新しく作られた道を走るのは気持ち悪いが、そのうちに慣れた。
四半世紀におよぶ工事を経て、わが田舎町から少し都会の町近くへ、山の中をくり抜き谷を埋めた、長く平坦な道ができた。これまでは、その都会町へ
行こうと思うなら、山の中を曲がり谷を越して向かうしかなかった。その道は上がり下り、右へ左へと臓物を偏らせる、厳しい道のりだった。
新道路ができ、町民は喜んだ。これでわが町のぬるい瓶ビールの並んだ商店で地域振興券を浪費するだけではなく、ハイカラなモルグ、もといモールで昼間から酔いつぶれることができると。穴ぼこだらけの道路で隔離された町民の怒りを思い知るが良い。
新道路の開通式が行われた次の日、わたしはひっかき傷だらけの自家用車で、新道路の入り口へと向かった。真新しい看板が、わが町の中で最も新しく見えた。子どもが新しく生まれることのまれなる場所であるから、あながち間違いではない。
山の中の新道路は、とても自動車を走らせやすい。真っすぐな、急カーブの少ない道だ。車の速度を落とさなければ、車の底にタケノコが突き刺さる荒れた凹凸の道、わたしの知っているこの町の道はそこにはなかった。車専用の道であるから歩行者も信号もなく、快調に速度を維持し続けることができる。
住民が少ないため、一度も人が使っているのを見たことがない信号や横断歩道の、目的の失われた停止の指示におびえる必要もない。だがわたしは感じている。この道の気持ちの悪さ。
わが車の古いカーナビは、新道路を知ってはいない。道のない山を示す地図の中を、光点が進んでいく。カーナビはこの道を知らない。わたしもこの道を知らない。都会の町までの道は、この道ではなかった。わたしがその町に行くためには、五臓六腑を七転八倒させ、艱難辛苦の末にたどり着くしかなかった。
わたしは車を走らせ、下からしか見ることのなかった山を見下ろしながら、自分がどこに向かっているのかを確認する。したいと思う。その都会の町の名前をつぶやく。この道は、あの町に通じている。あの道は、あの町に通じていた。今でも通じているのだけれど、あの町に行こうと思うならば、正気を失う覚悟でしか古い道を使えない。
自分の記憶をたどるならば、すっかり生活が変わる変化もあった。進学や就職で、生活を囲む風景が昨日と今日とでは見違えることはあった。職場の新人に「学生気分が抜けない」との𠮟責は一昔前かもしれないが、学生の余韻を残しつつ、少しずつ働くことに慣れていった。
それでは、長年連れ添った恋人との別れの翌朝のような、あったものがないことへの違和感だろうか。新道路についていえば、ないものがあるのだから、逆であるのかもしれない。新しい恋人ができた出会いの翌夜のような。新しい恋人ができたことを知らず、その恋人に出会って恋人であってしまったような。
いずれにせよ、そのうちに慣れるのだろう。古い道を忘れ、新しい道を進み続けるのだ。車の運転が楽で、都会の町へ向かう道程の時間も短いのだから、使わない理由がない。古い道はスギ花粉に埋もれ、砂場に沈む半スコップのように黙り込めばいいのだ。
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