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反モニュメント:ルサンチカ『GOOD WAR』評

・モニュメント

 2022年に大阪・東京で再演が予定されていたルサンチカ『GOOD WAR』(初演:2021年2月)はコロナの感染状況拡大の煽りを受けて、サウンド・インスタレーションの形式で発表されました。わたしが鑑賞したのは北千住BUoYで上演された東京公演です。
 上演テキストは「あの日と争い」という抽象的なキーワードをめぐる一般人へのインタヴューを文字に起こし編集したものです。そのテクストを読み上げる、空間のあちこちから響き渡る俳優の声に、ひとり、じっと耳を傾け、言葉を拾いあつめながら、自分の「あの日と争い」にも思いをこらします。
 ところで、批評を書く人間は作品のジャンルや形式をふつう重視します。ジャンルや形式を共有する作品群のネットワークの中に批評の対象を位置づけることができるからです。作品に価値判断を下そうとするときもそれは役立ちます。より演劇の演劇らしさを追及できているから素晴らしい、あるいは、こんなものは美術としては失格だという風にです。
 しかし今回の『GOOD WAR』のような作品を前にすると、ジャンルの無力、形式の無力に直面せざるを得ません。なぜならサウンド・インスタレーションの形式は、その作品としての成立度合いや完成度がどれだけ高くても、あくまでもそのように「なってしまった」ものでしかないからです。しかし、優れたパフォーマンスを規定する条件がなにかあるとすれば、この「なってしまった」との格闘にほかならないでしょう。それを、美術としてはどうだとか、演劇としてみるならどうだと語るのはいずれもおそらくナンセンスです。むしろ注目するべきは、こうしたジャンルの変更を作家たちが受け入れることができ、実際に発表に至っているという事実の方です。そこには発表形態が変わっても失われない、舞台芸術と展示芸術のどちらの形式においても追及可能なある問題意識が存在しており、それが作品の核を構成していたはずだからです。
 では、それは何だったのでしょうか? まずは公式サイトのステートメントを確認します。

『GOOD WAR』は、私たちが「あの日」と聞いて想像する争いと日常で構成されています。
私たちは生きている限り、これからもだれかと戦い続けなければなりません。現時点で戦っていなくても、生きている限りいつか争いに巻き込まれます。
『GOOD WAR』ではいずれ来る「その日」と、過去にあった「あの日」との向き合い方を鑑賞者と共に考えるべく、だれかの「あの日」が集積された記憶のモニュメントとして演劇作品を立ち上げます。

 注目されるのは最後の「モニュメントとして演劇作品を立ち上げます」という言葉です。ふつうモニュメントという言葉は公共彫刻などを指して言うものです[*1]。サウンド・インスタレーションへの発表形式の切り替えを周知する文章でも、モニュメントという言葉は引き続き用いられています。

『GOOD WAR』では、出演者の声が様々なモニュメントを立ち上げていきます。「声」によって紡がれるものはそこにあるのに、声の主が不在なだけで、その人がそこにいないと本当に言えるのでしょうか。そこに相手がいることで かえって分断を思い知らされることがあるからこそ、相手が見えないから信じられることもあるように思います。
不在と実在、音声と肉体、あの日からその日、あちら側とこちら側、そうして線引きができない狭間にある「声」に耳を傾けて、そこにあるものを眼差してみてください。

