049.あなたが見ている世界
先日、娘を助手席に乗せて、車を運転していました。
娘は、顔を外へ向けて一点をみつめています。
外の景色は流れていても、娘の瞳は一点を見続けています。
娘の目には、いったいどんな景色が映っているのでしょうか。
運転中、そんなことを考えながら、娘の横顔を見ていました。
それにしても、かわいい横顔です。
少し話が逸れました。
流れていく車の外の景色。
一点を見つめている娘。
ドアに肘をのせ、ほおづえをついて、なんとなくもの悲しさすら感じさせるような深い表情で、外の景色を見つめています。
そんな娘の姿を見て、「娘の目にはどんな景色が映っているのか」とふと気になりました。
もちろん、同じ景色を見ていても、見ている方向が異なれば、目に映る景色も異なります。
ですが、同じ方向を向いていたら、全く同じ景色を見ているのでしょうか。
そんなことを考えていたら、「私たちは、同じ景色を見ているようでも、それぞれ人によって見ている景色は違うんじゃないか」という思いに至りました。
娘に、「何をみているの?」ときくと、少しずつ生えてきた前歯を見せ、ニカ~ッと笑いながら、「景色を見てるんだよ~」とのこと。
かわいい笑顔です。
たまらなくかわいい。
また少し、話が逸れました。もう逸れません。
人は、同じ景色を見ていても、様々なフィルターを通して見ているように思います。
これまで生きてきた中で得た経験や知識を通して見ている景色、その時の感情を通して見ている景色、自分自身と似ている物事、同一の物事などが視界に入り、特に注目して見てしまう景色等など。
運転をしていると、自分が乗っている車や自分が欲しいと思っている車はよく目にとまります。
それまで意識をしていなかったのに、子どもができると、街を歩いているときも子どもがよく目にとまります。
新たな趣味を始めると、その趣味に通じたあらゆる物事が目に留まるようになります。
逆に、自分自身が避けているような物事、やらなければならないのにできていない物事等も、つい気になってしまい、目に留まるようになるかもしれません。
そんなフィルターを通して見ていると、人それぞれ同じ景色でも見ている景色、記憶に残る景色、意識をして見る景色は異なってくるのだと。
私の娘が街を歩いていたら、その可愛さに、当然目が留まります。
ただ、全く知らない方が見たら記憶にも残らないでしょう。
そのような中で、他人が自分と同じ景色を見ているものだと認識して話を進めてしまうと、当然ですが、そこには少なから認識の差異が生じます。
頭の中を、他人と完全に一致させるのは難しい。
こんなテストがあります。
何人かで集まり、白い紙と筆記具を準備します。
それぞれ、他人の紙は見ないようにし、次のように順番に絵を描いてもらいます。
・まず、家があります。
・そして家の隣には、大きな木があります。
・さらに、家の近くには池があります。
ここで、描いた絵をそれぞれ見比べてみてください。
登場する要素は、「家」「木」「池」の3つです。
ですが、それぞれの絵を比べてみると、家の形、大きさ、大きな木が立っている場所や木の形、池の大きさや形、場所など、たった3つの要素でも、絵のうまい下手は別として、まったく同じ構成の絵には、ほとんどならないと思います。
さまざまなパターンの絵が出来上がっていると思います。
これまで生きてきた中で、思い描いてきた家や木、池、それぞれの大きさの基準など、その人自身のフィルターを通すと、人によって異なる絵ができあがる訳です。
少ない要素でも、他人と頭の中を一致させることは難しい。
他人と、頭の中を一致させるのはとても困難であるということ。
どのような方法を取れば、お互いの頭の中の認識を近づけることができるか考えること。
他人との関わり方のなかでは、そのようなことを理解したうえで関わることが大切のように思います。
娘と私が見る景色は違う。
娘と私が見る世界は違う。
車の中から見える景色は同じでも、頭の中では一致していない。
近づけることはできても、完全に一致することはない。
車の中からの景色に限らず、さまざまな物事を、そして世界を見るときも同様です。
娘が見ている世界がどのような世界か。
興味があります。