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ぬるま湯につかる(現状維持)である限り、待っているのは滅亡だけ

ここ数ヶ月、今までの数十年間の行動のツケがモロに出てきていると感じるのが円安。
物資の殆どを輸入に頼るこの国においては物価高も結局は円安からもたらされるものではありますが、その上がりようたるや、モロに実生活に直撃している事を実感する方も多いのではと感じます。
電気代も特に顕著で、我が家も過去最高金額を更新し、今まで見たことのない金額で少し驚いています。
日常生活における出費に関わるほぼ全てのモノの値段が上がり、自分たちではコントロールできない領域で増えていく出費。
それに苦しむ人々。
今までの自分たちの認識や行動があるからこそ、今の経済状況になっていることは知らなければならないし、それを認めて自分ごととして考えなければ殺られて終わるだけ。

本来、マルクスの資本論が言う資本主義とは資本が無限に増えていく状態です。それは資本を常に新しい価値を生み出す物に投じて次々と価値を生み出していくという事ですから、言い換えれば、常に切磋琢磨し、自己鍛錬しながら「価値」を生み出し続けていくということ。
それこそが本来の「実力を伴った成長」であるはず。
しかしながら、この数十年、ミスリード感満載の日本経済。「お金を残す」ことを履き違えて、「禁じ手」を使い楽な方法でお金を残してしまった。
自分で行動を起こすということ、自分で考えることをやるよりも、「人の言うことを聞く事が大事」という観念で、全ての行動が組み立てられ、
・場を乱さない
・何も起こらないことがスムーズでよい
・情をかける
・助けあい
こういった事が世間では「良し」とされてきた。
もちろん、弱者救済や助けることは大事ですが、それには前提条件があることを忘れてはなりません。
全ては「自立する自助努力があることが前提」であって、情をかける&助ける=甘やかしではないということです。

物価が上がるということは通貨の価値が下がるということ。
それを解決するためには通貨の価値を上げるしかない。それが出来ない限り、根本的な解決にはなりません。
他人が困るのではなく、困るのは自分達自身ということを忘れてはなりません。
自助努力のもとでいかに高い価値(実力)を身につけるか?
それは即ち常に競争社会の中で切磋琢磨し資本主義の中で資本を増殖させていく行動ができるか?という事です。
その先にしか明るい未来はやってこない。
でも、よくよく考えてみたら、競争社会の中で生き残るために高い実力を身に着けるわけですから至極真っ当で当たり前のこと。

・楽して儲かる
・責任は負いたくない、やりたくないけどお金は欲しい

なんてことはあり得ないですね。

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