062.知らずに人を傷つけているかもしれない言葉
反省。
先日、小学校から帰ってきたばかりの小1の娘に、ひどいことを言ってしまっていました。
言ったときは全く気づいていませんでしたが、私が娘に言った言葉を振り返ってみると、「もしかしたら娘を傷つけてしまっているのかも」と。
暑い日。一日、学校で頑張って帰ってきた娘。
リビングで宿題をしていたのですが、しばらくすると娘の足の匂いが漂ってきました。
「〇〇(娘の名前)!足が臭いから、足を洗ってきなさい!本当に臭いよ。」
少し、きつめに言いました。
娘は、少し不貞腐れた表情を見せながら、お風呂で足を洗います。
そんな娘の様子を見て、ふとある考えに至りました。
以前なら、自分が言った言葉に対して、何も思わなかったかもしれません。
事実、娘にはこれまでにも何度も同じように言っていました。
ですが、このnoteを始めてから、特に意識せずに自分自身の言葉の振り返りをすることができるようになってきているのでしょうか。
自然と自分が言った言葉について考えていました。
「臭い」という言葉、娘をひどく傷つけてしまったんじゃないかと。
誰だって「臭い」なんて言われたくありません。
それが事実であったとしても。
私も子どもの頃、自分ではどうしようもできない身体的なコンプレックスについて同級生から言われて、ひどく傷ついてきました。
今でもそのコンプレックスを言われれば、いい気はしません。
小学校一年生の娘も、「足が臭い」と言われてもどうすることもできないでしょう。
もしかしたら、自分でもそのことに気づいているかもしれません。
それでも「足が臭い」なんて言われれば、いい気はしません。
そんな「自分ではどうすることもできないことに対し、とてもひどい言葉を言ってしまっていたのだ」ということに気づき、娘を傷つけてしまったかもしれないと思い、とても反省しました。
言葉は、時にとても残酷です。
当然、言葉を扱う人間が残酷にしています。
人間は、一日に数えきれないほどの言葉を交わしています。
言葉を交わす方法も様々。
その数えきれない言葉たち、意識にも残らない言葉たちの中に「もしかしたら、知らずに人を傷つけているかもしれない言葉たちがあるのかもしれない」と思うと、少し怖く思えます。
傷つけるつもりなんて全くないのに、傷つけている。
とても怖いことだと。
普段、言葉を使うことについて意識をすることはほとんどありませんが、言葉というものを使う以上、誰かを傷つけてしまうことがないように丁寧に、しっかりと注意を払って使う必要があることを、改めて認識させられました。
正直に言えば、このnoteでもそのような言葉を見ないわけではありません。
強い言葉を使う方も、中にはいらっしゃいます。
私も、もしかしたら今回の娘に対して言った言葉のように、考えが及ばずに誰かを傷つけてしまっている言葉を書いているかもしれません。
「私の書いた記事が、私の書いた言葉たちが、誰かを傷つけることが決してないように」
このことだけは、何をおいても守っていかなければなりません。
当然、これまでも意識をしてきていますが、今回のことでさらにその気持ちを強く持つことがきたように思います。
このことにしっかりと気づくことができたのは、これからの人生を歩んでいく中で、またこれからnoteを続けていく上でとても有難い気づきとなりました。
また、今回のことで、娘の足の匂いに対する受け取り方も少し変化がありました。
確かに娘の足の匂いはしますが、一日学校で頑張ってきた匂いなんだと、大好きなバスケの練習を一生懸命頑張ったからこの匂いがするんだと、これまで考えたことのないような受け取り方をすることができました。
この受け取り方の変化はとても大きいように思います。
親として、娘にしてあげられることもあります。
内履きや外履きを洗ってあげたり、新しくしてあげたり、靴下を新しくしてあげたり、足を丁寧にしっかり洗ってあげたり。
でき得ることをやってあげなければと思いました。
娘よ。本当にごめんなさい。