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ルパン三世 PART5 ルパンVS五ェ門 Ⅰ
ルパンと五ェ門の決闘シーンは、本当は不二子への告白シーンより互いの感情面や関係性において、ずっと重要なシーンでもある。だって命がけで戦ってるのだから。それに比べればラストの不二子との対面はオマケのようなもの。
ルパンのマスクを次元がアドバイスしたり、実は大河内さんは不二子を表に押し出す代わりに「男同士の絆の方が厚い」と序列を付けてる。これは設定集でメモされている。
ルパンと五ェ門の勝負。
ルパンが五ェ門に真一文字に胸を斬られたというのは、ルパンは五ェ門に対して腕などで防御してなかったっということですよね。
あのシーンは五ェ門の内面に切り替わってルパンの状況が一切描かれていないけども、ルパンは銃で五ェ門は剣だから、ルパンは五ェ門に近づく必要はなかったはず。
本当にルパンが勝ちたかったら、五ェ門の刀が届く位置に居るはずはない。
ここで思い出されるのが1stの初対面の勝負で、ルパンはひたすら五ェ門から距離を取っていた。だから高速道路の車の上まで逃げ回っていた。テレスペの「ファーストコンタクト」でも、まるでトムとジェリーのようにルパンはひたすら五ェ門から逃げ続ける。
ルパンが五ェ門に勝つには五ェ門の刀が届く範囲に入らないこと。五ェ門に刀を捨てさせない限りルパンに勝ち目はない。刀を持っている五ェ門の前に立つのはルパンにとって自殺行為。
PART5の勝負でルパンが防御せずに五ェ門の懐に入ったとしたら、ルパンは五ェ門との勝負に決着を付けるために捨て身の覚悟で挑んだことになる。
それは五ェ門を倒すということをあきらめた、勝負を放棄したとも言える。
五ェ門はなぜあの時目をつぶっていたのか?
心眼に頼っていたのはルパンが自分の懐に入って来たから。
そしてその意図を察したからでしょう。
二人共本心は相手を斬りたくない撃ちたくない。でも相手の真意を確かめるために戦わなければならない。それが男同士のやり方。
ルパンと不二子のように男女じゃないから。
闘うことでしか互いを確かめ合うことが出来ない。
その辛さ、苦しみ、痛みは、ひょっとしたら男女以上のもの。
「さすがだな。五ェ門」はルパンの本音、本心だと思う。
この勝負は最後ルパンが五ェ門の前に立って
「俺を斬れるもんなら斬ってみろ」
というルパンからの挑発でもあり、最初から
「五ェ門はルパンを斬れるのか?」
という賭けなんですよね。
仲間同士なのに一方的に勝負を挑んだ五ェ門と、五ェ門と戦う理由がないルパン。
「ならばお前は俺を斬れるのか?」というのが受けて立つルパンの五ェ門への問いかけでもあり、ルパンはこの勝負の本質がそれでしかないことを悟ったはず。
だから勝負を終わらせるために、斬られる覚悟で五ェ門の前に向かって行った。
勝負には勝ったけども結局五ェ門はルパンの大きさに負けている、甘えている。それはルパンにとって五ェ門が自分の命にも代えがたい相手だからと認めているからで。
「不二子になら殺されてもいい」「五ェ門なら斬られてもいい」というルパンの熱い想いの証明。
ここら辺は大河内さんの脚色がかなり入っているルパン。パンチ先生のルパンならそういう状況さえ回避する賢さがあると思うから。
対立しても互いに傷つけあうことはしない。ぶつかり合うのではなく交わし合う。だからこそ最悪の事態だけは避けられる。
大河内ルパンは最悪の中で最善を見出す。
大河内ルパンは仲間への愛が強すぎる。
どんなにクールな関係でも、クールでドライな関係だからこそ、情に嵌って足を取られて互いの生命を危険に晒すことは、彼らの一番のタブーなはず。
五ェ門に斬られる前のルパンの動きが気になる。
ルパンはあの時、一体何を考えていたのだろう?