つまり、二つの作品形式を貫通する問題意識とはこの「モニュメント」だったわけです。これを文字通りに受け取り、作品をモニュメントとして批評してみましょう。

・「再演」を促す「舞台」

 モニュメントとは何でしょうか?
 ロザリンド・クラウスさんは近代彫刻の特徴をその自律性に見出します[*2]。19世紀までの彫刻にみられた、特定の場所に位置しその場所の意味性を象徴する記念碑的な性格、モニュメントの論理は、ロダンやブランクーシの彫刻において失墜するのです。台座が場所から彫刻を切断し、彫刻はどこにでも設置可能なノマド(遊牧民)へと生まれ変わりました。
 一方、小田原のどかさんが指摘するように[*3]、日本の場合公共彫刻はまず記念碑の上に鋳像を乗せたかたちで普及しました。それまで碑文を刻まれた石碑として単独で存在していたものが、石碑という機能を捨てぬままに土台としても活躍するのです。この時、土台は西洋近代彫刻におけるような環境に対する切断としては必ずしも働かないはずです。
 ブラック・ライヴズ・マター運動がリー将軍の彫刻を撤去に至らしめたのは記憶に新しいですが、小田原さんによれば、日本の彫刻史もやはり彫刻の消失と不可分だったのだそうです。戦時期に多くの彫刻が武器のための金属資源として「再利用」され、また戦後には政教分離を促進したい占領軍の意向から戦意高揚に関連付けられた多くの彫刻が撤去されたといいます。しかし、空の台座は残されました。そこに、やがて次々と平和を象徴する女性裸体像が建てられました。
 つまり、台座は場に根づきながら幾度も新たな彫刻を呼び込むのです。それが置かれる場の力学に応じて時に彫刻は引き倒され、爆破され、回収され、とにかく去っていくのだけれども、きっと舞い戻る。そのように「役者」に「再演」を促す「舞台」として台座はある。
 少々強引ですが、上演されるテクストを「碑文」として理解するなら、かたちを変えながら再演にこぎつけた『GOOD WAR』にもモニュメントのそういうしぶとさを認めることができると思います。
 しかし、モニュメントたちはなぜそれだけ必死に台座へ舞い戻ろうとしてきたのでしょうか?
 台座が石碑の機能を保持した日本の公共彫刻といえども、それらがその環境特有の質を構成するに至ったかどうかといえば、疑問なしとはしません。小田原さんの著作に引用された千葉慶さんの次の文章は、戦後の平和を象徴する匿名の少女たちの像に、戦前の彫刻と連続性があることを指摘するものです。

匿名性は、「滅私奉公」を要求する戦前のナショナリズムでも要請されていた。〔…〕さらには、匿名であることで、もはや内戦の記憶が喚起されることはなく、時代の変遷で権威が凋落することもない。〔…〕逆説的ではあるが、英雄崇拝を失った戦後に至って初めて、帝都の銅像はナショナリズムを十全に定着しうる形態〔…〕を得たのである。[*4]

モニュメントはそれをまなざす人々の間に共通の経験をもたらし、連帯の感情を産み出します。そしてそのずしりとした物質性は、去ることのない不変の象徴としてそれを意識させます。モニュメントには共同体を生み出す作用があるのです。この共同体への帰属感情が国家というより広範なスケールへの意識に結びつくとき、それはただちにナショナリズムへと転じます。そして人々は様々な地域性を抽象した国家という単一の空間に組み込まれてしまうのです。逆説的なことに、ここで生じるのは寧ろ場の喪失です。モニュメントは場に根づき、場を根づかせると同時に宙に浮かせてしまう、離れ業をやってのけているのです。
 それが台座というしぶとい「舞台」の持つ意味であるとすれば、これは寧ろ厄介な代物です。人目を引き愛国心を発揚するモニュメンタルな「舞台」がそこにありさえすれば、モニュメンタリティが損なわれない限りでどんな像が載せられようと構わない、ここにあるのはそういう図式なのです[*5]。

・センチメント

 上記の千葉さんの言葉は、像の持つ匿名性がナショナリズムを二重に補強する論理として働くことを示しています。そしてルサンチカ『GOOD WAR』の声もまた匿名に響くのでした。現実に存在する具体的な個人の声からテキストは成っているのだけれど、本人とは異なる俳優の身体を通して発話されるために、その声がどのような人間によって発されたのかは特定できません。名前はおろか、性別、年齢、体格、人種などなど、個人を特定する材料のほとんどないアノニマスな声が空間を満たすのです。
 もちろん、『GOOD WAR』の効果としてナショナリズムが目指されているはずはないでしょう。しかしナショナリズムと相似の作用、すなわち、観客たちが構成する共同体の連帯感の強化、成員の画一化、およびそこに属さないものの排除の作用を、期せずして帯びてしまう恐れがあるのは事実です。それがモニュメントの持つモニュメンタリティの意味です。

