高校生と創る演劇2021『ミライハ』評
荒々しく、ダイナミックな詩法では、無限の動詞が欠かせないだろう。動詞がなければ言語は動きださない。しかしそれには限界があってはならない。動詞が無限に動きだすことは、これまでのセンテンスの存在を否定するからである。彼は動詞に自動車の車輪のような動きを想像しているようである。アナロジーとしてその円環はスピードをあらわすのだ。
――多木浩二『未来派: 百年後を羨望した芸術家たち』(p. 62)
・ミライハ
松原俊太郎さん作、スペースノットブランク(小野彩加さん・中澤陽さん)演出の『ミライハ』は、愛知県の穂の国とよはし芸術劇場PLATで2021年11月6,7日の二日間にわたって上演されました。『ミライハ』は同劇場が2014年より継続してきた「高校生と創る演劇」プロジェクトの第八弾として企画され、豊橋市近郊に住む高校生が、演者は10名、スタッフは6名参加しました。
墓地のプラットに集まった10人の幽霊たち。幽霊だけあって、舞台の起伏に足元を隠され、劇場を漂うかのようなたたずまいです。幽霊たちはひとりずつ、自分の身の上を話していきます。たいていその語りはつらい記憶に染められていて、他の9人の幽霊はときに言葉を投げかけつつそれを見守ります。これが『ミライハ』の基本的なあらましです。
この身の上話は自然とモノローグの形式をとります。松原さんの戯曲はもともと長大かつ硬質なモノローグを特徴としていました。代表作『山山』がその好例です。硬質と言ってもテキストはウィットに富んでいますが、言葉たちはうねるような複雑な時間の流れをつくりだしていて、すとんと読み通すことが難しいのです。当然、演技として発話を成立させることも困難です。戯曲のそうした書き方は、当初松原さんの戯曲を本格的に上演する団体が京都を拠点に活動する、「地点」という劇団に限られていたことにもその一因がありました。「地点」はテキストを部分的に切り取り、順番も並び替えて、もとの戯曲とは別に新しく上演テキストをつくる団体なので、演技のなるべくしやすいようにテキストを再編集することもできるのです。
2019年に『ささやかなさ』を書き下ろして以来、『光の中のアリス』『ささやかなさ(再演)』『ミライハ』と続くスペースノットブランクとの共同作業はそんな松原さんの戯曲の書き方に変化をもたらしました。スペースノットブランクは戯曲をなるべく忠実に上演してしまうからです。『光の中のアリス』が2020年に上演された時にわたしが話をお聞きしたインタビューでは、松原さんは次のように話してくださいました。
コラージュをしない、ということは、書かれた言葉のすべてが声として上演にかけられてしまう。これは書き手にはけっこう大変な事態です。今回は稽古動画を見ながら書き直すということをやっていて、いつもより上演に密接に関わりながら書いています。
出演者が台詞をしっかり言い切れるようにするために、「稽古動画を見ながら書き直」す。そうして松原さんの戯曲の文体は、実際に演技されることを前提しているもの、演技しやすいものへと変化していきました。
そうだとしても、松原さんの戯曲の言葉はけっして読みやすい部類には属していません。さきほどのインタビューから再び松原さんの言葉を引用します。
上演を全く気にせずに書ければモノローグの使い方も多様化できると思うんですけど、上演に関わると、モノローグを託すというのが大変なんです。モノローグって作り方が結構特殊で、なんでもぶちこめるし、強度が作りやすいんですよ笑 書いてる方はすごく楽しいんですけど、それを舞台にのせるとき、俳優にものすごく負荷がかかるんです。
ただでさえ「俳優にものすごく負荷がかかる」モノローグが、職業俳優ではなく、演技未経験者さえ混じっている、高校生たち相手に託される。そのような困難な挑戦が『ミライハ』でした。『ミライハ』の舞台は、10人の高校生たちが順に1人ずつ、それなりにまとまった時間の長さを話していく仕方で進んだのです。大変なことです。
