ルパン三世 モンキー・パンチの作画の魅力 Ⅱ
第46話「絶対突破」
「第三の男」にこんなシーンなかったっけ?(多分ない)と思うくらいそっくりな雰囲気の導入シーン。
角度が変わった街灯や、あえてぐるぐると揺れているような石畳のデザインで、頭上からのショットでも人物が動いているように見える錯覚。
第88話「我が盗争(その1)」
この時代の週刊誌の二色刷りの赤(オレンジ)を、朝焼けや夕焼けに利用し、たなびく雲のように宙に飛び出したルパンとビルの影とのコントラスト。散らばりきらめく割れたガラスの輝きが、派手なアクションに華を添えている。
太陽や月が大きくデフォルメされ、視界の歪みが禍々しさを持つモンキー・パンチの独特の風景画。こちらも日本画の襖絵のような構図とサイズ感。
墨絵のように見えるので、墨汁で描いていても不思議じゃない。
襖絵や掛け軸のような日本画チックな表現を見ると、国際的なメンバーの中にお侍が居るのもわかる気もする。今にも五エ門が出て来そうなカットやシーンが多々ある。
意外と和の美というか、古い日本画の要素も原作漫画にはふんだんに見られる。西洋美術を通すと印象派のように見えるが、起源が浮世絵なのを考えると、本当は日本画や浮世絵に近いのかもしれない。
最初の方は意識して西洋的なクラシカルな表現が取り入れられて、舞台も西欧風の豪奢な洋館が多く出て来るけれども、段々と日本の古い家屋や寂れた野っ原の風景が多くなっていて、めかし込んだスーツと殺風景な田舎臭い舞台のギャップが可笑しくて、当時の日本の高度成長期の理想と現実が垣間見える。
ルパン三世と言いながら、欧米のオマージュそのものの初期の頃の方が洒落気があって、段々と作者独自のものになって行くと、作画は上達するけども霧多布の原風景のような寂れた景色が増えて行き、都会的な雰囲気は消えて行く。
西洋文化が当たり前になった今の私たちから見ると斬新だけれども、まだ輸入文化であった時代は、作家の表現の中で二つの文化が対立し融合するカオスが独特の表現や葛藤を生み出していて、新たな創造のるつぼになっていたんだと思う。
ただ、西洋文化を積極的に取り入れていた「ベルばら」や同時代の少女漫画が、西洋的な顔立ちのキャラクター造形やストーリーの世界観に終始し、背景美術への影響がほとんど見られなかったのに対し、「ルパン三世」のように漫画の中で一絵画表現として試み昇華させていたのはレアだったかもしれない(もちろん有名無名の漫画家の中には居たかもしれないがもう知る由もない)。
そういう意味では、「ルパン三世」は劇画漫画の走りであり、後の劇画漫画家がそのハードボイルドな物語だけでなく、作画の面でも影響を受けた可能性はあると思う。
作者の方もアニメ映画を監督した時、漫画とは異なる劇画調のキャラデザに変更させたのも、自然なことだったのかもしれない。
漫画に限らず音楽や映画でも70年代頃までの昭和文化の面白さ、力強さは、西洋と東洋が渦のように混じりあい創造の源のような原始的なエネルギーが沸々と沸き立っているからかもしれない。
そしてそれによって生まれた新しい創造物や概念は、先進的であった西洋にもないもの。独創的で力強く、いまだに私たちを魅了する。
第88話「我が盗争(その1)」
007ばりのアングルだけども、きっと本編にはないだろう(このアングルの撮影が難しそうだから)。ひょっとしてあの映画?と思わせるモチーフの、映画では無理だったり実現不可能なシーンを、漫画という武器で華麗に表現して見せている。
「ルパン三世」はキャラクターの個性の強さのためにキャラデザに注目が集まりがちだけど、初期の頃は絵心に溢れていて、背景にもその労力や関心、才能が多く注がれている。
ダイナミックなアングルやデフォルメで驚くような光景が描かれていたり、非常に精緻な背景画や、光と影を多用したシンボリックなメタファーが登場したりする。
当時の漫画の説明的で細かいコマ割りを考えたら、アングルを多用したイラスト的な大胆なコマ割りや、風景や舞台説明にワンカットでページの大半を費やしたり、一ページ丸々使う構図は後の時代では当たり前だけれども、連載がまだ1960年代だったことを考えると、かなり斬新で先鋭的だったのではないか。その発明者や先駆者であったとしても不思議ではない。
ちなみに「複製人間」の登場人物たちの心理を人物たち以外の美術に投影する手法は、大友克洋作品が代表的で、「童夢」「AKIRA」(なにせマモーにそっくりな子供たちが出て来る)の精密なコンクリートのビル群は、アシスタントも動員した全て手描きのこだわりなのだけど、それも背景美術に血の通った人間の心理を通わせたい作家の意向があったと思われる。
大友克洋「童夢」
大友克洋の「破壊されたコンクリート壁」の表現は、同時代の多くの同業者にも影響を与えていて、「シティーハンター」などでも顕著だけども、衝撃を受けてヒビの入ったコンクリート壁の描線に人の心が強く動かされるのも、ヒビという抽象的な描線で、破壊衝動のような人間のサイコな心理を無機物に投影し表現したのが、漫画表現として新しかったのかもしれない。
私は限られた作品しか知らないのだけども、モンキー・パンチの絵を見ると、またそのデビューの早さを考えると(1967年)、「ルパン三世」が、後の劇画漫画における背景の抽象表現の元祖であった可能性も十分あるのではないかと思っている。
日本の漫画やアニメが特殊なのも、「AKIRA」登場後80年代以降本格的に世界的な人気になったのも、そして現在でも世界的な人気コンテンツなのも、世界中のどこにもない全く新しい創造のジャンルとして成立しているからで、古今東西のあらゆるジャンルをボーダーレスに吸収し、ダイナミックに躍動するカオスであり続けているからかもしれない。
そして「ルパン三世」は、漫画がそのように生まれ変わる時代に、一足先に景気よくその先鞭をつけていたように思える。