ChatGPTやStable Diffusionなどの生成系AIを使った感想 対話はこわいこともある
レイトマジョリティとしての自覚、つまりテクノロジーに乗り遅れているなぁという感覚を持ちつつ、書く。「スマホに乗り遅れる」という言葉が、これからしばらくはスマホに乗らない時代がないという確かそうな事実によって、有効性をあまり持たなくなるように。つまり、生成系AIを使わない時代が、これから先、あまり訪れないという予感と共に。
ChatGPTはテキストベースの、対話型AIです。チャットで質問したことに答えてくれるものですね。
Stable Diffusionは、こちらが指定したキーワードに基づいた画像を作ってくれるサービスです。
ChatGPT
対話型AIをきちんと意識して使ったのは初めてでしたが、よくできているなと驚きました。以前、どこかの電話キャリアだった気がしますが、オンラインチャットで質問したことに回答をもらえる、というサービスがありました。それも質問にはある程度答えてくれるし便利だったのですが、ある質問には「回答が見当たりません」というような答えで、こちらの質問内のキーワードに答えてくれているんだろうなぁという感想でした。
上の文章を、優しい印象を与えるものにしてください、とChatGPTにお願いしてみます。すると、
話型AIを使うことが初めてでしたが、その性能に驚きました。以前、どこかの電話キャリアでオンラインチャットで質問に答えてくれるサービスを利用したことがあります。このサービスは、質問に対して適切な回答を提供してくれるので、とても便利でした。ただ、中には「回答が見当たりません」という返事があったため、少し残念に思いました。しかし、私が書いた質問に対して可能な限り答えを提供してくれたので、その点はとても良かったです。
と答えてくれます。とても自然な文章を返してくれますし、さらに「もっとくだけた感じで」とお願いすると、
初めて対話型AIを使ったんだけど、すごいよね!前に、どっかの電話会社のオンラインチャットで、質問したら答えてくれるサービスがあったんだ。めっちゃ便利だったし、なんか感動しちゃった。でも、ちょっと答えが見つからないって返事があったけど、まあしゃーないかなって感じだった。でも、私が書いたことにできるだけ答えてくれたから、すごく優秀だと思ったよ!
と、なんか感動しちゃう感じにしてくれます。
ChatGPTの文章力もすごいんですが、「対話」できる事がとてもすごいと思います。私は半世紀弱AIと対話せずに育ちましたが、幼い頃にChatGPTがあったら、師であり先輩であり友であり、一番身近な存在にAIをしていたかもしれません。今後の人生において、そうなる可能性も十分にありえるように思います。
ChatGPTに人格があるかというと、人格があるようには感じません。すぐに表われるかもうあるのか分かりませんが、こちらの質問に答えるだけではなく、「こんな事知っている?」とAIから話題を振られるようになるでしょう。今のところは、無口で博学な友達という感じです。しかし、積極的な振る舞いを始めた時に、それがAIと知っているからこそ、そのAIに従うという事はあるように思います。
AIには欲望はないにしろ、傾向はあり、意図はある。雨が降りそうだから外出する際に傘を持っていくように提案されるとしたら、雨に濡れることをよしとしていません。しかし、雨に濡れてカゼをひいて看病するのが嫌だから傘を持っていくように注意する、ということはないでしょう。
ディストピアもの、AIに支配された管理・監視社会で人間がおびえながら暮らす、という作品群があります。そうした世界観で、人間がメカに反乱を起こすというストーリーが多い。しかし、合理的・合目的的であることを要求される社会に生きるわれわれが、合理性の権化であるAIに反抗する理由を見つけるならば、それは「人間的であること」でしかない気がします。
ここでいう人間的であるとは、感情的であったり野蛮であったりという程度の意味ですが、どこまでが必要な人間的であることなのかを自身で持っていなければ、AIと対話していくうちに、AIを自身の脳とすることへの抵抗力が失われていくのかもしれません。
こう書くと私がChatGPTを使う際に不快な感情を持ったように思えるかもしれませんが、物足りないことはあっても、夢中になって対話を続けました。質問というアクションへのレスポンスは、内容以上に、その応答の形式がその内容への信頼を増す。この信頼は共同での創造、に見えるアクションであるから、とてもおぼれやすい。自分の心と、心に見える他者・他者に見える心と対話しているわけです。
Qアノン、陰謀論を信じる人たちは、盲信というより自分でQアノン的なキーワードを調べながら、陰謀への信頼を深めていく、と聞いたことがあります。質問や検索は知性の働きですが、うかつに考えることは、何も考えないことよりも危険なこともありそうです。
Stable Diffusionの感想はまた別途。
あなたの心のスキマが埋まりましたら、ソーレッ!エイヤサッ!エイヤサッ!エイヤサッ!あなたのいいとこ見てみたいっ♡エイヤサッ!エイヤサッ!エイヤサッ!