高校生たちと演出のスペースノットブランクはこの難題にどのように応えたのでしょうか? まずは技術的な答えを確認したいと思います。モノローグの多くは一息に発されることなく、細かく区切られて、ゆっくりと口に出されたのです。一度に発話される言葉が短くなることで、出演者は言葉のニュアンスを丁寧に扱いやすくなりました。
といっても、単に言葉をぶつ切りにするのでは、聞くに堪えない退屈な演技になってしまうでしょう。スペースノットブランクはそこにたくさんの身振りを持ち込みます。身振りが読点(「、」)のように言葉を区切るのですが、しかしこの「読点」はたんに言葉の流れを切断するのではありません。その逆で、この「読点」によってこそ舞台の時間が生まれます。テキストに内在していた時間性を、演者の持つ身体、その身振りの持つ時間性にひらいたのです。
舞台は上の写真のような階段状のつくりになっていて、しかもごらんの通りかなり段差が大きいので、移動するには大股のていねいな足取りにならざるを得ません。この昇り降りひとつとっても雄弁な身振りとして独特の時間を舞台に刻みます。
それから、個々のモノローグは概して自分に起きた痛ましい出来事を振り返る内容となっていますが、そこに登場する他者の台詞は他の演者によって演じられます。これは演出というよりは戯曲上の配慮と言えますが、『ミライハ』では、会話はモノローグを分け持ち支え合うかのように展開されるのです。
そのようにして、モノローグという大変な仕事は高校生たちに預けられました。
しかし、『ミライハ』のモノローグの困難さは技術面にとどまりませんでした。語られるのは、近しい人の死、家庭内DVやセクシュアルハラスメント、亡命など、多岐にわたる重くつらい現実ばかりだからです。
松原さんの戯曲の描く登場人物はみなわかりやすいキャラクター性を帯びておらず、類型的で、それだけに演者は描かれる苦難を登場人物固有の偶然的で特殊なものではなく、現実の現在の問題として引き受けなければなりませんでした。
それは、自らの内面を直視しながら演技に立ち向かわなければならない、精神的にもきわめて困難な仕事です。特に川喜田涼真さんは悪しき男性性を集約的に体現する存在として、時に罵声を浴びせられながら演技に臨んでいました。
歩歩 〔…〕笑えよ、この男が! 男が! 男かよ!……
まさか男が罵倒語になる時代がくるとは思ってませんでしたねえ
だから、出演する高校生たちには技術的にも精神的にも困難なモノローグが託されたことになります。舞台を生き抜く強さ、主体性が必要です。言わされている言葉、動かされている身体では、戯曲の描く現実に負けた虚ろな表現となってしまうからです。
ここで、スペースノットブランクの演出の特異性を探るために、プロの演出家と高校生たちが協働するプロジェクトのパイオニア的作品である『転校生』(1994年初演)を作・演出された、平田オリザさんの方法をまず確認してみましょう。
平田さんは、それまでの日本の演劇からは排除されていた「自然な」言葉遣いを舞台に持ち込み独特のリアリティを勝ち得た「現代口語演劇」の実践者として知られており、『転校生』はその代表的な作品とされています。『転校生』の制作日誌も収録された著作『現代口語演劇のために』で、平田さんは当時の考えを次のように書いています。
私は、役者と舞台について語ろうとは思わない。台詞の一つ一つについては、一晩中語り尽くしてもかまわないが、私の構築する世界に関しては、役者と私の間には語り合う言葉はないし、またその必要もない。
私は私の世界を構築し、それを役者に受け入れてもらう以外にない。〔…〕そのような強い意志なくしては、現代において舞台も劇団も不可能だと私は思う。(p. 86)
「私は私の世界を構築し、それを役者に受け入れてもらう以外にない」し、そうでなくては「現代において舞台も劇団も不可能だ」。これは随分強い言い方です。「私の世界」といっても、周りの人間や事物との関係の中で紡がれていくものですから、長年にわたる役者との共同作業が「私の世界」の一部となることはありそうなものです。実際のところ、演者の要望や観客の反応に応じて平田さんはかなり柔軟に作品の在り方を変えているらしいのですが、しかしそれでもその理論の根幹にはこの強固な「私の世界」がありました[*1]。稽古場という閉鎖空間は演出者と出演者の間でのフィードバックに富む関係をむしろ促す場であるはずですが、そうした再帰的な関係から平田さんを遮断する要因は彼の戯曲観にありました。
