見出し画像

安達峰一郎〜忘れられていた「もう一人の新渡戸」【臼井 裕之】(写真提供:安達峰一郎記念財団)

 「異国で『国葬』が行われた“スゴい日本人”列伝」——ニュースサイトのAERA.dotに、安倍元首相の国葬関連でこんな記事が出た。もともと『週刊朝日』(2022年10月7日号 p.19)に載ったものだ。

 筆頭で登場するのが安達あだち峰一郎みねいちろう(1869年~1934年)。外交官、国際法学者で、アジア系初の常設国際司法裁判所(現在の国際司法裁判所)所長を務め、「世界の良心」と称された。所長に就任した1931年には、満州事変が勃発し、処理に苦慮。所長退任後に体調を崩し、判事在職のまま1934年に亡くなる。

 オランダ政府が、安達の功績をたたえて国葬を行っていた(厳密には、常設国際司法裁判所との合同葬)。それで今回の記事になったわけだ。国葬に言及はないものの、2022年10月12日付『朝日新聞』天声人語にも彼のことが出てくる。

 どちらにもエスペラントは出てこないが、「安達」にピンと来た。エスペランティストの藤澤親雄ちかおについて調べていて、その名を目にしていたからだ。だが詳しくは何も知らない。そこで『日本エスペラント運動人名事典』を引くと、エスペラントにとって彼が「もう一人の新渡戸にとべ」だと分かった。

 1921年から1923年まで国際連盟を舞台に、Edmond Privat、新渡戸稲造、藤澤らはエスペラントに好意的な決議を採択させるロビー活動をしていた。これはご承知のとおりである。当初の日本代表は、そのような決議には反対だった。ところが安達が代表になると、日本は賛成票を投じるだけでなく、決議案を提案する国の一つにさえなる。

 1922年の国際労働機関(ILO)総会でも、安達は公用語の数を増やそうとする提案に反対して、エスペラントを推奨している。彼は自らの国際正義の理想と一致するものを、エスペラントに見ていたのだろう。

 藤澤は、安達がエスペラントを応援してくれるのは、「氏が日本外交界においまれに見る仏語の達人で、如何いかに外国語の学習が日本人にとり困難であるかとうことを充分に承知せられているから」、と推測している(本誌1921年11月号 p.2)。

 また新渡戸は、エスペラントとは関係ない文脈で、「安達の舌は国宝」と絶賛したことがある。1925年、ジュネーブ議定書が連盟総会の議題になったとき、安達は日本の立場を勘案した修正案を提出、フランス語力と外交手腕を駆使し、これを通過させたからだった。

 エスペラント界は、100年前の恩人を、もう少し顕彰すべきかもしれない。公益財団法人安達峰一郎記念財団に連絡すると、「以前は、エスペラントの方々とも交流がありましたよ」と教えてくださった。

安達峰一郎

(resumo) Adachi Mineichiro (1869-1934), la unua azidevena prezidanto de la Konstanta Kortumo de Internacia Justico, estis kvazaŭ “dua Nitobe”, kiu pledis por Esperanto ĉe la Ligo de Nacioj.

(月刊誌『エスペラント La Revuo Orienta』2022年12月号 p.20から)


月刊誌『エスペラント La Revuo Orienta』2022年12月号

いいなと思ったら応援しよう!