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079.自分の生き方を子どもたちに伝える方法
最近、自分の人生の残り時間について考えさせられることがありました。
私は現在40歳代半ばですが、今後の人生について漠然とあと40年くらいはあるのかななどと考えていました。
何も根拠はないのですが、80歳位が寿命なのかなと。
将来、子どもたちが成長し、大人になって自立をして、私は妻と二人で静かな自然に囲まれた環境で余生を過ごす。
時には、子どもたちや孫たちが遊びに来て、楽しい時間を過ごす。
そんな未来すら描いていました。
当然、いつまでも人生が続くとは限らないということを考えることもありますが、そんな考えもどこか他人事のように考えている自分がいたように思います。
ところがです。
いざ自分の身に、冒頭で書いたような人生の残り時間を考えさせられるようなことがあり、もしかしたらそれほど時間が残されていないのかもと思えてしまうと、いつまでも人生が続くわけではないという言葉が急に現実味を帯びてきて、怖くなりまた寂しさを感じてしまいます。
当然ですが、自分の人生がいつまで続くのかは誰にもわかりません。
元気だった方が突然亡くなってしまうということは往々にしてあることです。
交通事故や災害、病気、不慮の事故など。
誰もが心ゆくまで人生を生きて、満足する最期を迎えられればいいのですが、残念ながらそうはいきません。
そんな風に考えると、一日一日をより大切に生きていかなければならないということを痛切に感じます。
そんなことを考え、寂しさや怖さを感じている際に、あることに気づきました。
それは、「子どもたちに、noteで私の生き方を伝えられるんじゃないか」ということです。
私は普段から日記を書いていますが、このnoteで書いていることは、当然日記とも異なります。
日記はその日の出来事、それに対する私の想いや感想、また子どもたちの成長の様子等を綴っていますが、このnoteでは、私の生き方や物事に対する考え方の基本などを綴ってきています。
そう考えると、noteで綴ってきていることは、ただ書きたいがために、今現在の私の生き方や考え方を綴っているだけではなく、いつかは子どもたちにも伝えたいこと、いつか子どもたちが困ったときに何かしらの指標にしてほしいことを書いているのかもしれないということに気づいたのです。
今は子どもたちもまだまだ幼く、私がnoteで書いていることもほとんど理解することはできないでしょう。
ですが、ある程度成長してから見れば、「親父はこんな考え方をしていたんだな」などと理解できるときがいつかは来るような気がします。
いつまでも、親が近くにいることはできません。
ですが、たとえ成長した子どもたちの心には響かなかったとしても、自分の父親がどのように物事を考えていたのか伝えられるのは、とても素晴らしいことだと思いました。
できれば自分の口で色々なことを伝えていきたいのは当然ですが、子どもたちがそれを望むとも限りません。
また、noteであれば私がどんな状況でも伝えることができます。
このnote。
未来のわが子たちにも伝えられるツールだと気づいたら、ますます大切な存在になりました。
今のところ、まだまだ続けられそうです。
一日一日、自分のために、読んでいただける方々のために、そして未来の子どもたちのために、このnoteを頑張っていきたいと思います。
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