戯曲家は、およそ言葉によって語りえるものは、すべて語りつくさなければならない。例えば、役者の立つ位置、動き、表情など、およそ言葉にできる範囲のものは、すべて戯曲におさめるべきだと私は考える。〔…〕私の考える戯曲とは、世界そのものを写す設計図だからである。
一方、役者はその設計図に従って存在すればいい。〔…〕演出家や役者は戯曲を解釈したり、分析したりする必要はない。〔…〕すでにある世界を分析したり解釈したりする必要はない。役者にとって、世界は無前提に存在する。(pp. 66-67)
設計図から一意に建築は決定されず、また音楽の設計図と言える楽譜も、演奏のあり方を確定的に指示することはけっしてできません。いかなる「設計図」も、それがいかなる媒介を経て、いかなる仕方で表現されるかは確定しえないのです(その事実が再演という営みを豊かにしています)。
しかしこの不確定性は、平田さんが戯曲家と演出家を同時に努め、戯曲の表現形式を自らコントロールすることによって隠蔽されます。そしてそれと同時に舞台を制作する責任と自由はほとんど平田さんのもとに集約されてしまいます。
戯曲家は、その構築した世界に関しては、演出家や役者に向って責任を負う。演出家は、その作品に対して、観客に向かって責任を負う。
役者は、戯曲家の構築した世界を生き抜くことだけに責任を負う。すなわち役者は、作品に対して責任を負う必要はない。
そして大事なことは、責任の範囲に応じて、自由の範囲が決まるという点だ。(pp. 82-83)
私が作品に対して全責任を負うということは、役者は作品に対して責任がないということだ。繰り返すが、責任なき自由はありえない。よって、私の作品において、役者の自由はありえない。これは極めて論理的な話だと思う。(p. 90)
この方法は、平田さんの「私の世界」の輪郭を明快にし、舞台に載せる上では優れたものだったかもしれません。しかし、スペースノットブランクは違う方法を取りました。
まず、スペースノットブランクの舞台では演出者が上演テキストを直接書くことはありません。さらに、書かれた上演テキストにあてがわれる表現形式も、演出者は自ら作り出すことはありません。『ミライハ』の出演者の身ぶりのほとんどは自分自身で作りだされたものなのです。
スペースノットブランクの演出方法については以前にも簡単に言及しましたが、その主な仕事は、上演内容を決定していくための基本的なルールや問いを設定すること、そして、そのルールや問いに即して出演者たちが作り上げた表現を選り抜き練り上げていくことです。あらかじめどんな舞台になるかの答えを演出者は握っていません。握っているのはむしろ問いです。責任と自由の下でその問いにまず答えるのは出演者たちの方なのです[*2]。高校生たちはみずから主体的につくりだした演技で舞台に立つことができます。
スペースノットブランクが積極的に責任を配分していく相手は出演者に限られてはいません。『ミライハ』の高校生たちのスタッフワークの縦横無尽ぶりは目を見張るものでした。たとえば片山史博さんは音楽担当としてラップのビートトラックの作曲のみならず、ピアノの生演奏で上演全体をエモーショナルに仕上げる活躍を見せてくれました。
しかし重要なのは、スタッフたちの仕事があらかじめあてがわれた役割に限定されていないことです。アフタートークでは塚本乃樹さんが、作中で佐々木虹さんの踊るダンスは声をかけられて演出者と一緒につくったものであることを明かしていらっしゃいました。
上演中、音響等のスタッフワークは観客の目に入っていましたが、演出としてシャドー・ボクシングのアテレコをすることになったスタッフもいれば、演出者の指示なく自主判断で舞台上の演者たちと同じ身振りをしていたスタッフもいました。