自分を目の前にしたら、もしかしたら自分を斬ることあきらめてくれるかもしれない
愚かな勝負だとわかってくれるかもしれない
そんなわずかな期待もあったかも?
ルパンが自分の目の前に立つ意味を五ェ門は理解したはず。
だからルパンを直視出来なかった。
仲間との絆を取るか、それとも勝負に徹するか。
後者を選んだ五ェ門を、ルパンは「さすがだな」と評したんですよね。
警官隊を射殺した次元の残虐さだけでなく、容赦なく仲間を断ち斬る五ェ門の非道さも大河内ルパンでは描かれている。
悪党ルパンたちにとって、それは勲章なのかもしれないです。
なぜ勲章なのか?
なぜルパンは自分を斬った五ェ門を「さすがだな」と褒め称えのか?
逆にもしルパンを斬れなかったとしたら、ルパンは五ェ門を認めなかった。自ら勝負を挑んだくせに躊躇した五ェ門を軽蔑したかもしれない。
ルパンは自分への情を断ち切って、己の信条に徹した五ェ門を認め降参した。
たとえ今は斬られたことが辛くても、その傷が痛んでも、ルパンに対してですら容赦なく自分を貫いた五ェ門は、いずれルパンの五ェ門への強い信頼へと変わるはず。
だからルパンは勝負が済んだら五ェ門に「笑えよ」と言えた。
五ェ門にしても次元にしても、PART5で描かれた仲間たちの非道な行いは、そのままルパンの仲間への強い信頼の証でもある。
善悪でもなく、情でもなく、どんな時も己のやり方を貫き己のスタイルで生きる彼らだからこそ、どんな状況でもルパンは彼らを信頼出来る。
ルパンの仲間への絶大な信頼とチームワークは、善悪を超えて、仲間の絆や友情さえも超えて、いついかなる時も己のポリシーに従う彼らだからこそ成り立っている。
それは己のピンチの度に平然とルパンたちを裏切る不二子にも言える。
そんな不二子をルパンが愛してやまないのは、不二子が自分に正直で常に変わらないから。
自分が生き延びることを第一に、どんな状況でもそれを貫く。結果的に仲間たち全員が助かり、誰一人犠牲にならない。
自己犠牲とは対極にあるスーパー利己主義。
自己犠牲が多くの場合その精神とは逆に集団を蝕み滅ぼして行くのに対し、どこまでも利己的に自分を貫く生き方が、最後まで集団を救っている。
津波でんでんこではないけれど、個を貫き守ることは命がかかった非常時の最善の策。そしてルパンたちはいつも戦場のような非日常を生きている。
細かいことを言うと、ルパンは瀕死の状態になっても死なない斬り方、たとえ重傷を負っても一命は取り留められる体勢で五ェ門の剣を受け止めた。
ルパンと五ェ門のどちらの「技」によるものなのか、それとも双方の「技」のおかげなのかわからないけども、勝負慣れしている二人がちゃんと死なない程度の決着で終わらせていることも、たとえアニメとはいえ見過ごせない点。
ケンカ慣れしている男同士の方が急所がわかっていて、殺さずに決着付けるのと同じですね。
男同士のプロレスでもあるわけで、不二子が冷めた目で見ていたのは当然だし(笑)、ルパンと五ェ門の愛情確認のために必要な愛の行為・・・
とここまで考えて、ルパンと五ェ門の決闘が愛の行為に見えるのは、不二子の視点から、女の視点のせいかもしれないとも思った。
それは本当に五ェ門の愛情欲求によるものなのか・・・?
そもそも五ェ門は愛情を欲しがるような人物なのか?
それはルパンであって五ェ門は正反対の人間のはず。
端からから人との触れ合いや愛を求めるような生き方をしていない。
そもそも何かを欲しがるということがない悟りの人。
ならば五ェ門の果し合いは、別の理由なのではないか?