 ルサンチカの方法は美術作家のクリスチャン・ボルタンスキーさんがモニュメントを作る仕方に類似しています。代表作≪モニュメント≫(1999)はビスケット缶に古着、電球、そして写真からなるミニマルな構成のオブジェクトです。そのたたずまいは祭壇を思わせますが、祀られているのは名もなき子供たちの顔写真です。
 そのモニュメントは何に捧げられているのか一見はっきりしません。しかし、ユダヤ人として生まれ、家族のホロコースト体験を繰り返し聞かされたという作家の来歴がここにある方向性を付与します。≪モニュメント≫はアウシュビッツの経験の表象不能性にこそ捧げられているのです。いや、その表象不能性は「アウシュビッツの」という風に対象を同定することさえ拒んでしまいます。写真に写されている子供がいつの、どの時代を生きたのかは定かではありませんが、そんなことはもはや問題ではありません。重要なのは語り得ないものとしての「死」であり、そこにおいて個人はもはや固有の名を持たないからです。
 一般人が「あの日」や「争い」に対して思うところを述べた『GOOD WAR』のテキストも、戦争や死については直接に語っていません。しかし観客は『GOOD WAR』という題名、およびテキストの巧みな配置から自然とこれらの要素を連想させられます。もちろん、素材となる言葉の多くは戦争からはかけ離れた文脈で発されていますから、当然ながらそのイメージははっきりとは提示されません。しかもそれは匿名のものとして響くので、自然と表象不能性のニュアンスを帯びてくるのです。

 東浩紀さんの著作『存在論的、郵便的』でも紹介されたことで知られるある対談で、岡崎乾二郎さんはボルタンスキーさんを批判しています。もとの文献が入手しづらいこともあり、かなり長めに引用してみます。

 「感傷(センチメント)」というのは、語ることができない、あるいはどうしても到達できない対象、解決できない問題に対して、もっともよくあらわれる反応だと思います。
〔…〕
 そして重要なのは、こうした、いわゆる不可能な対象と呼ばれるものが、他者と交換もできず一般化もできないような、まったく一人だけの孤独な経験あるいは感情に向き合わせるというか、それを強く意識させることです。
 けれど、ここには非常に巧妙なトリックも隠されていると思えるんです。そもそも、ここで他者と交換もできないし一般化もできないようなシンギュラルな経験や感情が生じたとしても、それを生じさせた元となった問いや対象それ自体は、他者と共有されていたわけです。つまり、その問いを前に、誰もが孤独な理解しがたく語りえない経験に耐える他ないのだ、ということが前もって保証されていたことになる。こうして結局、この経験の孤独さは他の孤独と強く結びつき、複数の孤独は連帯しあう。誰にも理解されえない経験を共有しているという、秘めやかだが強い共同体を作り出してしまう。
 ところが最近、こんなセンチメントの仕掛けをあからさまに大きく取り込んだ作品が増えてきている気がするんです。
 〔…〕この決して解きえぬ問題の共有という仕掛けは民族主義、つまり「他の民族には共有できないような私たち民族だけが受けた傷」による感傷の共同体を作りだす仕掛けに重なる面もあるわけです。
〔…〕
 重要なのは、ばらばらな断片どうしが、その失われた中心を与えられることによってともかく結びつき、ひとつの情緒を醸しだしはじめるということです。当然、重要な要素になっているのは記憶ですが、実はその記憶は他人のものであって到達不可能なわけですね。にもかかわらず、残された痕跡を通して、観客はそれを想起しようとする。
 他人の経験とその記憶をもう不可能にもかかわらず思い出そうとしてしまうわけです。結局、それが感傷を作りだす。つまり記憶と想起のズレがセンチメントになってくる。
 〔…〕単刀直入にこの仕掛けを使うのがクリスチャン・ボルタンスキーです。彼はあからさまにたとえばアウシュヴィッツを主題にし、殺された子供たちの写真を使ったり、古い衣服や靴をうず高く積み上げたりする。誰にでも知られているが、すでに喪失され、知ることの不可能になってしまった経験を核にして、残された痕跡を累積し展示するんですね。[*6]