そのほかにも松木千夏さんはすべての衣装の装飾を手掛け、また舞台監督助手、美術助手のスタッフは舞台セットを仕込んだり上演中の美術操作を行うなど、ここで言及していないものも含めて、多くの仕事がなされました。そしてそれらは時に演出者が思い付きのように持ち寄り、時にスタッフ自らが進んで提案したものだったのです。
アフタートークでは、コロナが広まり人と会う機会が減っていた中で、大勢が集まり新しいことに挑戦できた喜びを多くの高校生が口にしていました。「高校生と創る演劇」では一般の部活動と異なり、地域や学年の垣根のない共同クリエーションが経験されます。その分、演者もスタッフも自分自身の表現を持ち寄り、ひとりの主体的な個人としての能力を発揮しやすい環境だったでしょう。ひとびとが集まることのこうした喜びの中で未来は思い描かれたのです。
・未来派
『ミライハ』というタイトルは、「未来派」という名前の美術運動を参考にしたものです。しかし、『ミライハ』の舞台には一見して「未来派」らしきところは一見見当たりません[*3]。本稿では、ここから先は、『ミライハ』は「未来派」からなにを受けとったのかを考えていきます。
そもそも未来派とはなんでしょうか。
20世紀初頭、ヨーロッパの町並みは大きく変わりました。都市網が整備されて自動車や鉄道などの新たな交通機関が走り、日常に接する速度の感覚が変わり始めました。機械が生産システムのなかに本格的に組み込まれ始めるのもこの頃です。
そんな中、世紀の変わり目の気分も手伝って、イタリアではこれまでの伝統を破壊してまったく新しい芸術を作りだしてやろうという機運が持ち上がりました。暴力も辞さない強気の姿勢の前衛表現です。そしてそこでは新しい都市生活の産物、すなわち機械と速度が主に賛美されました。「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい」という文句は有名です。これが、一般に未来派の特色とされています。もっともこうした性格は未来派に限定されない同時代的なものでした。たとえば速度や運動の問題はギーディオンさんの建築論やピカソさん、ブラックさんらのキュビスム絵画などにも反映していました。
だから未来派とはその内容から定義される存在というよりは、時代的・地域的に限定された、ある党派性を帯びた芸術集団の名前として理解されるべきです。「未来主義創立宣言」を発したマリネッティさんのもとに集結した作家たちの構成するグループが未来派だったのです。ここでは踏み込まずにおきますが、未来派として知られる作家にも例外的な作は多数見られます。
さて、それではこの未来派はどのようなパフォーマンスを上演していたのでしょうか? 日本語で読める手に入りやすい文献ではクレア・ビショップさんの『人工地獄』第2章の記述がよくまとまっていますが、その整理に従えば、未来派の主導者マリネッティさんは人々の愛国心に訴えて群衆を結束させ、行動的にすることを狙っていました。そのためパフォーマンスには演劇よりもむしろ娯楽演芸に類似した広く大衆受けするものが選ばれ、時には直接挑発的に観客に働きかけました。娯楽演芸についての宣言を参照したうえで、ビショップさんはその実例をこんな風にまとめています。
「強力なにかわをいくつかの座席に」塗りたくり、「この結果、男女を問わず、観客は引っついて立ち上がれず、人々の嗤笑を誘う」。そして「同じ〔座席の〕チケットを一〇人に」売りさばく。「八方塞がり、口論に次ぐ口論が起こる」。また、「錯乱して激しやすい、札付きの変わり者の紳士淑女に招待券を」配る。「あとは、卑猥な身ぶりの騒ぎが起こり、ご婦人たちは眉をひそめ、いざこざがいくつか起こるだろう」。そして「座席にホコリを」撒いて、「痒みとくしゃみを人々にくらわす」。(p. 82)
