炎上とは私たちの意識が変わるために必要なめまいかもしれないが、みんな目が血走っている

「どうして大好きなフワちゃんがいなくなったの?」という小学一年生のKちゃんからのご質問です。フワちゃんとやす子がオリンピックで炎上した件のお話から、炎上について考えたいと思います。

フワちゃんがやす子のツイートに対し、きつい引用リプを返した。その引用リプを見て、やす子が「とっても悲しい」とツイートして、フワちゃん炎上、テレビから干された、との事。

今回の件、ツイッターという公開の場とはいえ、芸能人が別の芸能人のツイートに絡んで、個人攻撃したというだけで、本当にどうでもいい事だと思う。のだが、SNSでの「炎上」が起きると、やはり気になるのだ。炎上したその件というより、炎上させる、私も含むネット民の姿が。

先に述べた通り、フワちゃんの発言は「不適切」だと感じたのだけれど、何が不適切に感じさせるのか。「死んでください」とツイートしたようなので、言葉が強すぎたのもある。なら、「あなたは偉くないですけどね^^^^^^」だったら、炎上しなかったのかと言えば、結局、炎上しそう。

やす子のそもそもの、「あんたら生きているだけで偉い。みんな金メダルや」みたいなポジティブなツイートに、賛同しない引用リプしたら、言い方はどうあっても、叩かれるだろう。
「生きているだけで偉くない人もいます」という返しは、(炎上させた人たちが納得するレベルで)ありうる。大量殺人犯に対し、「この人も生きているだけで偉い」なんて言ったら、そっちが炎上する。やす子のツイートは、そもそも賛否を問う事ではない。「ある人は生きている。生きていることは偉い。故に、ある人は偉い」が正しいかどうかを、議論したいわけではない。

それなら何かというと、「このチョコレートはおいしい」といった感想ツイートなんだろう。それなら、「いや、このチョコレートはまずい」と返してもいいはずだが、「このチョコレートはおいしい」に賛同しない人間から叩かれる。叩かれれば、炎上する。叩かれるから炎上するのであって、そもそものツイートが何であるかは、炎上するかに関係しない。

「いや、フワちゃんのリプ、最悪じゃん。個人攻撃じゃん」というのは分かる。個人攻撃だと思う。しかし、個人攻撃した有名人が、炎上するわけではない。どんなにヤバいツイートをしようが、叩く人がいなければ炎上しない。例えば私がここで、フワちゃんがやった以上にやす子を叩く記事を書いても、炎上しない。

叩く人が炎上させるのだから、あるツイートなりに対する、社会的な制裁の結果を炎上というのではない。「SNSで急激に拡散される。(ついでにネットニュースになる)」という事が炎上であって、そのツイートの一般的に考えられる「善悪」は関係ない。今回の場合は、「死んでください」というよくない言葉があったが、金持ち有名人が日常をつぶやいただけで、「金持ち自慢ですか」と炎上するのだから、叩く人が善悪、というか好き嫌いを味付けする事はあっても、元ツイートにそんな意図はない。が、深読みするのは私たちである。

一般的に善悪がはっきりしているものが炎上しやすいのは、そのツイートをポジティブ・ネガティブのどちらの態度で再拡散すればいいのかが分かりやすいからだろう。「死んでください」なんて、悪いやつしか使わない。なら、フワちゃんは極悪人だ。燃やせ燃やせ、極悪人だと広めまくるんだ。

となるのだが、問題に見えるのは、叩く人はフワちゃんが現在の炎上の結果どうなろうともどうでもいいと考えている、またはそこに意識していない事だ。テレビに出れなくなったりしたみたいだから、叩く人はテレビ局にクレームを入れるぐらいはしたのかもしれない。一般人の私からすると、職場に集団でクレームが来てクビになったら、かなり凹む。死にたくなる。じゃあ、叩く人がフワちゃんに死んで欲しいかというと、おそらくそこまでは思っていない。今回のツイートだけで、そこまで考えが至る人は、それほどいない(と信じたい)。

