応援という言葉
私は中学校があまり好きではなかったが、心の底から母校に行けて良かったと思えている。なぜなら、学年主任の先生が朝礼で言ってくれた「応援できる人、される人になりましょう。」という言葉が今でも忘れられないからだ。
人に対して「成長したね」「見守ってるよ」「期待しているよ」などと言うことが好きでは無い。どこか上から目線に感じるからだ。しかし「応援しているよ」という言葉には上から目線な印象は受けない。
もっといえば、応援とは相手の頑張りや、努力の結果に対する評価ではなく、相手の存在そのものを肯定する言葉に聞こえる。「期待している」という声掛けは「ガッカリさせるな」というメッセージも含んでしまっているし、「成長したね」という言葉には「私は評価する立場だ」「私の方が上だ」という考えを見て取れてしまう。
しかし応援とは互いの立場は関係なく、相手の努力の結果を評価することでも無い。「応援」という言葉がピンと来たのはまさにこれが理由だろう。
また、自分より優れた人を妬んだり、足を引っ張ろうとせず「応援できる」ことは本当に大切なことだと思う。人と一緒に頑張れる人は相手を応援できる人だろうと思うし、応援する事で相手への敬意も持てる。応援できる人は人の長所に気づきやすくなれる。
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