結果は客席のあちこちから演者に物が投げつけられるような乱痴気騒ぎだったそうです。これは観客が能動性を手にした点でむしろパフォーマンスの成功を意味する事態でした。そして、群衆を束ねるための芸術形式としてパフォーマンスは未来派の表現活動の中でもきわめて重要な位置を占めるに至ります。「こうして未来派では、パフォーマンスが公共圏における芸術と政治の活動のための、特権的な規範となった。絵画や彫刻、文学を超えて、パフォーマンスは共有された集団的存在と自己表現の空間を形成した」(同書、p. 87)。実際、未来派がたとえば「未来派画家宣言」を公衆に向けて最初に発表したのは劇場においてのことでした。
しかし、同じ「みらいは」でも『ミライハ』のパフォーマンスは未来派のそれに比べればそれこそよほど「静かな劇」でした。観客を挑発しないのはもちろんのこと、台詞はモノローグを主とするにもかかわらず、観客に一つにまとまるよう直接的に呼びかけるような政治的表現も見られませんでした。さらに言えば、舞台には機械を想起させるような複雑な美術装置の類は両脇上方に大きな空気砲が設置されていただけでしたし、未来派が愛した、人間を置き去りにするようなあの圧倒的なスピード感も表現されることはありませんでした。むしろ、舞台はあくまで人間の身体に発するスケールの表現にこそこだわるものでした。
1920年代になると未来派は当時のイタリアを席巻していたファシズム(結束主義)と合流しました。ファシズムは独裁的な権力者のもとに全体の結束が謳われる危険な政治思想ですが、未来派がもともと持っていた愛国的な精神はこれときわめて相性の良いものでした。
ここで未来派のパフォーマンスが観客に呼びかけていた能動性や参加の意味を考え直してみましょう。そもそも、にかわのせいで座席から立てなくなった時、あるいは、10人が同じ座席のチケットを買わされていた時、観客にはぶちギレる以外の選択肢があるのでしょうか。そして、そこでぶちギレることは、能動性と言えるのでしょうか。むしろ、「能動性」や「参加」の名のもとに群衆たちが思考を停止して画一的な暴力にうって出ることが、未来派のパフォーマンスがもたらした結果だったのではないでしょうか。未来派がファシズムと結びつくのはある意味で当然のことでした。ひとびとが考えるのをやめた時こそが、国をひとつにまとめやすくなる好機だからです。だとしたら、こんなパフォーマンスは真似するわけにはいきません。
未来派が追求した新しい都市生活の感覚――機械の美、速度の美は、人間を置き去りにしていました。ひとは圧倒的な速度を前に、立ちすくんで見とれるほかありません。そして、速度に見とれるときにひとを襲う呆然の感情は、やはりファシズムにとって都合が良いのです。
しかし、いくつもの作品を通じてファシズムと闘ってきた作家こそが松原俊太郎さんでした。
ここで改めて最初の問いに立ち返りましょう。未来派がそんな芸術なら、松原さんとスペースノットブランクは、なぜ『ミライハ』などというタイトルを選んだのでしょうか?
『ミライハ』が上演される数か月前、評論家多木浩二さんの遺作『未来派』が刊行されました。日本語で読めてかつ未来派のみにフォーカスした書籍としてはほとんど唯一のものですから、『ミライハ』の作家たちはおそらくこれに目を通していたでしょう。
ベンヤミンさんの研究で知られる多木さんは、未来派の世界観、時間観に注目します。
ベンヤミンの現在には過去の想起が溶け込み、マリネッティの現在では過去を切り落とした未来への飛躍だけが問題だったと単純化してしまっていいかどうかはともかく、すくなくともマリネッティは、救済というにはあまりにも倨傲であり、過去は一切省みる必要がないと考えていた。(pp. 15-16)
二〇世紀を生きてきた人間の責務として、それがどんな時代だったかを考えなければならないと多木さんは言います。それは次のような時代でした。
二〇世紀は非常にパラドキシカルな世紀で、その想像された近未来を二〇世紀の人間がある時点で自ら生きることになるわけです。そしてそれを知らぬまに通り過ぎてしまう。(p. 220)
常に未来をつくりつづけた二〇世紀が一方にあり、もう一方に想像された未来像をひとつひとつうっちゃり、裏切り、忘れ、何ごともなかったかのごとく通過してしまう二〇世紀があった。(p. 221)