 「ばらばらな断片どうしが、その失われた中心を与えられることによってともかく結びつき、ひとつの情緒を醸しだしはじめる」。その方法は『GOOD WAR』のテキストにも妥当します。到達不可能な記憶に向けられたセンチメントが、「誰にも理解されえない経験を共有しているという、秘めやかだが強い共同体を作り出してしまう」とき、作品は感傷の共同体をつくりだしてしまうのです。結果的に、そこではモニュメントの持つ悪しき効果がそのまま具現してしまいます。

 しかしそれなら、そもそもなぜルサンチカは『GOOD WAR』という作品をわざわざモニュメントと呼んだのでしょうか。自己批判のためでしょうか。そこには他のなにか肯定的な意図が認められはしないでしょうか。たとえば、モニュメントの性格を積極的に引き受けつつ、独自のアプローチを通じてそれを超克すること。

・未来のモニュメント

時間を貫くという目的のために、通常は凝集力のある形態、すなわちオブジェクトが求められる。凝集力のない形態は記憶の中に刻印されることもなく、時間を貫く力もないと考えられているからである。ゆえに墓地は、オブジェクトの展示場となる。墓の延長にモニュメントがあり、モニュメンタルな建築がある。モニュメントの語源はremindすなわち思い出す事であり、モニュメントの目的もまた、墓と同じように時間を貫く事である。ゆえにモニュメンタルな建築も、墓に倣って、強く突出したオブジェクトになろうとするのである。[*7]

 引用したのは、建築家の隈研吾さんが『反オブジェクト』という本に書いた文章です。慰霊碑の設計を依頼された隈さんは、慰霊碑が一般に持つモニュメンタリティを嫌い、代わりに慰霊のための庭園をつくることを提案します。慰霊空間には回遊式庭園の形式が選択されました。庭園には瞬時に空間の全体を把握できる俯瞰的な視点があり得ないからです。逆に、そのような視点が設定されたが最後、空間の広がりは一点に圧縮されてモニュメンタリティを帯びてしまいます。
 さらに隈さんは聴覚にこだわります。来場者は庭園の入り口で死者の名前を声に出して呼びかけます。その声はコンピューターによってもはや元の名前がわからなくなる程度に抽象的な音へと変換され、くりかえし庭園のなかで響きます。その声はやはり匿名のものとして響くかもしれませんが、名前を呼んだ本人だけは、抑揚や語調からそれを判別できます。視覚がモニュメンタリティと結びつくことが、この庭園では徹底して回避されるのです。

