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バッファを意識する

最近、競技の晩年を迎えるアスリートに関わることが多くなりました。
それは、私自身がその領域に差し掛かっていることと時を同じくしていてめぐり合わせがとても面白いと思います。

若い頃(いつを若い頃とするんだろうか?)、トレーナーとして人に認められたくてとにかく追い込んだ。
勉強も、現場活動も、人に教えてもらうこともすべて自分から積極的に行動して、休みや睡眠時間なんて「とったら負け」ぐらいに思ってた。
だから、どれだけ頑張ってるか、が自分の拠り所で、休みなくやってる、寝ずに頑張ってる、が自分の評価基準だったと思う。
まぁ、その頃学んだことは今とても活きていて、その事自体は悪くないです。

ここへきて、
今同じようにはできない・・と思います。
ていうかやってはいけない。
だけど、「やらない」を実行するには、精神的な成熟が必要で、受け入れるのには一定の葛藤が存在するということも事実だと思います。

自分はアスリートに関わるだけの努力を怠っていないか。
常に進歩し続けていられているか。
医療の先端から置いていかれていないか。
という思考。

こういった恐怖はずっとついて回る。
格闘家の青木真也選手のnoteに、
過度な追い込み練習は自傷行為」という記事があった。
これは本当にそうで、選手を見ていても、ストイックに追求し続ける姿勢は評価されるけど、それ自体は自傷行為である一面があることを知ってほしい、と常々思っている。
青木氏も記事の中で書いていたけど、
無理な追い込みを禁じた分、体(コンディション)はベストだけど、精神はというと練習を減らした恐怖に日々怯えている、と。

道は違えど、同じように感じます。
ここ半年で「バッファ」を意識するようになりました。
バッファとは、つまり「余白」のことです。
家族からいつもスケジュールを詰め込みすぎだ!!と怒られていました。
1時間空き時間があったら必ず仕事を入れていたし、空いた時間に何を片付けようか?は思考の大半を占める重要課題だったから、15分ならこれ、30分ならこれ、という具合に優先度合いに応じて、何分で片付く仕事なのかをつねに頭の中で整理しておいて、スキがあればそれをする、という具合です。
ただ、これはとことん自分をすり減らす行為でもあります。

隙間がない、ゆとりがない、すると、タイムマネジメントに狂いが生じた時、どうしようもなくイライラしたりします。
そもそも限られた時間ですべてをこなそうとすること自体が無理なのに。

空き時間を設けて、生じた出来事に落ち着いて対応する。
加えて、大きな仕事をした後は、必ず休みをいれる。
最近、この「仕事の後の余波」をとても感じるようになりました。
大きな仕事をした後は、思考も体も、一定期間停止する感覚。
それを昔は無理して抑え込んで、動き回っていました。

結果、昨年夏のオリンピックから帰ってきた時、熱が出て48時間寝続ける、といった具合になりました。
あぁ、体はもう動くな、と言っているのに、どれだけ自分を乱暴に扱ったら気が済むんだ。。と、「余白」を意識するようになったわけです。

今はクライアントの予約の間もできるだけ空けるようにして、
少しのおしゃべりの時間を作ったり、セミナーをやった次の日は休みにしたり。それなりの余白を設けるようになりました。
大変心が落ち着いていられます(^^)

無理をしたときに、体が出してくるサインにも気づけるようになってきた。
と、昨日頑張りすぎて今朝のコンディションが最悪な状態になっている今、
リカバリーから一日を始めるためにこれを書いています(^^)

今日も最高の1日です!

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