過去を顧みずにただただ新しいものを産出しようとするがゆえに、過去に創り出された未来像ごと手放してしまう。そうして、来るかもしれなかった未来を「裏切り、忘れ、何ごともなかったかのごとく通過してしまう」。ある意味で、二〇世紀とはずっと「未来派の時代」であったわけです。
必要なのは、先へ先へと猪突猛進する都市のスピードではなく、人間が生きることのできるスピードでした。
未来派について語ることは危険な側面をもっています。いったいどこが危険なのか。それは、彼らは本当に人間のことを考えているのか、という点です。(p. 229)
『ミライハ』の出演者はみんな21世紀に生まれた人びとです。『ミライハ』に込められているのはこれからの21世紀への願いです。多木さんはマリネッティの「未来派宣言」を取り上げ、未来派が「美術館、図書館などの破壊とともに、道徳も女性も無視した」こと、さらに作家たち自身の若さを主張していたことに注目しています(pp. 28-29)。21世紀の若者たちはどのような時間を生きるのでしょうか。
・未来は(はっ、はっ、ぎゅーっ)
『未来派』のなかで、多木さんは長年研究されてきたベンヤミンさんの「歴史の概念について」というテキストを振り返って、その時間観を次のようにまとめています。
〔…〕ベンヤミンは、結局のところ自分自身の幸福とは自分の呼吸しているこの現在の空気の中でしかつくられない。それほどに私たちというのは自分自身の時代によって完全に染めあげられているのだ、といおうとしています。だから自分たちの羨望を呼び覚ますことのできる幸福もまた、未来ではなくこの現在の空気の中にしかないということです。さらにその「幸福のイメージのなかには、救済のイメージが、絶対に譲り渡せぬものとして共振している」とベンヤミンは書きます。この「救済」Erlösungという単語は、「解放」と訳されている場合もあって非常に多義的な言葉です。
ですがこれは、歴史から取り落とされて零落れている瓦礫や残骸を拾い集め、救い出す、というベンヤミン的な歴史哲学から見て、やはり「解放」という未来を向いた革命主義的な訳語よりも、「救済」という過去に対する償いのイメージのなかで理解すべき語でしょう。
〔…〕過去の方をむいたこの救済のイメージのなかにしか、現在そして未来――この断章では未来という言葉は否定的にしか扱われておりませんけれども――はありえない、とおそらくいおうとしているのだと思います。(強調引用者、pp. 231-232)
このテキストの中でベンヤミンさんが繰り返し批判するのは、未来になればなるほど世界はどんどん優れたものになっていくという進歩主義的な見方でした。それは単に時間の捉え方として誤っているだけではなく、歴史を時代の勝者だけのものにしてしまいます(世界史の教科書は絶えざる自己検証にもかかわらず、いまだに西洋白人男性の勝利の歴史としての側面を帯びています)。対して、歴史から葬り去られた過去の救済の瞬間にしか未来はありえない、というのがベンヤミンさんの考えです。そうでなければ、過去を切り捨て、同時に未来をも手放す未来派的な成長ゲームが待っているだけです。
多木さんによれば、「過去の瓦礫とは〔…〕勝者の歴史、公的な歴史というものがいわば疎外してきた人間の行為や感情の残滓・残骸です」(p. 233)。瓦礫のように散逸していく「人間の行為や感情の残滓・残骸」をかき集めて、現在や未来の時間を作っていくこと。多木さんの没後にそのテキストをかき集めて出版されたこの書物が作品の上演に寄与していたなら(それを示すことが本稿の目標ですが)『ミライハ』はそれ自体ひとつの未来だったでしょう。
『ミライハ』の幽霊たちの語りには高校生に起きた出来事として無理のないエピソードも多いですが、中には、語り手が社会人であるとしか思われない、高校生たちにいずれ訪れうる未来を描いているかのような内容のものもあります。しかし、そのような単純な時間の区別は重要ではありません。大事なのはむしろ、ここで描かれる苦難がかつていたるところで起き、現在も起きている現実の問題であることです。そしてそれは「未来」が訪れない限りずっと現実の現在の問題であり続けるでしょう。