一時期、SNSで叩かれた女性プロレスラーだったかが自殺して、話題になっていた。自殺したから「叩くのはよくない」となったが、特に反省する事なく、叩かれた人がどう行動するかを考えずに叩く事を、私たちはやめられない。

フワちゃんはそもそも「死んでください」と言ったとしても、やす子はその時点で一対一で変なやつに難癖つけられただけで、現状の、仕事から干されボコボコのフワちゃんと比べれば、どちらがキツいかと言えば、フワちゃんに思える。やす子も、悲しくはあってもフワちゃんを芸能界から干して復讐したいとは思っていなかっただろう。むしろやす子が本当にいい人であればあるほど、自分が関与しない所で大事になっていくのを見て凹むように思える。

叩くなという説教をしたいわけではない。フワちゃんにもやす子にも、特に興味がない。叩く人に想像力が無いと考えているわけでもない。今回の炎上の結末も、どうなるか分からないのだから。


炎上を起こす能力、つまり「人を叩き、その叩きを拡散させる」という能力は、これまでも人間にあった。気に食わない人間に悪口を言い、その悪口を他の人にも言いふらす、というのは、人として当然の性向だ。(当然だから許されるわけでも美しい行為であるわけでもなく、下品さの証明ではあるが、それ故に人間的である)

そうした性向を慎むのは、リアルでも難しく、なおさらネットだと難しい。反撃されるリスクは限りなく低く、叩きを拡散させる力はリアルの比ではない。

じゃあ、「ネットで叩こうとしている人が、実際に目の前にいても同じ事を言えるか考えてみましょう」的な、ネットでの行為をリアルの行動規範に準拠させて規制しようとする意見も退屈だ。叩くにしろ、叩かれた事の自衛にしろ、リアルなら殴って殴り返してで良い。しかしネットだと、目の前にいない事は、どうやったっていない。

歴史について語る時、例えば戦国時代の武将の振る舞いについて語る時、現代の行動規範から「この戦国武将は優しい・冷酷だ」と判断しても、あまり意味がない。推し武将を趣味で語る分にはいいのだが、戦国武将の行動規範を内在化して理解したい場合、現代の自分が持っている判断の感覚は邪魔になる。

同じように、リアルの判断基準をネットの判断基準とする事は無意味かと言えば、理想としては無意味だが、一時的な処方としては意義がある。ネットだから好き放題やる、というのもネットの判断基準としては至極真っ当だが、私たちはネットのリスクについて把握しきれていない。飲食店で悪さしたのSNSに上げてリアルで損害賠償、という事例も多々ある。リアルの判断基準を持てば、ネット経由でリアルに被害がある事は防げる。

が、やはりそれでも、ネットでの判断基準を自分で考え埋没し、ダメージを喰らって沈没していく犠牲者が、ネットの新しい判断基準を作るのだろう。ある人を叩くにしろ、叩かれた方がその傷をいかに回復し反撃するかも、ネットの技法はある。

最終的に、リアルから離れたネット上のアバターが別のアバターを叩くのがネットになるかと言えば、リアルの人間がネットをやる限り無理、とは言わなくても、厳しい。ネット上の人格を育てるゲームとしては成立するだろうが、そこからリアルの自分が何かのフィードバックを得るなら、そこには人間らしさの痕跡が残るのだろう。

結果的に、炎上は人間の自然だからしょうがないよね、となってしまったようだ。人の粗探しをして叩いて自殺させて、という意味では、武器の発明に似ているのかもしれない。火縄銃を使っている人は、それが現代の銃に繋がり、火縄銃の比ではない数の人を殺せるようになる事を知らない。有名人を叩いて炎上させる私たちも、その未来を知らない。おそらく、そうであるしかない。大災害級のリスクと一緒で、過剰に恐れれば足はすくみ、無視すれば後ろから刺される(かもしれない)。叩き炎上させ、社会として、痛くなければ覚えませぬ、であるしかない。か、自律を持て、なのか。持てる人が多ければ、炎上さえ必要あるまい、だが。

あなたの心のスキマが埋まりましたら、ソーレッ!エイヤサッ!エイヤサッ!エイヤサッ!あなたのいいとこ見てみたいっ♡エイヤサッ!エイヤサッ!エイヤサッ!