視覚は絶えず目の前にある現前のイメージへと主体の注意を限定しようと試みる。視覚的な慰霊碑は、思い出す事には不向きなのである。

 『GOOD WAR』の主要な構成要素も俳優の発する声でした。声はすぐに消えていきます。この「反オブジェクト」は決して時間を貫きません。蜃気楼のようなモニュメント、誰かに引き倒されるまでもなく即座に自壊していくモニュメントです。
 『GOOD WAR』のテキストはその内容を次々に転じていきます。それぞれの内容同士の関係性はほとんど非意味的に切断されているので、個々のシークエンスがどのようにつながっているかは観客の想像力に委ねられます。が、おそらく多くの場合、想像力によるシークエンスの接続は失敗します。それゆえ、文脈の確定しえない言葉にじっと耳を傾ける状態が鑑賞の大半を構成することになるでしょう。
 観客は俳優の発した言葉をその意味するところもはかりかねたまま次々と忘れていきます。過去を想起するためのモニュメントであるのに、現在経験しているのがどのようなモニュメントであるのかさえ即座に忘れ去られてゆくのです。しかしこれはおそらく、死という表象不能なものを描くには表象行為を回避していくしかない、といったようなニヒリズムに根ざしているのではありません。観客はそれぞれ自分に響く、胸に残る言葉を拾い、記憶にとどめておくこともできるからです。そして、その言葉とそれを受けとる仕方は、上記の事情のために観客ごとに必然的に分裂します。

 2021年12月にこまばアゴラ劇場で上演されたワーク・イン・プログレスは俳優が実際に舞台上で演技をする演劇作品として制作されました。上演の様子はYoutubeに投稿された作品PVでも確認できますが、次の通り舞台奥中央にドラムが配置され、また上手下手の双方に天井から幾何学的な形態に組まれた線香が吊るされていました。

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(撮影:歌川達人さん)

 一見シンメトリカルな配置ですが、ドラムの左右のクラッシュシンバルは高さを変えられており、また上手側の線香は上の写真でも確認できる通り開演直前に演出家の河井朗さんによって点火され、崩れ落ちています。空間に求心性が仮構された上で、かすかな綻びがさりげなく紛れ込むのです。
 こまばアゴラ劇場の舞台は不思議な形をしており、上手側に凸んでいるのですが、その箇所にはエレベーターが設置されています。開演と同時に出演者の伊奈昌宏さんがそこを降りてきます。そして「カムオン」とくっきり発声しながら向かうのは下手奥。その床には穴が開いていて、楽屋に向かう梯子が掛けられているのですが、伊奈さんはこの穴の奥へ「カムオン」と繰り返し呼びかけるのです。
 ここまでパフォーマンスはほとんど空間の外縁部分で行われています。さらに、エレベーターや穴を介して、観客の意識は目に見えている舞台とは別の空間へと飛ばされます。やがて穴からは異界から呼び出された者のように渡辺綾子さんが現れます。あらかじめ調えられた空間の持っていた求心性が、俳優たちの身体によって次々と攪乱されていくわけです。
 さらに、上の写真では円や三角形、ひし形が空間上で形態的に韻を踏んでいることが確認できるかと思います。それらの形態は舞台上にまた異なる空間秩序を組織しています。たとえば、線香の真下に置かれた受け皿やドラムのシンバルは天井部から見た時に初めて円形となります。そして上手と下手に配された鏡を円形として認めるには、今度は上手側上方に視点が設定されなければなりません。これらを形態的に一致させる過程で観客の意識には自らが身を置くのとは異なる複数の視点を想像する必要が生じます。そして、それぞれの視点においては個々の円形は平行移動させれば重なり合いますが、それでも、これらすべての円を一致させる特権的な視点は存在していません。かくして空間の見方は分裂します。
 そして、この分裂した視点のそれぞれに実際に立つことを可能にしたのが、上演中観客が自由に歩行することのできたBUoYでの公演でした。会場には同様の仕方で、つまりけっして単一の視点に収束しない仕方でいくつもの幾何学的形態が配置されていたのです。そこでは、観客同士の立ち位置の違いは、経験する空間秩序の違いをも同時に意味していました。さらに、このサウンド・インスタレーションでは会場の各所に配置されたスピーカーから俳優の声が響き渡るのですが、それは異なる場所に位置する観客たちに同じ聞こえを保証しません。
 『GOOD WAR』の上演形式が観客にもたらしたのはこのような経験の複数性でした。そして、それは時間芸術としての性格によって可能となるものでした。モニュメントの持つ求心的なモニュメンタリティも時間の歩みとともにかたちを変えていきます。たとえ観客に感傷が強い作用を及ぼしているとしても、彼らの経験を同質的で単純なものとみなすことは難しいはずです。それが演劇やサウンド・インスタレーションの差異を越えて『GOOD WAR』の諸上演を貫通していた、「モニュメント」という問題系の意味するところでした。
 ところで、『GOOD WAR』の主要なキーワードであった「あの日」という言葉は必ずしも過去を指しているとは限りません。いや、「争い」についてもそうでしょう。『GOOD WAR』は追憶のモニュメントであるにとどまりません。未来とは、死という表象不可能なものを前に、それでも口にされ、経験され、胸に刻まれてしまう、ばらばらな言葉たちの別名なのです。