松原さんはこれまで、どれだけ悲惨な状況を描こうと、あくまで悲劇ではなく喜劇を書き続けてきました。悲劇は、登場人物たちに運命を強要します。自分のいた場所が本当は悲劇的なものであったことを再認し、世界観が転換されるような構造が悲劇というものの根幹にありますので、これを素朴に未来派的な進歩史観のそれと類比することは憚られます。が、しかし、悲劇の形式にベンヤミンさんのいうような未来がありえないことは明らかです。
ところで、「おそらく未来派の生みだしたもののなかでもっとも重要なのは、実際の芸術に先行する「宣言」という形式であろう」と多木さんは書いています。マリネッティ「が一九〇八年にはマニフェストを書き、一九〇九年にフランスのマスメディア『フィガロ』に発表したとき、まだ一枚の未来派絵画も描かれていなかったし、一体の未来派彫刻も造られていなかった」(p. 89)のです。この「宣言」は、なんだか戯曲と似ています。前節で確認した通り、多木さんは、未来派そして二〇世紀とは、想像された近未来を忘却し、自覚なく通過する時間形式としていました。しかし「宣言」とはこの想像された近未来を目を離さずに手繰り寄せるための方法です。
10人全員がモノローグを話し終えた後、出演者たちは、これまでの自分の身振りを静かに再演していきます。稽古場やリハーサルで録音された、いくつもの声が劇場のあちこちで無数に響き渡ります。舞台上に載せられてきた行為の断片、「人間の行為や感情の残滓・残骸」、過去の瓦礫たちが救済へと向かうシークエンスです。
しかし舞台は始点と終点を持ちますし、言語というリニアルな一方通行のメディアを主役としています。前にまっすぐ進んでいく種類の時間と相性が良いということです。舞台上で過去の救済に至るには、まず、いま・ここの現実に還元されない別の時間が意識されなくてはいけません。
観客の時間枠組みは『ミライハ』のかなり序盤から失調します。10人の幽霊が集まりお喋りを繰り広げるいわば前座の場面から、1人目の語り手こと未知子[*4]のモノローグ場面への移行はかなりシームレスです。シーンの切り替わりは特に説明されません。そして、10人が代わる代わるモノローグを展開するというシンプルな構造にわたしが気付いたのは、4人目のモノローグに突入したころでした。10人が順々に自分のことを話している、という構造を了解してしまえば、上演時間をだいたい10で割って現在の物語の進行程度を計ることができるような、近代的な時間観にふたたびからめとられてしまいます。いま自分がどのような形式の時間を過ごしているのかを観客が見失うようでなければならないのです。
未知子 歩歩、ジャブ、打ってみて。
歩歩 (ジャブ。未知子がその手を握る)え?
未知子 はい、次、ストレート。(歩歩に抱きつく)
歩歩 何なんだよ!
未知子 これが未来。
歩歩 そうなの?
未知子 なんとなく身体を動かすでしょ、そしたら思ってもみなかった何かが起きるの。人間って動いてるもの見るの好きじゃん? 怠くてなんもしたくねえってときでもパチンコの動画とか見てると落ち着くでしょ? どんなに小さな動きでも動くと未来がやってくるんだよ。
これは未知子のモノローグパートの台詞ですが、歩歩という登場人物は「ジャブ、打ってみて」の呼びかけに応え、上演では舞台のあちこちへ移動しながら一言も発さずにジャブの身ぶりを1,2分ほどし続けます。それだけジャブを打たれると、何を観ているのかはわからなくなります。「ジャブ、打ってみて」の台詞自体が突然に投げられたものなので、この間、ストーリーの流れから浮き立った、ジャブの身ぶりの時間、曖昧な時間に観客は身を浸さなければなりません。結果として、前後の筋も追いづらくなってしまいます。それでいいのです。言葉の作る時間と、身体の作る時間とがそれぞれ中身を持ち、オーバーラップして、独特の時間を作りだしていきます。その時間にこそ未来は飛び込んできます。
出演者の行為こそが時間を切り開いていることが、重要です。「どんなに小さな動きでも動くと未来がやってくる」のです。
