民歌も、あっさりと、新しい市民歌に吸収されてしまいました。
ちなみに、私の父は、あちこちの校歌や園歌なども作曲しています。
けれども、学校の統廃合などによって、捨てられるようなことになります。
懐メロ
その校歌を歌った子どもたちの中で、覚えている人がいれば、懐メロです。
町民歌やその地域の盆踊りの歌など、私の父が作曲したものがあちこちにありますが、それを歌ったり踊ったりした人たちの心には、残っていることになります。
実際に、こんなことを言われて、私自身が知った曲もあります。
「これ、あなたのお父さんが作った曲ではないですか」
反対のこともあります。
「あの曲は、実は私の父が作曲しています」
何かのための曲でも、残るもの、たとえば、映画音楽などは、捨てられることもなく、懐メロになることもなく、芸術作品として後世に残るものも少なくありません。
近代のクラシックの作曲家は、映画音楽を多数作曲しています。プロコフィエフやガーシュインやバーンスタインなどなど。
たぶんもっとも皆さんがよく知っている映画音楽でクラシックの日本を代表する作曲家の手になる「ゴジラ」シリーズで必ず出て来るいくつかの、あの曲。
作曲は東京藝術大学の先生として、たくさんの優秀な作曲家を育てた伊福部昭。映画音楽もたくさん作曲しています。
話題が、「夏の定番曲」から離れてきました。
映画音楽は、また別の機会に。
働き方改革
部活動の指導が教員の仕事かと、取りざたされています。
甲子園の野球も、なくなるかどうかはわかりません。
何らかの形で残る可能性もあります。
そのとき「栄冠は君に輝く」はどうなるのでしょうか。
使い捨てのようにされて、懐メロになるのかも知れません。
でも、先のことは先のこととして。
今年も、「栄冠は君に輝く」の夏は、始まってます。