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私が好きな歌を歌うコト。それに伴うコンプレックスと君のことば

私は歌を歌うのが大好きです。
学生時代からバンド活動を始めてボーカルを務め、社会人になってからはボイストレーニング教室に通いながらバンド活動をしていました。
そしてバンドの人間関係に疲れてバンドを辞めて数年経た今、また歌を歌っています
今度は、歌い手という、自分の歌を動画にアップするという形で。
この歌い手の世界は、バンドの世界よりも限りなく人間関係に疲れることなく、純粋に音楽が楽しめるようになりました

しかし、私には昔からもっていたコンプレックスがありました
「私の声は普通の声」であること
「特徴のある声でない」こと

私が一番音楽活動をしていた時代、丁度宇多田ヒカルさん始め、声を聴いただけで一瞬で誰かわかるほど特徴のある声の人が沢山活躍している時代でした
しかもたちが悪いことに、私はハスキーな人の歌声が大好きでした
そのため、どれだけ努力しても練習しても得られないハスキーな声が大好きなのに、自分はなることが絶対にできない
そして特徴的な声の方が認められやすい
そんな風潮の中で「普通の声」である自分にとてつもないコンプレックスを抱いていました
コンプレックスを少しでも克服したいからこそ、ボイトレに熱中していたのでしょう
だからこそ、サークル内でも「香月は歌が上手い」「声量がある」と評判になるほどでした
でも私は、上手いと言われたくて練習している訳ではありませんでした
だって、練習これだけ頑張っているのだもの。うまくなるためにボイトレに投資してトレーニングに余念もありませんでした
これで上手になれなかったら、絶望しかないでしょうと思っていました。

そんな中、私はブランクを経て、ご縁があってニコニコで自分の歌をアップロードして聞いて頂く形で音楽活動を再開しました。
そして、ニコニコで生放送で歌を歌うことも始めました
そこで、頂いた言葉で、私は生放送にも関わらず号泣してしまいました

「私は、貴方の歌が好きです」

私は、その一言が聞きたかった。
上手いじゃない。
好きになってもらいたかった。
私がハスキーな声のボーカリストが好きなように。

「(私の歌で)感動した」

その言葉が欲しかった
私は上手いことをひけらかしたいんじゃない
(ていうか私より上手い人なんてもっと一杯いる)
私は誰かの心に響く歌が歌いたかった
私が沢山支えてもらったバンドの歌のように。

ふいに降ってくる、私の心が一番求めていた言葉に、何度ニコニコ生放送で嬉しくて泣いたかわかりません
ニコニコやYoutube等含め、ネットというのは心ない罵詈雑言が飛び交い、国民性の低さを露呈することが多いですが、ニコ生は違いました

「りおなさんの生放送は楽しい」

その言葉が、私を元気にしてくれる。
新人無名の私の生放送を聞いて、楽しんでくれている方がいる
私が歌う幸せを感じていることが伝えられている
私が大好きなあの歌を歌っている人のように。


今は、そんな優しいリスナーさん達のお陰で、すっかり自分の声コンプレックスはどこかに行ってしまいました
一人でも私の歌が好きって思って聞いてくれてる人がいる
それだけで私はこんなにも幸せになれました
自分も、自分の歌声が好きになれました

たまにまた自分の歌声の弱点を感じて自分の歌声をけなそうと思ってしまう時、必ずリスナーさん達のことが心に浮かびます
私が私の歌を下手だのダメだのって言って否定してしまうことは、私の歌が好きだといって生放送に来て聞いてくれている大好きなリスナーの皆の気持ちを否定してしまうことになるから

いつも自由に楽しそうにコメントをしながら聞いてくれるリスナーさん達のお陰で、ここに幸せになれたボーカリストが一人います
ネットであっても、私は目の前にいつも人がいると想像して生放送をやっています
本当は、私の歌を聞いて笑ってくれる笑顔が見たいけれど
それはもう少し先にとっておきます
今は、ブランクもあるし、土俵違いで色々私の歌唱の音楽的弱点を教えて頂けたので、そちらの練習を重ねて、また生放送をやって、

音楽は楽しむもの

という基本的なことをリスナーさんに教えてもらいながら、楽しく音楽活動をしていきたいと思います

#君のことばに救われた

もし心に響いたならば……投げ銭のひとつやふたつやみっつやよっつ!!よろしくお願い致す!(笑)