(トップ画像:団体Twitterアカウント@ressenchkaより借用)

・註

[*1]ルサンチカ主宰の河井朗さんがしばしば出演・舞台監督を務めてきたスペースノットブランクの直近の舞台作品に、『舞台らしきモニュメント』があります。しかしそこでの「モニュメント」の扱いはルサンチカとは大きくかけ離れていました。
[*2]ロザリンド・クラウス「展開された場における彫刻」『反美学』勁草書房、1998年。
[*3]小田原のどか『近代を彫刻/超克する』講談社、2021年。
[*4]千葉慶「帝都の銅像――理念と現実」『美術フォーラム21』18号、醍醐書房、2008年。
[*5]これはかの有名なピーター・ブルックの次の言葉を思い出させます。「どこでもいい、なにもない空間――それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる――演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」(『なにもない空間』(高橋康也・喜志哲雄訳)、晶文社、1971年、p. 7)。あまりに人口に膾炙したこの言葉はその本来のニュアンスを離れて、観る者がそれを受けとる気構えというか、枠組みこそが演劇行為の成立を規定するという、認識論的な汎演劇論を支えるテーゼとしてしばしば引用されてきました(実例は枚挙にいとまがないので省略します)。しかしその場合、なにもないがゆえに首尾よく隠蔽される空間の制度性こそが本来は問題であるはずです。「なにもない空間(The Empty Space)」とは台座のことだったのです。
[*6]朝吹亮二・岡崎乾二郎・藤枝守「現代芸術とセンチメント」『ミュージック・トゥデイ』20号、リブロポート、1994年。
さて、しかし、ここで岡崎さんが「民族主義」と言うときに想定されているのはどのような「民族」でしょうか。
観客は時間的経験を生きています。死の表象不能性に直面した時、そこで起こるのは連想です。自分や身近な人、あるいは遠い誰かの死が連想されるのです。表現主義的な作風を得意とするボルタンスキーさんは、観客の身体や情動に強く訴える仕掛けをいくつも用意します。表象不能性を前になお経験されてしまう何かが問題なのです。そして、そのような連想を可能にしているのも実は作品の匿名性でした。
ボルタンスキーさんはその後、展示全体をひとつの演劇的な空間として組織し始めます。もはや個々の作品が自律して存在しなくなるほどに、展示空間を歩き回る観客の経験がトータルに考慮されるようになります。わたしは、この演劇的空間においてこそボルタンスキーさんの作品は真価を発揮するのだと思います。重要なのは、観客がある程度のまとまった時間スケールにおいて展示を経験することです。展示会場を歩き回るその間、表象不能なものへの慄きとともに沈黙したままでいることは、きっと難しいはずです。きっと胸に誰かへの思い、何らかの思いが溢れてきます。表象不能なものを前にそれでも個人的な連想が生じてしまったことへのとまどいもそこには時に含まれるでしょう。
それは経験というもの特有の通俗性を帯びているにせよ、拭い去れない具体性として残ります。そこからすべてが始まります。この場合、同質的な「民族」を形成しているのは、経験を断固として拒否するような観客たちです。
[*7]隈研吾『反オブジェクト』筑摩書房、2009年。



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