上の戯曲で「(歩歩に抱きつく)」とあるところで、未知子は歩歩にハグすることなく、手に持っている弓を引きながら「ぎゅーっ」と叫びます。人に抱きつく「ぎゅーっ」の言葉が、弓を引くという別の身ぶりを呼び込みます。
戯曲では老狗の呼吸として書かれた「ハッハッハッハ」の声は、街の荒くれものが老狗を殴るときの叫びとなり、幽霊たちが円陣を組んで結束するかけ声ともなります。同じ「ハッ」の音に複数の身ぶりがあてがわれて、誰かを殴る手は誰かの肩に重ねる手へと姿を変えていきます。
身振りから「ぎゅーっ」や「はっ」の言葉が生まれ、新しい身ぶりにつながれていきます。センテンスから遊離した動詞たちは、ほかの名詞や動詞、センテンスを引き寄せていくでしょう。『ミライハ』最後のシークエンスで救済に向かう瓦礫たちは、物語の拘束を振り解いて別のセンテンス、別の物語、別の未来に向かういくつもの動詞だったのです。
動詞がなければ言語は動きださない。しかしそれには限界があってはならない。動詞が無限に動きだすことは、これまでのセンテンスの存在を否定するからである。
・註
[*1]2022年の2月には平田さんが主宰する劇団である青年団の若手自主企画として、山中企画『転校生』が上演されました。山中企画は「現代口語演劇」の演技の文法を維持しつつ、演者を日本の女子高生に限定せず、性別・年齢・国籍の別を問わないキャスティングを行いました。戯曲の登場人物像と、役者の表現する人物像には必然的に食い違いが生じますが、あえてそれを手つかずにしておくことで、厳密に構築された平田さんの「私の世界」の内部にいくつもの「演者の世界」をバグのように発生させる批評的な再演の試みが山中企画の『転校生』だったのです。
[*2]スペースノットブランクの演出方法は、上演内容の生産機構を出演者に委ね、みずからはその選択機構として振舞う、制作プロセスの二層化の論理として概括できます。これは、出演者の創造性、責任と自由を認める点で、ヒエラルキーを廃した水平的な創作方法として理解できそうです。しかし、実のところ、生産機構が駆動する場を用意しているのも演出者ですし、また上演内容を選択する段階では演出者はその権力を責任を持って行使せざるを得ません。そしてこの場合、ここで働いている権力構造は自覚的に引き受けられない限り都合よく隠蔽されてしまうでしょう。したがって、そうした権力性がどのように引き受けられ、その引き受け方が制作プロセスや作品にどのように反映しているかが問われなければいけません。この問題についてはいずれ2022年1月にこまばアゴラ劇場で上演されたスペースノットブランク『ハワワ』の批評で詳細に検討します。
[*3]未来派の音楽家にはノイズ・ミュージックの先駆けとして知られるルイジ・ルッソロがいました。それまで音楽としては見なされてこなかった雑音で音楽を作りだしたのです。騒音に満ち溢れた都市環境に対する、作家のひとつの反応だったでしょう。『ミライハ』の重要な舞台装置であった両脇の巨大な空気砲はモノクロの日の丸国旗のようにも見えましたが、そうした象徴的な意味よりも、第一には未来派の機械礼賛傾向に対してアナクロというか原始的な科学装置で応えた点でこれは優れた着想でした。しかもこの空気砲は発動するまでに稼働音(空気を視覚化するためのスモーク装填音)をにぶく唸らせて舞台上にノイズをまき散らします。その不安な重低音は作品を構成する重要なピースでした。さらにそれは単にノイズであるばかりではなく、舞台装置という上演のインフラの副産物、いわば舞台の下部の下部でした。空気砲は、ジョン・ケージをはるか昔に通過した現在の地点からルッソロに応答する優れたinstrumentだったのです。
[*4]松原さんの作品には「イヌ」と「ミチコ」という名前の登場人物が頻出します。これらの名前の含意については以前『ささやかなさ』の批評でも簡単に論じましたが、『ミライハ』ではこれらの名前は漢字に変換されます。「老狗(イヌ)」、そして「未知子(ミチコ)」です。
(写真:伊藤華織さん)
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