日曜日の教会
最近、聖書や聖書関連の本をよく読んでいる。
いくつか疑問も出てきたし、明確に疑問といえない変な感じもあるし、1人で読んでいても仕方ないと思ったので、教会に行こうと思った。本とか出してる牧師がいるプロテスタント系の教会がわりと近くにあった。その牧師の本も読んで、いい感じだと思った。話してみたいと思った。特にパウロについて。
ある日曜日の午後に、自転車で30分くらいかけてその教会に行った。
住宅地のなかに突然、教会があった。教会というより普通の家だった。住んでいる部分の入り口、もう少し奥まった教会の入り口っぽい扉、さらに外階段ならつながる2階にも扉があったが、2階への階段は入り口が花壇が置かれ、ここには入るな、感を出していた。
建物として特に大きいわけでもなかった。
牧師の苗字の標札もかかっていた。教会の看板はあったし、町内会の提示版のようなところに聖書の一節も書かれていた。
ここは確かに教会だった。
私はとりあえず、教会らしい、家ではない方の扉を引いてみた。鍵がかかっていた。変だな、と思った。
そこでチャイムを押した。びー、とチャイムが鳴るのが聞こえた。
チャイムの音が聞こえて、そういえば牧師が出てきたら何て言うつもりかを考えていないことに気づいた。
パウロについて話したくて来たのだけれど、パウロについて話したくて来た、と言ってもよいのだろうか。それは失礼なことなのか、案外受け入れられるのか、よくわからなかった。突然すみません、くらいは言うつもりだけれど。
混乱してきたので、チャイムは押したけれど、あんまり出て来てほしくはないな、と思った。そして確かに牧師は出てこなかった。なんの出会いも起きなかった。安心もしたしガッカリもした。
とりあえずカゴに入っていたバナナを食べて、来た道とできるだけ違う道を通って帰った。
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