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074.手
絵本屋開業を夢見るおっさん、自称 絵本作家のれいです。
最近、少し寂しさを感じていることがあります。
それは、手で触れるものがだんだんと少なくなってきているんじゃないかということです。
言うまでもなく、人体の中で直接何かに触れる機会が多いのが「手」です。
朝、目覚めてから生活をするために様々な物に「手」で触れています。
大切な人たちに触れ、また仕事をする上でも多くの物に「手」で触れています。
一日の中で、自分の手で触っているものにどんな物があるか考えてみると、かなりの数にのぼるのではないでしょうか。
それでも、私が子どもの頃に比べると、手で触れるものがだんだんと少なくなっているように感じます。
一番の大きな理由は、やはりスマートフォンやタブレットなどのデジタル機器の台頭でしょう。
今まで身の回りで使われていた数多くの文房具、筆記具やメモ帳、ノート、スケジュール帳などの類は、スマートフォンやパソコン、タブレットなどの端末に代わっています。
また、本についても電子書籍が優勢になってきていますし、音楽や映画などでも、以前にあった媒体や再生機が失われつつあり、代わってデジタルが主流となり、スマートフォンなどのデジタル端末が使われています。
(私が子どものころは、カセットテープや8センチのCD、MD、ビデオテープやレーザーディスクなど、様々な媒体がありました…。)
他にも、絵を描くことも同様にデジタルとなっていますし、紙幣や硬貨等のお金についてもクレジット決済や電子マネーが増え、以前に比べると触れる機会は減っているように思います。
写真や動画も、一眼レフやミラーレス、デジカメ、ビデオカメラなどではなく、その便利さからスマートホンなどのタブレット端末に代わってきています。
子どもの遊びも同様です。
おもちゃで遊んだり、外遊びで様々な物に触れる遊びよりも、タブレットやゲーム機で遊ぶ機会が圧倒的に多いように感じます。
これについては、人それぞれ育児の考え方があるので一概には言えませんが、比較的早い段階からのデジタル機器の利用があるように思います。
デジタル機器以外にも、仕事上でも生活の中でも便利さが求められて多くの物が開発されてきています。
それに伴い「手」で触れるものがだんだんと少なくなってきている。
生きていく中で、多くの物に触れる必要が少しずつなってきているように思うのです。
一つ勘違いをしてほしくないのですが、もちろんデジタル機器を否定している訳ではありません。
私自身スマートフォンもパソコンも利用していますし、デジタルの恩恵を存分に受けて生活をしています。
また、生活が便利になることにも、(便利になりすぎるのもどうなのかなという想いを抱きつつも)ありがたみを感じています。
「手で触れる物が減ってきているからと言って何か問題でもあるのか」と言われても、何も言えません。
ただ、デジタル機器の台頭や便利さを手に入れると同時に、手で触る物が減ってきているということに、少し寂しさを感じてしまうのです。
これには、私が文房具好き、読書好きということが関係しているかもしれません。
文房具であれば、一つ一つ手触りや重さ、書き味も違い、手を通してそれを楽しむことができます。
ノートや紙自体でも、手触り、書き味がことなります。
本についても、その本自体の手触りやページをめくる感覚、重さや厚み、そういった本の内容以外にも楽しみがあるように思います。
そういったものが失われつつあるように感じられてしまい、少し寂しさを感じるのです。
デジタルであれば手触りや重さは、常に同じですから。
とは言いながら、私は創作絵本をユーチューブで公開していますが、これについては別の理由があるので、いつか記事にしたいと思います。
ちなみに、私はどちらかというと「 アナログ > デジタル 」という人間なので、スケジュール管理にはスマートフォンではなくスケジュール帳を使っていますし、筆記具などの文房具もかなりの数を持っています。
また、書籍については一切電子書籍は使用していません。
そのため、本棚にはかなりの冊数の本を並べることになってしまっています。
ですが、それが私にとってはとても心地良いのです。
いきなり全ての物がデジタルに変わる訳でもありませんので、結局は人それぞれの関わり方次第ということになるのですが、今のデジタル機器の発展の流れを見ると、いくら「 アナログ > デジタル 」という人間でも、少なからず「手」で、様々な物に触れる機会が減ってしまうものだなと思いました。
そしてもう一つ。
これまで「手」で触れる、すなわち触覚として、人間は様々な感覚を感じてきましたが、それが単一な触覚に向っていくとなると、少なからず「手」が退化していってしまうのかなぁなんて、余計な心配もしてしまいます。
私は今40代半ばですが、もしかしたら昭和から平成と「社会の中で、一番、多くの様々な物にあふれた時代」を生きてきたのかもしれません。
特にまとめることもせず、とりとめもなく書いてしまいましたが、皆さんはどのようにお思いでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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